恋滝参りに。日帰りツアー
「平日に来れば良かったんじゃないですか。」
「それじゃあ人の混み具合が分かんないでしょ。」
車を降りて早々、一行は観光地化されつつある滝道の土産物屋の前で談義をしていた。
トイレ休憩を兼ねた20分間、残ったメンバーでプレゼン用の写真もしっかりと押さえておいたし、後は皆で恋愛成就の隠れたスポットとして注目度上昇中の、恋人ヶ淵への所要時間を計るのみ。
都心からも日帰り圏内で組める手頃なバスツアーになりそうだと、意気揚々であった。
「しっかし、白川君。こんな良いところ知ってたなら、もっと早く教えてくれるべきだよ。」
うん、と一人相槌を打ちながら、上司の
そう言われても、観光地化された元の話を知ったのは、
そんな心中未遂事件があったのも、『恋人ヶ淵』で呼ばれるようになった事も、元々そういう世事に疎い者には仕様がない。
だからむしろ困惑したのは白川自身だった。かつての滝道を知る者としては、ここまで道が整備されて土産物屋まで並んでいるとは、想像もつかなかった。
「そろそろ出発しますよ。はぐれないで下さいね。」
先導役の
白川も宮澤も最後尾に就いて、一行の後に続いて行った。
恋滝参りとは、今ネットで流行りのパワースポットだった。
正しくは清龍滝の「清滝淵」というのだが、あるブログの感動秘話的な実話より、今や恋人ヶ淵の通り名で有名である。
「意外とちゃんとした道になってるじゃん。」
手摺もつき、鬱蒼と繁った樹根だらけの狭い沢道は、歩きやすい策道に変貌していた。昔はあまりの薄暗さと薄気味の悪さに、参る者など居なかったのに。
「………。」
いや、例外が二人いたな。
白川は無言で宮澤の後を追う。昔からここは、そういう意味でも不可侵的な領域なのだ。
地元で育った者にとって、余りにその出来事は有名だった。
「いやぁ、良い所じゃないか。なぁ、白川君。」
昔の通り名を思い出し、引き攣りながらも愛想で無理矢理笑顔を作る。白川は大仰に、上司には見えないように溜め息を吐いた。
かつて其処は、死人ヶ淵と呼ばれる暗く深い淵があった所。
無論それは今でも其処に存在する。だが。
滝の下まであと一息と言う所まで来て、白川は目を剥いた。
「ん、何だ。あれは。」
滝壺より続く例の淵の前で、黒スーツのいい年した大人が酒盛りをしているのだ。
落下防止の柵を背に、男二人、ぐびぐびと盃を呷って談笑している。いや、笑っているのは一人だけのようであったが。
「どうした、白川。もしかして、知り合いか?」
白川の異変をいち早く察知した宮澤は、にまりと笑って白川を覗き見る。その動作に抵抗し、何気無い素振りで上司宮澤の脇をすり抜けた。
「こらぁ、白川ぁ。つれないぞぉ。」
ぷーと頬を膨らます宮澤の声を尻目に、白川は祠前でツアーの目玉の龍神様にお参りしている藤野の元へ駆け寄った。
「よう。上手く記事、書けそうか?」
「あ、白川先輩。」
藤野は慌てた様子で視線を祠に戻し、それから白川へと移した。
少し気も
「恋愛成就の龍神様って、本当に…御利益ってあるんですね。」
そう呟く彼女の視線はチラチラと滝壺より流れ出た水を追って、淵の方へと流れていた。
時折はにかむ様に頬が赤く染まる。決まってあの男二人の所だ。
「お前さ、何か願い事したのか。」
内気で、彼氏いない暦は片手では到底間に合わぬ。容姿も悪くは無いのだが、如何せん性格が他の人間とは多少、で済むのか謎ではあるが、ずれている。そんな藤野は俯いたまま、もじもじと恥ずかしげに口篭る。
「………。」
「…一目惚れ、か。」
藤野の事は白川もよく知っている。それは運悪くも彼女の恋愛の好みも含めて、だ。幸い周囲の人間には目もくれず、二人だけで世界を作っているあの黒スーツ二人組は、この祠前からでもその容姿はさぞやよく見える事だろう。
陽気な男の方は知らんが、もう一人ならきっとまだ独身だ。藤野の好みと合うだけに、言うべきか言わざるべきか、白川には頭の痛い話だった。
「あいつは………止めとけ。」
「先輩、知り合いなんですか。」
他人の言った言葉は聞かず、瞳をキラキラと耀かせて訊ねてくる。言うんでは無かったと、若干の後悔を引きずって、白川は溜め息混じりに話をした。
「ああ。ここの水流を管理している神社の三男坊だよ。相坂…清己、という。」
名前を聞いただけで、それはもう薔薇色に顔貌を紅潮させる藤野に、水を差すようで悪いがこれも言っておくのが藤野の為だ。
白川は極力藤野を見ない様にして言った。
「でも相思相愛で想っている奴がいるからな。止めとけ。」
「………。」
無言の藤野に白川も沈黙する。仕方がないだろ、と白川は天を仰いで、所在無い視線の行き場を狭い空に求めた。
「なぬなぬ?どうした。お二人さん。」
すかさず背後から、最も厄介な相手─つまりは上司の宮澤なのだが、逃すまじと並ぶ二人の両肩を掴む様にして、間に頭を突っ込んできた。俯いたまま、身を縮めて体を震わす藤野の様子に、宮澤は怪訝に眉を寄せた。
「白川…お前、文夏を泣かせたのか。」
睨むような視線が痛い。少なくとも俺のせいじゃない、と白川は心の内で毒づいた。
「ぁの、そ…の、違…うん…です。」
うなじを紅く染めたまま俯いている藤野が、俯いたまましどろもどろに声を震わせ、言葉を詰まらせる。それが余計に誤解を招くと、白川は声を大に叫びたい。
はっきりと泣いてないと言ってくれ。泣いてないなら。そう願いつつも、自信無さげに諦め顔を宮澤に晒した白川は、にまりと笑う宮澤と視線があった。
「あぁ、とその、な。」
今度は白川の言葉の切れが悪くなった。
「で、そうだな。差し詰めあの二人って所かな。」
ぐるりと周囲を見回して、ピタリと藤野の惚れた相手を宮澤はいい当てる。
宮澤も藤野とは深い付き合いだった。
「応援するぞ。白川がいけずしても、私が無理矢理言う事聞かせてやるから。」
空恐ろしい台詞を吐いて藤野を励ます宮澤に、思わず身震いをし、白川はそそくさとその場を離れた。
くわばらくわばら。障らぬ神に祟り無し、だ。俺はまだ祟られたく無い。
白川の心の叫びは、清龍滝の轟音がものの見事に消し去ってくれた。
帰りの道中も
「まだ独身でしょ、チャンスよチャンス。」
「でも、私みたいな子、好みじゃ無いかもしれないし。」
藤野の奥手は有名だ。その割に恋愛好きと来ている。正直白川には理解できない分野だ。
下の土産物屋まで来て、白川は己が呪われていると思い知らされた。
「よお、佑だよなあ?」
声をかけてきた相手はあの黒スーツの男、
通称、お祭り男。こいつに拘わるとろくな事がない。白川はそう記憶している。
「おや、先程淵の前にいた方ですね。初めまして。私達はこういう者です…」
すかさず始まる上司宮澤の名刺交換。その間にも本当は逃げ出したい白川は、逃げる事も許されずにしっかと藤野に拘束されてしまった。
「先輩…、白川先輩。」
もしかしたらもう一人の男…相坂が近くにいるかもしれない、と涙目で縋り付く。そんな藤野を宥め、白川は自不運の愚かさに溜め息を吐いた。
もうこうなったら逃げ場はない。気は全く進まないが、白川は祟られる覚悟を決めた。
「藤野、お前さ。真面目に頑張ってみる気はあるか。」
「先輩、何をですか。」
白川は胸ポケットから、持ち歩くだけの手帳を取り出し、挟んであった写真を差し出す。
「誰…なんですか、この人。」
見せられた写真を指差し、藤野は尋ねた。白川はそれこそ
「相思相愛の…相手方だ。恋のライバルの顔ぐらい、知っておいても損はないだろ。」
やるよ、と言い、ついでにこれも教えてやる。
「そいつがさ、今流行りの龍神様だぜぃ。」
軽く滝の方角を指差して、はてさて寿ゴールに辿り着ければ良いな。と白川は笑う。
そう、ライバルは手強いものだ。何せ、藤野が相手にするのはあの恋人ヶ淵の龍神様だからな。
少し気の毒な気もする。だが、挑むのなら知っておくべきだろう。
既に三々五々に散った観光客に合わせて、店も仕舞う準備に入る。滝道前は元のひっそりとした佇まいに戻っていった。
何だか意気投合しているように見える宮澤の相手を睨みつつ、白川も一歩足を踏み出してみる。
「祥子ぉ、帰るぞおぉっ!!」
「こぉらっ、仕事中は名前で呼ぶなって、言ってるだろうがっ」
そう返す宮澤の顔が仄かに赤く染まっていたのを、白川は満足そうに微笑み見て、それからくるりと車に向かって移動した。
恋人ヶ淵の効果かどうかは知らないが、確かに人を結びつける何かが、そこには在るようだった。
『結ばれぬ恋の絆も、結びます。近くに御出の際は是非、恋人ヶ淵へ。』
─ 了 ─
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。