第4話 逃走

「マーガレット、大丈夫ですか」

「は、はい。もちろんですわ。おほほほ」

 お手洗いから帰還した私は不自然すぎる笑みを浮かべながら席につく。

「お体の調子が悪いのならお部屋を手配しますが」

「いっ、いえ。ご心配なく」

 腹が痛いってことをお体の調子が悪いって濁すのね。

 なるほど。貴族ってやっぱりなんか綺麗。

「ならいいのですが⋯⋯」

 そういってホッとした様子のタクトにもう一度微笑みかけようとした、その時。

 ビリッ

 そんな音がして恐る恐る下を見やる。

 えっと⋯⋯

「えええぇぇっ?!」

「ど、どうしましたか?」

「い、いいえ。なんでもございませんよ」

 そういってなんとか笑みを浮かべ取り繕うが、それにしたってひどい有り様だ。

腹 部 の 布 が す べ て は ち き れ た

だとう…。にわかには信じられない。というか、信じたくないお話だ。私って不美人な上にふくよかだったのね。まあ、気づいてたけど気づきたくなかったな。なんて言葉おかしいわね。はは…⋯。ああ、今気づいたけど、私自分のことを形容するときだけ貴族が使うような綺麗な言葉が使えてるわ。

 皮肉なものね。ははは⋯⋯。

「本当ですか?⋯⋯」

 不安げな表情でそうたずねてくるタクト。


 もう少しタクトと話したかったけど流石に限界だろう。


「実はこのあと用事があるのを思い出して⋯⋯」

なんて言い訳してみる。

「待ってください。それは、どこかに行かれる、ということですか?」

 慌てた様子でそういうタクトに

「はい、まあ⋯⋯」

と曖昧な答えを返す私。

「ここに帰ってきてくれますよね?⋯⋯」

 珍しく不安げにするタクトの様子に違和感を覚える。

 しかも、帰ってきて来てくれる、ってどういう意味だ。

「あの、ちなみに問いたいのですが」

 つい上げてしまった手をすぐに腹部に戻しながら苦笑いを浮かべる。

「こちらに帰る、とはどういう意味なんでございましょうかね?」

「私達は夫婦となるのです。帰る、で合ってるはずですよ」

 そういって朗らかに微笑んでみせるタクト。

「ふ、夫婦!?」

 思わず奇声が出てしまった。

 しかし、私はまだ姉マーガレットの姿。

 美女が奇声あげたところで「奇声をあげるなんて⋯⋯。しかし綺麗だ」くらいで済まされるだろう。世の中は美女には優しく出来ているからね。

 ああ、出来ることならずっとこの姿でいたい⋯⋯。

「あなたは約束の時となったからここにやってきた、ということなのでしょう?ならば⋯⋯」

 なんて頬を上気させてるタクトは普段より幼くみえて可愛らしい。

 ってそんなこと考えてる場合じゃない!

 このままでは腹部どころかあんなところやそんなところまで破ててしまう。

 その前にここを出るんだ!


 にしても、タクトは本当に姉様に惚れ込んでいたらしい。


 いまさら後悔しても仕方ないけど、やっぱり申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 ここで私が立ち去ったらタクトは「マーガレットは生きていているんだ。はやく見つけ出せ」と死ぬまで言い続けるかもしれない。


 ランが叶えてくれる願い事は一日一つだから毎日マーガレット姉様にしてもらえばタクトの願いを叶えてあげることもできる。


 しかし、いずれはバレてしまうだろう。

それに加え、私はを見てもらってそれでタクトと結婚したいという到底叶いそうもない願望があるのだ。


 ならば⋯⋯。

 必死に頭をフル回転させる。


「私は幽霊なのよ」

 その言葉を発してから案が頭の中でまとまる。

 よし、これなら⋯⋯


「幽霊⋯⋯ですか」

 ポカンとした顔でそういいうタクトにコホンとひとつ咳払いしてから語り出す。

「ええ。私、マーガレットはとっくのとうに亡くなっているのです。しかし、あなたにお礼が言いたくここに参上仕りました。あの時はありがとう」

「いえ。そんなこと⋯⋯」

 そういうタクトの表情は悲しげだ。

 そんなタクトにこんなことをいうのは実に酷だが⋯⋯

「あの時、あなたは私にプロポーズしてくださいましたね」

「はい」

「私はもう亡くなってしまったのでそのプロポーズに答えることは出来ないのです」

「⋯⋯はい」

「なので、私の妹のコトネが、私の代わりにあなたの嫁となりますわ」

 この場でこんなことを切り出すなんて汚い?ええ、そうよ。私は没落貴族な上に何年間もずっと一人で貧しい暮しで耐えてきたの。汚くなって当然だと思うしその汚さに誇りさえ覚えているの。

 逆境さえもチャンスに変えて、なんとしてもタクトと結婚しないと⋯⋯。それこそが私が今まで踏ん張ってきた意味なんだから。

「⋯⋯はい。⋯⋯⋯⋯はいぃぃ!?」

 なんて奇声をあげるタクトに微笑みかけもう一度言葉を紡ごうとした、その時。

 ビリッ

 そんな音が二人きりの部屋に響く。

 仏のような笑みを浮かべつつ自分の体に目をやれば二の腕部分に比較的小さめな穴があいていた。

「え⋯⋯⋯⋯」

 完全に固まっているタクトに仏のような笑みを向けるとスッと立ち上がる。

「ああー、どんどん消えていってしまうー。嫌よー、まだこちらの世界に居たいのにー」

 なんて棒読みでいいながらジリジリと扉に近づいていく。

 タクトはもう言葉も出ず、という感じで呆気に取られている。


「ありがとう。素敵な人と結婚して末永く幸せに暮らしてね」


 扉に手をかけてそういう。

 これは、紛れもない姉様の言葉もの

 最後にちゃんと姉らしく出来ただろうか。なんて野暮な疑問もすぐに消える。


「では」

 そういうとバッと扉をあけ必死の形相でかけ出す。

 道ですれ違う召使いさん達の驚愕の顔といったら⋯⋯。

 まあ、目の前から腹部を押さえたすごい形相の美女(今も姉の顔でいられているのかはわからないが)が駆けてきたら普通に驚くよね。それで二度見したら腹の肉が丸見えになってるっていうね。

「ははっ」

 自嘲気味な笑いが口から漏れて、自分の姿がより一層不気味になっていく。


 出口どこだよ⋯⋯。

 はやく出ないと危うく刑務所行きだよ。そう思った矢先、エントランスホールへ続く道を発見する。

 慌ててその道に駆け込み懸命に走る。


 あと、あと少しーー。


「お兄様ーー!ミア、ただいま帰りましたーー!!」


 まっすぐに見据えていた扉が開かれ、女の子が入ってくる。

 なんで、このタイミングでくるかな。

 しかしもう勢いを止めることは出来ないのだ。

 私はまっすぐその女の子に向かって(扉に向かって)駆けていく。

「どいてええええぇぇぇ」

「キャーーーーーーー!!」

 耳がつんざけるような甲高い悲鳴をあげる女の子。悲鳴をあげるのに夢中で道をあけようとかいう気は一切ないらしい。

 このままでは女の子に思いっきりぶつかってしまうのだが⋯⋯。


 しかし、いざぶつかりそうな距離になると反射神経と己の命を守ろうとする人間の本質的な部分でサッと道をあけてくれる女の子。


 よし!やっと出られる!!


 外に飛び出した私を待っていたのは、門の前に列をなす貴族の男の大群。


 タクトの出待ちをしていた女の子と似ていてるかも。

 なんて思ったのもつかの間。私はためらうことなく門にかけていく。

 周囲の声なんて耳にはいらない。

 頭の中は「お腹のぜい肉をみないでくれ」ぐらいのもの。

 

 大きく頑丈な門は今閉ざされていて開けられそうにない。

 となれば⋯⋯。


 私が目をやった先には門のサイドにある綺麗に切りそろえられた植木達。

 私は植木の枝に足をかけ意地と根性で植木を飛び越えなんとか外に逃げ出すことに成功した。

「ふう⋯⋯」

 そう一息ついたとき、やっと周囲の声が耳にはいってくる。


「だ、誰だあれ⋯⋯」

「貴族なのか?」

「いや、違うだろ」


 良かった。ぜい肉に関しては何も言われてないみたいね。


「皆さん!その不審な者を捕まえてください!!」

 金切り声をあげた女の子のものと思わしき声が辺りに響く。

 途端に男共は騒がしくなった。


「ニア様が俺達に話しかけてくださった!?」

「ニア様可愛い⋯⋯。あいつを捕まえればいいのか」

「不審者って明らかにあいつだろ」


 うわあ⋯⋯。これはかなりまずい展開に⋯⋯。

 慌てて駆け出す私。


 ああ、もう疲れたよ。ゆっくり休みたい。疲れた。休みたい。疲れた。休みたい。頭の中を埋め尽くしていく疲れたと休みたい。


 しかし、そんな欲も没落貴族としての意地には負けた。


 毎日毎日召使いに世話されて美味しいもの食べて美しいものに囲まれている貴族。

 そんな奴らに負けてたまるかってんだ。

 没落貴族をなめるな。


 後ろから聞こえてくる貴族の男共の唸り声。全てを背負ってひたすらに駆ける。


 やってきたのは市民街。

 建物がいくつも建っていて道も複雑。ここなら確実にまける!


 勝機がみえてきた勝負ほど燃えるものはない。

 私はいくつもの曲がり角をまがり全力疾走し続けた。

 市民の皆さんの目は痛いが気にしている場合ではない。


「はあ⋯⋯」

 男達の声が聞こえなくなってきて、やっと一息つく私。

 たどりついたのは下水道付近のお世辞にも綺麗とはいえない場所。

 しかし文句を言っている場合でもないので、そこに腰を落ち着け目を閉じる。


 これからどうしよう。

 マーガレット姉様になってタクトに近づくことは出来たけど特に有益なことはなかった。

 いや、マーガレット姉様の姿で「私でなくコトネと結婚して」と言えたのは大きかったかもしれない。


 とりあえず明日にでもタクトに会いに行こう。


 そんなことを思いながら私は気づかぬ間に眠りについた⋯⋯。



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