第10話 贅肉という概念

「でも、なんで私なんかにタクトを変えろっていうの?他にいい人沢山いると思うけど」


 お皿についた僅かな食べ残しを発見し、それを丁寧にすくい上げながらたずねてみる。


「強いていえば⋯⋯」


「強いていえば?」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 残りカスを懸命にすくいあげては口に運ぶ私を無言で凝視するニアちゃん。


 うわあ、なんか怒ってらっしゃる?でも、こういう食べカスを食べてる時が私的に一番幸福なのよね。


 私は慌ててそれらを食べ終えるとフォークを置き姿勢を正した。


 それを見ると小さくため息をつきゆっくりと口をあけるニアちゃん。


「⋯⋯⋯⋯二人とも、醜いからです」


 ……まあ、そんなことだろうとは思った

 ニアちゃんは私とタクトをどちらも〝醜い〟といっていたし私とタクトの共通点などそれぐらいなものだから。

 けど、やっぱり人様から面と向かって「醜い」と言われるのは気持ちのいいものでもない。


「じゃあ」


 ニアちゃんを尊敬して師匠とよんでいたのはついさっきのことだ。

 けれど、それっきりのこと。


「醜い私は醜いタクトと結婚するよ。そのさまがどんなにニアちゃんにとって醜いものでも私は一向に構わないし」


「なっ⋯⋯」


「醜くてもそれが私でそれがタクト。私はニアちゃんに醜いと言われる私でしかいられないしニアちゃんに醜いと言われるタクトしか好きになれない」


 そういうとスクっと立ち上がる。


「だから変えない。変わらない。」


 それだけいうと笑みを浮かべてみせる。


「じゃあ、奢ってくれてありがとね〜」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 怒りのあまり黙り込み何も答えないニアちゃん。

 今のうちに退散しよう。

 スタコラサッサと店を出ると太陽は店に入った時よりいくらか高い位置にきていた。


 一時間くらい経ったのかね、なんて思いながらふくれたお腹をさすり大きなアクビをする。

 次こそどこかの裏路地で寝よう。

人気のない方に歩いていく。


 道を歩いているとふと美味しそうなクリームチーズパスタが描かれたポスターを見つけて立ち止まった。


 太麺のパスタに程よく絡み合うクリームソースと芳醇なチーズの香り。顔にあたる少しあついくらいの湯気と食欲をそそる香り······。


 目を閉じてそれら全てを頭に描く。これは昔から私がやっている腹を満たす手法で命名はそのまま、『想像して食べる』なのだが。

 最初のうちこそ躊躇いはあったものの今は躊躇いも羞恥も消え想像するだけで味を感じる程になってきた。

 やっぱり人間、何事も慣れだと思う。


 そんな時だった。


「⋯⋯っ!?」


 あまりに唐突にそれは起こった。

 体に感じた違和感に短い悲鳴をあげる。


「ちょっ」


 慌てて振り向くも背後には誰もおらず何者かが慌てて駆けていく後ろ姿のみがみえる。

 

 あまりにもショックが強すぎて追いかける気にもならない。


 生まれて初めてあった……。




「⋯⋯それで、あなた、大事な用っていうから仕方なく通したのに話したいのは痴漢されたって話だけなわけぇ?はあ⋯⋯。通して損したわぁ。はやく帰ってくれない?」


「待ってよ、ルーザス。確かに私達はライバルだけど今だけは違う。友だよ」


「なに都合いいこといってんのよぉ。はやく帰んなさい。⋯⋯でも、一つだけ」


「なに、ルーちゃん」


「痴漢って具体的にどんなことされたの」


 わかるだろうか、この状況が。

 痴漢になど滅多にあわないような二人のうち一人がその出来事に遭遇し互いの立場も忘れて盛り上がっているこのなんとも哀しいさまが……。


「⋯⋯こんな事言うの⋯⋯恥ずかしいんだけど⋯⋯ね」


「なによ、もじもじしてないで教えないよぉ」


 二人はまるでそこらにいる普通の女子のように話した。


「だって〜」


「いいから教えなさいよぉ」


 まるでそこらにいる恋する少女のように。


「じゃあ、いうよ」


「ええ。言ってみてよ」


「実はね⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


 辺りを緊迫した空気が包む。


「お腹、もまれちゃった」


 テヘペロする勢いで言い放たれたその言葉に、確かに何かが壊れる音がした。

 それは二人の一時的な友情かもしれないし乙女のときめきかもしれない。


「はあああぁぁぁぁぁぁ」


 まるで魂を吐き出すようなため息をつくルーザス。


「なによ、なんか文句でもあるの?」


 二人の間をいつもの空気が流れる。


「コトネ・ディーン・フィーネ、あんたって本当に哀れよぉ」


「はあ?何よそれ。あっ、嫉妬?もしかして痴漢の一つも受けたことないから嫉妬してるの?」


「そんなわけない。そんなわけ、ないじゃないっ」


「なっ、あんた泣いてるの?」


「そうよぉ」


 互いが理性を失いおかしな空気になった時、先に我にかえったほうが相手を哀れに思い涙を流すのは必然といえば必然であった。




 それから三十分後。


「あいつ許せない。絶対にとっ捕まえてやる」

 当のコトネも理性を取り戻し、ルーザスはひどく疲弊していた。

 いつもわがままし放題自己中し放題の彼女がこれ程まで疲弊するのは本当に稀なことであった。


「⋯⋯けど、腹の贅肉をつまんだくらいで警察はでてきてくれないわよお」


「違う!私はあいつに、もまれたんだよ⋯⋯」


 体を震わせそういうコトネは本当に痴漢にあったような、いや本当にあったのだがそれは違う部位で⋯⋯。ともかく、ひどく傷心した彼女の言葉には強い説得力があった。


 そんな言葉にルーザスの良心が突き動かされた。

 普段自己中心的なところに隠れているだけで、本当は面倒みがよく姉御肌なところが彼女にはあった。


「仕方ないわねえ。犯人、探してあげるわ」


「本当!?」


「ええ。けどその代わりこの間していたプロテーマ家があなたの家を潰した、という話は忘れなさいよ」


 しかし生まれながらにして大金持ちの彼女はで何かをするのがひどく嫌いだった。


「⋯⋯⋯⋯」


「今の話がのめないなら犯人探しはやめよお。ちなみにいうとねえ、私が一言何かを探せと命令しただけで三十人程の家来が動くの。どう?いい話だと思わない?まさかひとりでどうにかしようと思ってるんじゃないわよねえ」


「そういう考え方するからタクトに振り向いてもらえないんだよ」


 真顔でズバッとそう切り返すコトネにルーザスの肉がブルリと揺れた。


「そういう優しさって大事だと思うよ。見返りじゃなくて信頼を大事にしなきゃ。ね、ルーちゃん」


「⋯⋯そうよね⋯⋯ってなるわけないでしょう!都合良く話をまとめようとしないでくれる?!」


 頬を赤く染め金切り声でそう叫ぶルーザスに私、コトネは冷たい視線を向ける。


「ルーザス、どうしたの?とうとう頭が……」


「それはあなたの方でしょう?!もう我慢の限界よぉ!今すぐ出ていってちょうだい!」


「だからそういう態度が」


 その言葉に続けてルーザスに対する皮肉をこれでもかも並べ立てようとする。

 しかしルーザスが目の前のテーブルに置いてあった鈴をチリンチリンと二回鳴らした直後、背後で扉が開く音がして気づけば左右に筋肉質の巨漢が来ていた。


「ちょっ、話してる途中なんだけど!離せ!」


「その子裏に放りだしておいてちょうだい」


 ルーザスのその言葉に両脇のボディガードらしき二人は私の腕をガッチリと掴んだ。

 あいにく体重にはこの上ない自信があるのだ。このままむざむざ裏に放りだされてたまるか。


 全身の体重という体重を地面に向かってかける。


 男達の筋肉隆々の腕にすごく力が入っていくのがわかる。


 そして私は一向に宙に浮く気配がない。

 よし、きた。見たかルーザス。

 そう思ってルーザスの方を見ようとした、その一瞬。一気に攻勢は逆転した。


「ふっ!」


 そんな声、というか鼻息と共に私の体が宙に浮く。

 嘘でしょ?このあたしを持ち上げたっていうの?


「ざまあないわねぇ、デューン」


「は?誰のこと、それ?あたしデューンなんて名前じゃないんですけど」


 貴族ってお綺麗に育ったから皮肉の一つも上手く言えやしないのね。

 皮肉なのかも不明だし。

 私の名前はコトネ・ディーン・フィーネ。

 真ん中のディーン、つまりは私の幼名になるんだけど、それをバカにしたかったのか。それとも本当に私の名前を覚えてないのか。まあどっちでもいいんだけど。


「…………俺、デューン、名前」


 左の男が悲しげな声でそういう。

 しかしそんなのは耳にまで贅肉がつまっているらしいルーザスには聞こえていない。


「デューンって確か〝老婆の背骨〟って意味があるのよねえぇ?」


 そんな空気の読めないルーザスの一言に私の左腕を筋肉隆々の腕が強く締め上げる。

 今ばかりは腕が骨の居場所もわからないような有様でよかったと思える。私がそこらにいる細っぽい腕をした女の子だったら確実に骨折してただろうから。

「可哀想よねえ、あなたってぇ。老婆の背骨なんて名前で。確か名字の方はファオリルよねえぇ?」

 こいつわざと間違ってるんだとしたら元の名前とかけ離れすぎていてこちらになんのダメージもないということを理解しているのだろうか?

 自慢気に皮肉をいってくるルーザスには涙が溢れかけ、今日あった痴漢のことなどどうでもよくなってきた。

 なんなの、このカオスな状況は。

 確かに私、腹の肉をちょっと揉まれただけだし。それってすごく気持ち悪くてすごくか腹がたつけどそれ以上にどうでもいい。今ここで起きていることに比べたらずーっと。

「…………オレ、名前、ファオリル」

 今度は右側の男が切なげに呟いた。

 勘弁してくれ……。

 というかなんでこの人たち片言なんだろ。何かの部族?

「ファオリルって確かぁ、〝腐った豆のスープ〟って意味よねえぇ」

 知らねえよ。学校もろくに行ってないからそんな何気ない名前に意味あるなんて今知ったし。

「……………ファオリル、腐った豆、スープ、まずい」

 おいおいなんなのよこの力。

 腕の血が止まって冷たくなってくのがよくわかるんだけど。

 このままじゃ私の腕が……。

 腕の危機を察知した私はとりあえず行動にでた。

「あんたがなにでそう習ったのか知らないけどね、デューンもファオリルもどっちもとても大切な名前なんだからね」

 そう、この両脇の二人にとって。

 少しずつ腕を締め上げている力が弱くなっていくのがよくわかる。

 良かった。両腕の血が止まって切断とか恐ろしい想像しちゃったけどこの調子ならそんなこと起こらなそう。

「くやしいのぉ?言い負かされて」

「言い負かす?誰が誰を?あと話戻すけどね、どんな名前でもそれを自分の親が沢山悩んでつけてくれたってことに意味があるの。それをバカにするあんたは最低よ。」

 そういった時には両脇の二人は私から腕をはなしていた。

 なんかよくわからないけど今の内に外に出よう。

 目の前で怒りに打ち震えているルーザスを一瞥すると両脇などチラリとも見ずにドアにかける。

 部屋から出たら一目散に外へ逃げよう。


 この時の私は外に出ることなんて簡単だと思っていた。来た時通りの階段を下り廊下を走り……。かなり複雑な道のりな上いちいち小憎ったらしいくらいに廊下が長いけどとりあえず下におりてきゃ出口にはつくだろう。そう踏んでいた。

 ドアを開け放つと長い廊下を駆ける。目指すは階段。だが、この屋敷、廊下が長いだけでなく曲がり角も多くかなり複雑な造りになっている。

「その女を捕まえてえええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ」

 超音波のようなその声が聞こえてきて思わずゾッとする。今の声どこからでてんの?怖っ。

 そしてそのルーザスの超音波のような声が響いた直後。

 誰かがこちらに向かい駆けてくる足音が聞こえてきた。

 しかもかなりのはやさでその足音はこちらに近づいてくる。

 死にものぐるいで廊下を駆け抜ける。どこだよ、階段。はやく出てこいよ。


 以前はニアちゃんファンの貴族達だってまいたんだ。今回だってーー。


 そういえば私、貴族の方に「捕まえて」って叫ばれるのこれで二回目じゃない?二度あることは三度ある、とかいうわよねえ……。そんな嫌な想像をしているうちに足音はいよいよすぐそこにまで迫ってくる。

 しかも一つじゃない。最低でも二人はいるだろう。


 左右に分かれた道が目の前に見えてくる。あそこで上手くまけるといいけど、この体でこの体重なので足音をごまかすことなんてできないしすぐにバレるかも。

 でも、やるしかない。

 できるだけ足音を立てないようにしながら左に曲がる。

 足音もいくらか遠ざかった気がする。

 やった。まいた……。


「ん?……」

 安堵したその瞬間、目の前からすごい勢いでこちらにかけてくる者を発見し慌ててUターンする。

 もう怖すぎて声もでない。


「………うそ……」

 絶望から自然と言葉を発する。

 Uターンしたその先にもこちらへ向かってくる者がいるのだ。挟まれた……。

 終わった。捕まった。これから一生ルーザスの意味のわからない皮肉を聞かされるんだろうか。それなら、極貧生活の方が千倍ましだ。

 すっかり疲れて気力もなくした私は座り込む。

 降参の意を示したも同然の私のその行動に双方から迫ってくる奴らは気付いたのかいないのか全くスピードを落とさない。このままだと双方から勢いよくぶつかられるんじゃ?という心配をしてしまうほどに失速しない。

 こういう時は目をとじるといいんだよね。マーガレット姉さんがよく怖い夢を見た時はこうするといいって言ってた。いっそ夢ならいいのに。そんな願いを込めて目を瞑る。


 目を閉じながら私のすぐ目の前に二人がやってきた気配を感じ取る。

 しかしまだ目は開けないでおこう。本当の恐怖が起こり終わってから……。


 ああ、私、ルーザスに捕まるんだ。

 それってすごく屈辱的なんだけど。

 涙でそう。


「ルマナーみたいな、女、お前」

 その片言喋りに目の前にいるのが二人だと察する。

「ルマナーとは」

 私は悟りを開いた人のように目を閉じつつあぐらをかき手を合わせながらそうたずねた。

「うちの、部族、ルッキャーニ、飼ってる、動物」

「ポヨポヨ、お腹、気持ちいい」

「…………」

 これは完全に侮辱よね?どうせ捕まるんなら捕まる前にこいつら一発殴ったって構わないわよね?

「けど、お前、ルマナー、違う」

「そう、我らの、主」

「………………ん?今なんて」

「お前、我らの、主。主に悪さした、奴、知ってる」

「悪さって贅肉触ったやつのこと?!」

 つい興奮で目を開けてしまった上にずっと注意していた贅肉呼びをしてしまった。虚しい。

「そう、そこ、連れてく、来て」

 そんな言葉に私は疑うことなんて一切せずにスクッと立ち上がった。

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