恋滝参りさん。見合い席

 パンパン

 拍手が響く。願う事、想う事はそれぞれ違えど、宮澤祥子みやざわしょうこは無事に上手く事が進むのを望んだ。

 パンパン

 拍手が響く。隣に並ぶ背の高い男、白川佑しらかわたすくは一心に己が呪われない事を祈っていた。

 パンパン

 拍手が響く。今回の仕掛け人、秦野祝はたのはじめはこの後何処に飯を食いに行くか、悩んでいた。


 境内は平日というのもあってか、穏やかさに包まれていた。仲人役であった彼等は早々と外に放り出されて、致し方なくこうして参拝し、時を潰している最中でもある。今頃は本殿より通ずる奥の座敷で、当人同士、顔を合わせている事であろう。

 立派な社殿の向うには、ものの見事な青空が広がっていた。











 文夏は、あれからずっと片時も離さずに、写真を眺め続けていた。

 はにかむような、優しい笑顔。どちらかと云うと初々しいと表現した方が良いのかもしれない。

 初めはあまりの可愛さに、女の子だと思っていた。でも、よくよく見れば、男の子なんだって事に気付く。

 なんで男の子なんだろう。素朴な疑問が、文夏の心に浮かんでくる。なんだけれど、それ以来気になって気になって、仕様がなかった。

 念の為に白川先輩にも確認を取った。それで男子に間違いない、と言われ。微妙な気分のまま、日付だけが過ぎていく。

 ふぅ、と息を吐いて、文夏は天井へ視線を投げた。




「こちらへどうぞ。」

 物腰も柔らかく、案内してくれた彼は、何だか清己さんによく似ていた。

「ぁ、有難うございます。」

 軽く会釈し、文夏は座敷の中へと足を踏み入れる。

 通された部屋は12畳もある、文夏には広い和室だった。

 畳一枚以上有りそうな大きな座卓に、座布団が向かい合って二枚。その片側に勧められるまま、ちょこんと腰を降ろしてみる。

 案内してくれた彼は「もうすぐ来るから」と言って、爽やかに笑顔を残して廊下の奥へと消えていった。

 清己さんも、あんな感じの良い人かな。そんな事でも文夏の心は浮き足だった。

「………はぁ。」

 しかし、溜め息しか出てこない。

 見回す限り、それは文夏には場違いな場所、だったからだ。

 豪華かどうかは分からないけれど、重厚な趣を感じさせる立派な調度品が、絶妙に在るべき処へ置かれている。それだけでもう、家柄の格が違うのだと文夏は感じた。

「……………。」

 廊下側にまで首を回すと、既にそこには清己が立っていた。

「あ……、」

 全く気付かずに、文夏はぽかんと口を開けて室内を鑑賞していたのだ。変、もしくは馬鹿な女だと思われたに違いない。

 文夏は真っ赤になって俯いた。

 清己は何も言わずに、用意された向かいの座布団にきちんと正座をし、背筋を正す。

 その凛とした構えに、文夏はつい恍惚の色を眸に浮かべ、目の前の男性に見入ってしまった。

「藤野、文夏さん。でしたね。」

 男性特有の低い響きが、静かに座卓の上を流れる。瞬時にして頬に紅を点す女性を前に、やれやれ、と清己は嘆息を吐いた。


 清己も仕組んだのが祝だと、前以てわかった時点で断るつもりでいたのだ。

 それが既に無理な状況でも、相手の女性に会った時点で断るつもりだった。

 目の前の「藤野文夏とうのふみか」という女性に好意を持たれていると人伝に言われ、けれども清己は未だに燎を想っており…。

 それ故に、色事見合い事は、清己には全く興味が無いものであった。

 唯一、相手を勧めるのは母親だけで、他の連中なぞとっくに見放している。

「御足労頂いたのに、申し訳ないが、俺は…」

 その話の腰を折るように、一枚の写真が差し出された。

「…あのっ、この写真の人…、恋人だったんですよね!?」

 無我夢中で差し出した写真。文夏は息を飲んで声を詰まらす清己に、ああやっぱりそうだ、と確信する。

 出された写真を見て、言い様のない想いに清己は駆られた。


 懐かしい笑顔、だ。

 そして忘れもしない、愛しい人。


「……………。」

 長い沈黙を重ね、今一度呼吸を整えてから、清己は落ち着いた声で文夏に尋ねた。

「この写真は何処で?」

 一応、出所は確認しておこう。清己はそう考えて、文夏の双眸を見た。だがその熱く縋るように向けられた視線に、再び閉口してしまう。

「あの、良ければ彼の事…聞かせて下さいませんか。」

「………。」

 何故。言いかけて、訊いてどうする、と脳裏を落胆と杞憂が交差する。彼女と燎に何か関係があるとでも云うのだろうか。

 それとも、燎を肴に会話を進めるつもりだろうか。はっきり言ってそれは清己の癪に障る。

 清己はまじまじと、文夏の事を見詰めた。文夏は清己の…決して責める訳ではないが、そんな強い視線に、少し俯いて話し出す。

「バッカみたい、ですよね。写真でしか見てないのに、何だか私…ずっと気になって胸がドキドキするんです。」

 その恥じらう顔は全くもって恋する乙女の笑顔であった。

 胸がドキドキする、か。

 よく考えて、考えた末に、は? と面食らう。

「もう亡くなってらっしゃるんですよね。あんなに素敵な笑顔を見せられるのなら、きっと素敵な方だったんだろうなって。」

 誰の話をしている? はにかむ笑顔を見せて話す文夏の姿は、恋する相手を想い描いての仕草に近い…。

 憮然とした心持ちで、清己は文夏の事を見てしまった。

「あ、やだっ。御免なさい。私ばっかり。」

「…いや。」

 一応苦笑いするも、何か釈然としないものを、清己は感じずにはおれなかった。






 気まずい、な。

 そんな雰囲気が続いていた。黙ったままの清己を眺めつつ、文夏は差し入れられた冷茶に手を伸ばし、一口口に含む。

「あの、ですね。」

 沈黙に耐えきれなくなったのは、文夏の方だった。埒が明かないのもそうだし、黙っていればいる程、余計な事を考えてしまって、良くない。

「清己さんが好きになった人って、どんな人なのかな、って、ずぅっと思っていたんです。」

 俯きながら、恐々文夏は呟いた。写真を見て、始めの内はそう考えていた。考えれば考える程に、思いと想像が交錯していったのも、否定はできない。

「でもその内、こんなに素敵な人と想いを通じ合わせた清己さんって、どんな人なのかな、って思う様になったんです。」

 ごくりと息を飲んで、文夏は眼を瞑る。

 清己はただ黙って聞いていた。

「彼…確か倉渕燎くらぶちりょうって仰有るんですよね。」

「…ああ。」

 口を閉ざしてからの、清己の声はとても重みを感じた。

 何だろう、この重みは。

 でもそれは考えるまでもなく、清己の燎を想う深さなのだ、と直ぐに気付いた。

 文夏は、そんな二人の想いに自分が立ち入って良いものなのか、躊躇ためらった。でも“知りたい”という、己の欲求にも抗えない。

 迷いに迷った末に、その答えを清己に求めた。

「…あ、の、」

 向かい合う清己の眼が、フッと笑った気がした。それを見て、文夏は緊張がすっと解れ、つかえていた言葉が素直に表れる。

「聞いても良い、ですか。この人の事…」

 文夏の声は、素直に清己の胸に入ってきた。

 彼の…燎の話を聞きたいと言われたのは初めてだ。況して興味本位でなく。多分本気なんだろう、と思う。

 気持ちを落ち着けるように息を吐き、手元の写真に視線を落として呟いた。

「…彼に会ったのは、あの滝が最初なんだ。」

 ほんの少し、ズキリと胸の最奥に痛みが走る。清己はその痛みを押し止めて、淡々と語り出した。



 初めは、その響く声に惹かれたのだと思う。あの淵は元々あまり人が近寄りたがらない、暗い場所だったのに、彼は毎日訪れていた。

 竜神の仔。そんな風にも彼は呼ばれていた。

 彼の生い立ちは、その奇異さから陰で噂になることが多く、特に彼の養親が入院してからそれは、より顕著になった。

 いつも、独りだったんだ。彼─燎は。



 その時の燎の寂しげな眸を思い出し、尚一層胸が締め付けられる。

「大丈夫ですか?」

 気遣う文夏の眸に、大丈夫だと応えて、清己は一旦大きく息を整えた。



 燎と親しくなって、独りでいる彼の力になりたいと、無二の友になることを誓った。

 だが、その想いは違っていたんだ。

 燎を守りたい、大切にしたいという想いが強くなると同時に、何処かで独占したいという浅はかな欲望がひしめいて、結局彼を追い詰めた。

 それが─



 完全に清己は言葉を詰まらせた。どれだけ周りが「仕方の無かった事だ」としても、清己は未だに忘れられない。

 あの橋の上で泣き叫ぶ燎を受け止めた時の感触を、堂の中で冷えた身体を温めあった情熱を、そして暗い滝道を固く手を取り合って登ったあの絆を、忘れ去る事など出来ないのだ。

 これは罰なんだ。燎を死の路へと誘った己への、贖いきれない罰。

 だから生きるのがどんなに苦しくても、逃げ出したくても、それは許されない。

 他ならぬ自分が、自身を許せないからだ。


 声を殺す清己の姿を、文夏は暫く黙って見詰めた。

 見つめて、少し遠くに想いを馳せてみる。

 彼ならきっと─直接会ったこともないし、目の前の清己さんの方が私なんかより、余程彼の事を知っている。

 でも。

 想いを何度巡らせても、出てくる答えは同じ。きっと彼の人も同じ筈。

 文夏は清己のいる側へ回ると、顔を伏す清己の両手を手に取った。

「生きていてくれて、有難う。」

 唐突なその言葉に、清己は顔を上げた。そこには精一杯の笑顔で励ます、文夏の姿がある。

「多分貴方に生きていて欲しかったんですよ、燎…さんは。だから、もしかしたらそう仰有ったんじゃないかと、ね。」

 それ以上の意味も、それ以外の意味も、きっと必要ない。ただ貴方がこうしてここにいる。それだけで十分なのだ。

「今度、一緒に淵にお参りに行きませんか?」

「どうして…」

 縋る様に見つめる瞳が、文夏に迫って責め立てる。

 その逼迫ひっぱくさに少し気圧されつも、文夏は一息置いて、恥じらいを交えた満面の笑顔ではっきりと言い切った。

「だって清己さん、貴方の事が好きなんですもの。」

 その笑顔に、何故か燎の笑顔が重なって見える。

 長く抱えていたしこりが馬鹿らしくなる程、清己の心は晴れ晴れとした。

「…済まない。」

 済まなかった。伏せた瞼の下から、涙が溢れ止めどなく流れ落ちる。

 死に追いやったと悔いる一方で、俺は…燎、お前に生きてて欲しかったんだ。

 それに気付かせてくれた彼女の想いに、また彼女のいう通り、こんな俺を愛してくれた燎に、そして彼女─文夏に。

 有難う、と。

「清己さんの手って、大きいんですね。」

 文夏の声が耳に届く。優しく包み込むように重ねられた彼女の手は、とても温かみがあった。

「…そう、かな。」

 添えられる様に零れた清己の声にも、優しさが滲んでいた。


 幾久しく。後に文夏と清己はこの馴れ初めを経て、愛でたく結ばれる事となるのだが。

 仕組んだ張本人をも驚かす早業で、秦野祝に地団太を踏ませた事はあまり知られていない。

 白川佑は文字通り、龍神様が取り持った縁とし、これなら祟りに見舞われないとぬか喜んだ。


 そして、恋人ヶ淵に仲睦まじく、寄り添い佇む二人の姿が目撃されたのは、云うまでもない。


 人の縁とは奇なるもの。だからこそ─




     ─ 了 ─

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