第8話 そういうお店

 時間感覚の狂った鶏がはやすぎる朝のはじまりを告ている、早朝四時。

 私はタクト邸の前に来ていた。


 ランのおかげで自分じゃないような変貌を遂げた私。

 そんな私を見てタクトがどんな反応をするのか今から楽しみすぎてニヤケを抑えることもできない。


「⋯⋯あなたですか」

「うわっ!?」

 唐突に背後から声がして振り返ると、以前タクト邸から逃亡した時に私と正面衝突しそうになって悲鳴をあげていた女の子がいた。

「⋯⋯ふーん。なるほど、兄があまりに嫌いすぎてドン引きしてデートを断れないような相手、というのも頷けまね」

 腹の立つ物言いだがタクトの親族であろうこの子に無粋な真似をしてもいいことなどなにもないだろう。

「おはようございます。あなたはどこのどちら様ですか?」

 すこし嫌味ったらしい言い方になったのは決してわざとではない。性分なのだ。

「⋯⋯申し遅れましたね。私はニア。あなたがこれからデートするタクトの妹です」

「そうでしたか、おほほ。どうりで見覚えのあるお顔立ちなんですわ」

 貴族の言葉を使ってタクトの妹さんへの好感度をあげようとすればするほどダダ下がりしていくような気がするのは気のせいではないはずだ。

「⋯⋯あなたは醜いですね」

「⋯⋯⋯⋯」

 そんなこと言われなくてもわかっているというのに何故この子はそうも形にしたがるのだろう。

「お兄様と同じくらいに」

 そう付け足した彼女の瞳はひどく冷たい。しかしそれも私の後方をみやりすぐに無邪気で可愛らしいものに変わる。

「お兄様!!」

 そういって私の後ろにいるタクトの元へ駆け寄るニア。

 先ほどの兄を語る瞳の冷たさと打って変わった様子に驚く。

 そういえばルーザスがニアがなんとかだーって言ってたっけ。興味がなくてちゃんと聞いていなかったが、これはかなり強敵だな。

 タクトがニアの頭を撫でながらこちらを厳しい目で見やる。

「ニアに変なことしなかったろうな?」

「するわけないでしょ⋯⋯というか、するわけないですわ⋯⋯」

 貴族の言葉を使って好感度を上げる必要性も段々と感じなくなってきた。

 そうだよ、私が好感度をあげたいのはタクトの方であって妹の方じゃない。

 よし、もう気にしないようにしよう。と、いつものように自己中心的ポジティブシンキングを済ませる。

「じゃあ、ニア、少し出てくる。すぐに戻ってくるから」

「はい、お兄様!ニア、お兄様のお帰りを心待ちにしておりますわ!」

 タクトの腕に絡み付いてそういうニアは傍目から見ても可愛らしい。

 くそぅ。あの仕草を私がやったら腹の肉が邪魔する上腕が短くて上手く届かないだろうし、何よりこんな体型だからタクトに何か危害を加えようとしているようにしか見えないだろう。

 可愛くて痩せ身とか喉から手が出るほど欲しいわ。

「行くぞ」

「はーい、タクト様」

 語尾にハートマークがつくような口調でそういうとタクトはドン引きした様子で歩き始めた。

 ⋯⋯今のは流石に自分でもドン引きしたけども。

 タクトといる時は無理に女らしくず素のままの私でいこう。その方がいい気がする。





 タクトと共に朝の貴族街を歩く。

 もうかなり歩いた気がするが、タクトは一向にこちらを見る気配はなく、私史上最大のお洒落を褒めてくれる気配など微塵もない。

「タクト」

「着いた」

 名前を呼んだ途端にそう言われる。

「着いたってどこに」

 タクトの目線の先を見てみると貴族街の裏路地があった。

「まさかここをデートするっていうの?」

 確かに汚いものやら暗いものやらに耐性はあるがわざわざ行きたいとは思わないし、生まれて初めてのデートで行くなんてもっての外だ。

「ついてこい」

 そういって一切躊躇うことなく裏路地に足を踏み入れるタクト。

 こういう場所嫌がりそうなのに、私と話してる時よりもずっと意気揚々としている。

 なんか腹立つな。私、こんな、貴族の方々に存在すら認識されていないような裏路地に負けたの?

 いや、そんなことを気にしている場合ではない。デートはまだ始まったばかり。タクトに良い印象を与えるためにももう暫く耐えなくては。

「お前、男慣れしてないだろ?」

 こちらを振り返ることなくそうたずねてくるタクト。

「まあ、タクトくんと比べたらそりゃあ異性と接する機会も少ないですしねえー」

 またも嫌味ったらしい口調になってしまたが、こちらは性分ではなくわざとだ。

 だってなにが楽しくて私達朝の四時からこんな暗くてジメジメして汚い裏路地を歩いてるの?こんなのデートじゃない。私はこんなのがデートだなんて断固として認めないからな。そう思いながらタクトの背中を睨みつけてやる。

「ほら、ここだ。」

 そういってタクトが見やる先には黒を基調とした建物がある。窓は一つもなく、中の様子は一切わからない。

 しかし妖しげで危険な香りがするのは確かで、そこがなんなのかなんとなく察する。

「男慣れしてないお前のために俺が予約してやった。普段は深夜オープンだが今日はお前のために特別だ」

「わあー、本当ですか?ありがとうございます、ってなるか!ボケ!!」

 思わずボケと口走ってしまったが致し方ないことだと思う。

 だって何故なにゆえデート中にこんな店に入るんだ。

 確かに私は没落貴族だがこういった店の存在はよく知っている。

 フィーネ家を没落貴族にさせ逃げ出していった父親は、今は亡き母がいたにも関わらず、毎夜毎夜こういうお店にせっせっと足を運んでいたから。

 それを母さんが一人嘆いていたのも見ていて、その存在は認識していた。

 この建物からはそういう卑しい雰囲気がするのだ。

「いいから、行けよ」

「待て待て待て、ここがなんなのか言ってよ」

 タクトに背中を押され慌ててそう言う。

「そういうお店、だ」

 意味深な言い方をすると、扉をあけ無理矢理建物内の中へ私を押し込むタクト。

 ふくよかでフットワークの重い私ではタクトの強引な押しに逃れることも出来なかった。


 え?全体重をかけてその場に踏みとどまれば良かったじゃないかって?

 まあ、そうね。そうすればなんとかなっただろうけど、仮にも結婚したいと思っている人に対してにそんなことをするのはどうかなと思ったのよね。

 私のメンタル面的に。


「いらっしゃいませ」

 そう声をかけてきたのは給仕姿の男の人。やけに良い声をしてる。

 ダンディな人だな。見た目はそんなでもないけど。

 もうこの際腹をくくってこの辱めに耐えるしかないだろう。

 結局のところデートものはタクトと共に街や裏路地を歩いたことくらいだった。

 厄介払いして、これに懲りてもう自分の元へ来ないようにさせたいのだろう。

 あれはデートではなかったと後から訴えても二人で街を歩いただけでもデートだと屁理屈を言われそうだ。


 朝からタクトの妹だというニアちゃんには「醜い」などと言われるしタクトに精一杯のお洒落は見てもらえないしこんな店に連れてこられるし最悪の日だ。


「タクト様からお話は聞いております。お支払いいただいた金額通りのプランを」

「あ、はい。あの、わかったので早めに終わらせてもらえますか?」

「はい。わかりました。では、奥の方へ」

 これから何が起こるのかは分からないがとりあえずこんな私相手に仕事しなきゃいけない男の人達を思うと涙がでる。

『うわ、マジか。予約してた客ってこんなデブスなの?』みたいな視線を受けなきゃならない私も充分辛いがな。

 しかし一体何をするというのか。

 そう思いながらいわれたイスに座っていると先程とはまた別の男がやってくる。

「こんにちは、コトネ。今日はよく来てくれたね」

「はあ」

 ここの店員は誰も彼もいい声をしている。現にこの彼もとても甘い色気たっぷりの声だ。

 やはり『そういうお店』だからこそ、だろうか。

 男が隣りに座るとまた他の男の人が飲み物を持ってくる。

「どうぞ。あなた様のお口に合うと良いのですが」

 差し出された飲み物はカクテルなどではなく、ただのオレンジジュース。

 え、もしかして私、子供扱いされてるの?違うよね?

 ジュースを運んできた人が私の左隣の空いてる方に座って、見事に私は二人の異性に挟まれた。

 こんなの人生初の経験だが、男の人達はさしてイケメンじゃない。どちらかというと普通の人だ。まあ別にイケメンを期待していたわけではないが、『そういうお店』なのにこうなんだ、と思ってしまう。私なんかがやかましいわ、という話ではあるが。

「コトネ、好きだよ」

「ブフォッ」

 唐突な上にあまりに軽薄すぎる愛の告白に思わず飲んでいたジュースを吹き出す。

「ゴホッゴホッ」

「大丈夫?コトネ。ほら、落ち着いて」

 ジュースを運んできた人の爽やかボイスが耳を撫でる。

「あ、はい、大丈夫なんで」

 これ仕事でやってんのか。なんだか大変だな。

「コトネは好きなものとかある?」

「⋯⋯金、とか?」

 ジュースに入っていた氷が溶けてコロンと音をたてる。

 甘い声の店員さんは見え見えの苦笑いを浮かべる。

「そっか〜。じゃあ、趣味は?」

「趣味は野草つんだりとか」

 テーブルに置いてあった菓子をつまみながらそう答える。

 たずねてきた爽やか声の店員さんはこれまた微妙な表情をする。


 なんだ、案外変な店じゃないな。ただ男性と会話するだけなんだ。確かにこれは異性と関わる機会のないふくよか&不美人女子の練習場としてはもってこいの場所だ。

「素敵な趣味だね」

 そう甘い声で言われて礼を言おうとするといきなりビーっとけたたましい笛の音が聞こえてくる。

 一体何事だとあたりを見回すと入口で迎え入れてくれたダンディな方が笛を手に持ちこちらに歩いてきた。

「そこまでとなります。少しオーバーしましたが、まあ、タクト様のご友人ですからサービス致しますね」

「は?⋯⋯」

 こんな短いもんなの?え、ホントにこれで終わり?全然何にも話してないんですけど。

 スーッと去っていってしまう左右の二人に呆然とする。そりゃまあ私なんかに元々興味にいんでしょうしお仕事だったし仕方ないけどなんか虚しい。

「さ、こちらへ」

 そういってダンディな男の人は出口の方を指す。ホントに終わりなのね⋯⋯。

「あの、ここのお店って、結局何なんですか?」

 あえて『そういうお店』と濁したままの方が良い気もしたけれど興味心には負けてたずねてみる。

「知らなかったのですね。ここは『イケボォ』のお店です。」

「い、イケボォ?⋯⋯。なんですか、それ」

 聞き慣れない単語に首を傾げる。

「イケメンボイス、の略でして、イケメンボイスというのはかっこいい声のことをいいます。」

「あぁ⋯⋯」

 なるほど、そういうこと。


 タクトは男に耐性がない私がこの店に連れてこられひどく嫌がり己から離れていく、とでも思ったのだろう。


「当店では一単語五万ガルドでやらせていただいております」

「一単語五万!?」

「はい。イケボォは生涯変えることのでない財産であり宝ですから」

 確に顔はお金を積めば変えれるかもしれないが声は変えられない。

 しかしいくらなんでも一つの単語で五万ガルドはおかしすぎる。明らかなるぼったくりだ。


 ん?ということは私は今日何ガルド使ったのだ?いや、何ガルドタクトに払わせたのだ?⋯⋯。

 考えるだけで頭がおかしくなりそうだったので思考を一旦停止する。


「では、ありがとうございました。またのお越しを」

 そんな声に見送られながら外に出る。

 もう太陽が顔を出していて遠くからは店に入る前よりも人々の活気あふれる声が聞こえてくる。

 これからどうしようか。またタクト邸に行く?しかしなんの打算もなく行くのは愚かだ。

 こんなに頑張ってお洒落しても見てももらえず、追い払われたんだから。

 デートは散歩だったし、それに⋯⋯


「どうだった?案外早かったな」

 そんな声がした方をハッとして見やる。

 そこには『イケボォ』店の壁に寄りかかるタクトの姿があった。


 それは、今日一日の中でもっとも衝撃的で、もっとも嬉しいことであった。

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