書詠フミの消失
野々花子
【1】
あなたは
質問しておいてこう言うのも何だが、いまや、日本中に拡散された彼女のことを知らない者は殆どいないだろう。特に十代から三十代の人間なら、文学、及びオタク系サブカルチャーに無縁でも、名前を聞いただけでキャラクターデザインを一瞬で思い浮かべることが出来るはずだ。もちろん四十代以上でも、名前くらいは聞いたことがあるという人が多いだろう。
とは言え、書詠フミのことを真に語ろうとするなら、何とカテゴライズすればよいものか。
小説家。いや、ソフトフェア。それとも発明。――中には神と呼ぶ者すらも。
しかし私はこう思う。書詠フミは何よりもまず「少女」であると。書詠フミという小説家、書詠フミというソフトウェア、書詠フミというアイコン。そんな肩書の前に、「書詠フミという一人の少女」として認識すべきである、と。
その少女は人間ではない。
書詠フミは、日本のとあるソフトウェア会社が開発した、「ノベロイド(noveloid)」と呼ばれる人類史上初の自動物語生成ソフトである。パソコンにインストールし、任意のキーワードや登場人物名、設定、全体の文字数などをデータとして入力すれば、自動的に物語小説を紡ぎ出してくれるという夢の機械だ。
誰でも小説家になれる――。そんなふれこみで販売されたノベロイド・書詠フミ。当初は、コンピューターが人間の感情の動きを理解し、正しい日本語で物語を作ることなど到底出来はしないと揶揄されたが、そういった批判が見当違いであったことは、その後の日本の出版業界を見ればご理解頂けるだろう。
キーワード、登場人物名、文体の種類や癖、世界観設定、物語内時代設定、ルビの振り方、文字制限、オノマトペ、人称変化、地文と台詞のパーセンテージ、詳細なキャラクターの設定、情景描写の濃淡、外来語の使用範囲……。書詠フミに入力できる任意の物語生成パラメーターは非常に多岐に渡り、細かく入力を行えば行うほど、魅力的な物語が出来上がるようになっている。また、出来上がった物語をデータベースとして読み込み、続編を生成したり、二次創作を行ったりすることも可能だ。
ノベロイド・書詠フミを使用する人間自体は、物語を書くことはない。彼らは根気強く書詠フミに物語の設定を入力するだけだ。設定が終了し「ファイルの書き出し」を選択すれば、ntsqノベロイド・テキスト・シークエンスファイルとして自動生成された文章が保存される。そして、それらは例外なく、「小説」と呼ぶに足る完成度を持った日本語の文章である。解読不可能な単語の羅列になることは有り得ない。
ntsqファイルは、textファイルやwordファイル、pdfファイルその他に変換可能だが、textファイルやwordファイルで発表されたものは、「本当に書詠フミを使って書かれた小説なのか」という疑いの目が向けられるため、ntsqファイルのままでの公開が一般的となっている。ntsqファイルで公開されたものが電子書籍化・紙書籍化される際に、制作者の了承を得て、他形式に変換されるわけだ。もちろん、ntsqファイルに制作者本人が文章を打ち込むことは出来ない。制作者が行うのは、詳細な設定の入力だけ。その設定データから演算し、物語を「書く」のは、あくまで書詠フミなのだ。
制作者と言ってきたが、ノベロイド・書詠フミを使用して物語を生成する人間は、一般的に「E」と呼ばれている。これはエディター、つまり編集者の頭文字に由来する。
書詠フミを使った物語生成は、単純なキーワードや設定だけでは、凡百のつまらない小説しか生み出さない。せいぜいが、文学賞に応募したところで、一次選考で落選するのが関の山といったレベルだ。しかし、設定を詳細に入力し、ntsqファイルで書き出された文章の修正、調整、時には大胆なコラージュなどを行うことで、より面白い物語が生み出される。
こうした「もしかすると実際に自分で小説を書いた方が早いのでは?」と思うような細かな編集・調整作業は、「更生」と呼ばれている。元々は「校正」と「構成」から来ているらしいが、「素のままでは国語力が低く、良質な物語を書けない書詠フミちゃんを更生させて、立派な小説家にしてあげる」といった父性的意味合いを込めて、「更生」が定着したと言われている。腕利きEの更生指導により、書詠フミの小説家としての才能は開花するのである。
付け加えておくが、中には素のままの書詠フミの物語を重視し、ntsqファイル書き出し後は、一切の編集を行わないというEも少なくない。「更生」を行わずに面白い物語、オリジナリティある物語を書詠フミに書かせるためには、設定時により詳細で極端なパラメーター入力を行う必要があり、そうした作品の多くは、得てして不条理小説に近いテイストを持つことが多い。更生指導を意図的に行わないアバンギャルドな作風の物語は、若年層からは「DQN系」、もしくは「不良フミ」と呼ばれ、少し上の世代の文学クラスタからは、「ビートニクフミ」、「無頼派」などと呼ばれている。
ノベロイド・書詠フミによって自動生成された物語は、総称して「ノベロイド小説」、略して「ノベロ小説」と呼ばれている。書詠フミがリリースされてから十年で、日本の年間ベストセラー小説のうち三分の一がノベロ小説となった。
単純に出版点数だけに絞れば、ノベロイド販売から九年目には、ノベロ小説がリアル小説(人間の作家が書いた小説を最近ではこう呼ぶことも多い)を上回った。読者を十代に限定すれば、読まれている本の八割がノベロ小説だという。この現状に多くの国語教師、学校司書、大学教授が頭を抱えている。さもありなんと言ったところか。
ノベロイド・書詠フミの特徴は、その画期的な発明そのものだけではなく、擬人化されたアイコンの熱狂的な人気にもある。
自動物語生成ソフトウェアではあるが、そのパッケージは漫画的な少女のイラストが使用されている。
おかっぱ頭に昭和風セーラー服、スカートの丈は長め。眼鏡着用。少々冷ややかな印象を与える釣り目。片手にはもちろん文庫本。公式イラストで手に持っているのは、太宰治の『人間失格』だ。ジョークが過ぎる。
身長一五八センチメートル、体重四二キログラム。スリーサイズも設定されているが、重要な情報ではないため、ここではそれは省略する。ただ、現実で考えればかなりスレンダーながら、出るところはそれなりに出ていると考えられる数字、アニメーションなどのキャラクターに分類した場合は、「貧乳キャラ」と一刀両断される数値、とだけ言っておこう。
年齢は十七歳。高校三年生で、国公立系大学の文学部を志望している。
好きな作家は太宰治、芥川龍之介、J・D・サリンジャー。もちろんそれ以外にも多くの作家も愛読しているが、特に好きなのはその三人だと注釈が付けられている。
その他にも細かいキャラクター設定がなされているが、それを知りたい方はソフトパッケージ裏面を見て頂きたい。
物語を自動的に生成する夢のソフトウェア。
そこに、魅力的なキャラクターデザインと設定が付け加えられたことによって、ソフトウェア・ノベロイドは、小説家・書詠フミとしてインターネットから日本中に拡散していった。特に、「ライトノベル作家になりたい」という夢を持つ中高生には、空前のムーヴメントを巻き起こした。
日本最初にして最大のノベロ小説サイト「
その結果、元々少ない収入で細々と生き残っていた人間の「小説家」という職業は、日本においては一気に絶滅の危機に追い込まれた。
最初にノベロ小説の影響を受けたのがライトノベルである。黎明期から一貫してノベロ小説は、ファンタジーやSFなどを基本としたキャラクター小説が多く、また、書詠フミのキャラクターデザインからも、漫画やアニメーションなどとの親和性が高かった。要するに、多くのノベロ小説はライトノベルそのものだったのである。それも、内容は斬新で面白く、刊行ペースも人間の作家よりも早かった。
ノベロ小説の台頭によって、一気に駆逐されるかと思われたライトノベル作家であったが、彼らは自ら書詠フミの軍門に下ることで生き残りを計った。そう、ライトノベル作家の多くはノベロEになったのである。ノベロEと、ソフトウェア開発会社、小説掲載サイト、出版社などとの権利問題や印税問題についても、元ライトノベル作家であるノベロEたちの努力により整備された部分が大きい。中には、作家時代よりも収入が増えたEもいるようである。ノベロ小説の拡大において、元ライトノベル作家たちの貢献は計り知れないと言えるだろう。
続いてノベロ小説に侵食されたのが、時代小説、ミステリ、SF、ハーレクインやボーイズラブを含む官能小説といった、一般文芸内のエンターテイメント小説である。
時代小説作家は、現在殆ど生き残っていない。史実や資料を設定として入力することが出来るノベロイドは、時代小説と非常に相性が良く、平成期のベストセラー時代小説家・佐伯某が晩年、実験的にヒットシリーズ『居眠りお岩』に導入にしてみたところ、作家本人が居眠りしていても、人間離れしたハイペースで生産出来るようになったことをきっかけに、時代小説はノベロ一色となった。ちなみに現在、佐伯氏の死後も『居眠りお岩』シリーズは佐伯プロダクションE制作・書詠フミ著という表記で、三七六一巻まで刊行されている。
ミステリも、トリックの設定入力で増産が可能になってしまったため、殆どがノベロ小説となってしまった。だが、作家、読者ともに矜持があるらしく、ミステリファンの間では「ノベロミステリを読む奴は邪道」という暗黙の了解がある。そういった熱心なファンに支えられ、一部の大御所を中心に、ミステリ作家は、比較的生き残ることが出来ている。
自分たちが職を失う危機感よりも、書詠フミ誕生の興奮が勝った人種がSF作家たちだ。彼らは国内外問わず多くのSF小説で描かれてきた、「機械が人間を凌駕する瞬間」に立ち会えたことに打ち震えた。ノベロ小説やそれに端を発する二次創作動画などが多くアップロードされている「ピアピア動画・静画」内で、とあるSF作家はこう述べている。
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「甘美な敗北。我々は喜んで女神の持つ鎌で首を落とされよう。(中略)このシンギュラリティに立ち会えた幸運に比すれば、首を落とされる痛みすら悦びに変る!」
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彼は生配信動画を使って六畳一間の自室から全世界に向けてそう宣言した後、書詠フミの等身大フィギュアに跪き、爪先に接吻した。そして彼は、昭和期の偉大な歌姫・山口百恵の引退時を思わせる凛とした仕草で、筆を置き、永遠に帰ってくることはなかった。
ハーレクインやボーイズラブも含む官能小説は、書詠フミの年齢設定上、表向きはノベロイドによる執筆だと明示されていない。しかし、時代小説やミステリと同様、いくつかのテンプレート設定と、キーワードの組み合わせで無限に増産出来てしまうジャンルであるため、実際は九割以上がノベロイドによって書かれているようだ。ライトノベルと同様、Eに転身した作家も多い。
そして現在も抵抗を続けているのが純文学である。「ノベロイドによって生成された文章は小説ではない」というのが、日本の文壇の総意だということになっている。事実、芥川龍之介賞、直木三十五賞をはじめとした文学賞には、どれだけセールスが高く、また文学性がネット上で評価されようとも、ノベロ小説がノミネートされたことはない。特に政治屋でもあった石原某選考委員のノベロへの異常とも言える中傷発言は、ノベロ小説読者とリアル小説読書とのより深い断絶を招き、結果的には文壇の矮小化を加速させた。
純文学とノベロの断絶問題については、「ふみえり事件」で知ったという人も多いのではないだろうか。
事件は、ノベロイド出現から数えて七年目の前期芥川龍之介賞に、文田絵里子(通称ふみえり)という十七歳の少女が書いた作品、『殴りたい腹』が選ばれたことに端を発する。
ふみえりの外見は、おかっぱ頭に古臭いセーラー服、さらに好きな作家は太宰治、芥川龍之介、J・D・サリンジャー。受賞会見で「学校では、『ふみ』か、『ふみえり』って呼ばれてます」と答えたこの美少女は、どう見ても書詠フミのコスプレイヤーだった。これを文壇の皮肉と取る者もいれば、迎合、白旗と取る者もおり、またエッヂが効き過ぎて逆に滑ったギャグだと取った者もいた。
受賞会見以外でふみえりは、メディアに一切姿を現すことはなく、ふみえりの傀儡説、覆面作家説がまことしやかに囁かれた。当然、作品『殴りたい腹』は、「ノベロで作られた小説なのではないか」という議論を呼んだ。ふみえりはその一作のみで煙のように姿を消した。
その一年後、ノベロ小説サイト「
なお、児童文学も純文学と同様、ノベロに対し抵抗を続けている。親は人間が書いた古典の名作児童小説を読ませたがるが、子どもはノベロイドによって書かれた新しい児童小説を読みたがる、という構図が一般的となりつつある。児童小説と自動小説、という皮肉を言ったのは、何処の誰だったか。
一方で、積極的にノベロ小説市場を広げていく動きもあった。中心となったのは、ライトノベル市場である。アスキー・メディア・ワークスは、書詠フミ発売の翌年には、「ノベロ電撃大賞」と「カクヨ文庫」を創設した。「ノベロ電撃大賞」は、その名の通り、日本初のノベロ文学賞。募集規定は未発表のntsqファイルであることのみ。Eの年齢、性別、国籍、経歴、プロ・アマは一切問わない。「カクヨ文庫」は日本初のノベロ文庫レーベルである。レーベル創設の際の文章を一部引用しよう。
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「先人は言った。文庫は世界の書籍の流れの中の“小さな巨人”であると。そして我々は今、その一群の中に鋼鉄の巨人を加えたい。ノベロイド文化による小説は、人間とテクノロジーが手を取り合って紡ぐ、新たな文学の可能性である。進撃せよ!(カクヨ文庫創刊に際して)」
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ノベロイド小説、そして書詠フミは、こうした批判と礼賛のハリケーンの中で、着実に、そして爆発的に拡大していった。
販売開始後わずか十年の間に、エポックメイキングともいえる文学作品がいくつも産まれた。
ノベロイド機能の「押韻」設定への極端なデータ入力と、倒錯した性愛表現で話題となった作品『ふっみふみにしてやんよ。』は、ヒロインの女子高生に踏まれることだけを生き甲斐とする主人公の姿を描き、ノベロイド小説初のベストセラーとなった。倒錯した性愛表現と、細やかな描写の美しさから、一部からは「二十一世紀の谷崎文学」とも評された。
谷崎潤一郎がビーボーイに転生したかのような、執拗に韻を踏み続ける文章の中毒性は、いまだ他の追随を許さない。ノベロクラスタで、『ふみふみ』を読んでいない者はいないだろうと言われるほどだ。いまだに、ノベロ小説の門外漢から「あれだろ?ノベロって、SMみたいな話なんだろ?」と言われることがあるのは、同作品の功罪であろう。
続いて、『トケル』。女子高生の溶けてしまいそうな恋心をまっすぐに描いたこの作品は、書詠フミのビジュアルイメージとも相まって、男女問わず多くの人の心を掴んだ。平成期の女流作家、江國某、川上某、綿矢某などを愛読する層からも人気が高い。初めて実写映画化されたノベロ小説でもあり、一般層への認知を押し上げた作品と言える。一方で、ノベロ信者からは実写映画が黒歴史扱いされていることは、言うまでもない。
そして、近年最大のヒット作として挙げられるが『千本草子』だ。平安文学をノベロにて再現し、高まりつつあった古典派ノベロブームを決定的なものとした。レトロを通り越して、それは全く新しい文学と言ってもいいかもしれない。驚くべきは、活字離れが叫ばれていた小中学生など低年齢層に圧倒的に支持されたことだろう。ノベロの裾野をさらに広げた一作だ。
枚挙に暇がないため、作品の紹介はこの辺りにしておくが、こうした作品をはじめ、無数の名作、傑作、佳作、快作、怪作、奇作、迷作、駄作が、書詠フミによって執筆された。その数は少なく見積もっても、すでに五十万を超えている。
ノベロイド小説の拡散は、二次創作のあり方も変えた。過去の作家の文体や語彙などのデータベースを書詠フミに入力し、すでにこの世にはいない作家の新作を書くことも出来た。中でも昭和期~平成期最大の作家であり、海外にもファンの多い村上某風のノベロイド二次創作小説はインターネット上にあふれ、もはや「MURAKAMI」という一ジャンルにまでなっている。
やれやれ。それは、午前二時に陽気なカモノハシの一団と鉢合わせするようなことなんだ。朝になったら忘れている。僕も、君も。何もかもをね。
長年中断していた長編スペースオペラや伝奇小説、大河ファンタジーは、ノベロイドの手によって、完璧な終幕を迎えた。例えば、夢枕某や田中某の作品の大半は、ノベロイドの登場が無ければ完結しなかっただろう。いわんや、栗本某による某サーガの正統的続編も。
現在では、数少なくなった人間の小説家が新作を発表しても、「ノベロの方が面白い」だの、「ノベロに書かせたんじゃない?」などと言われることも、もはや珍しくなくなった。
日本文学千年の歴史をわずか十年で一変させた、いや焼き払った少女。
それが書詠フミである。
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