第7話 感情の行方
餌やり体験以外にも、間近で観たり触れたり出来る空間は設けられており、始終二人は無邪気に声を上げていた。一方で祐河は保護者のように、二人の後をついて回る。
直己を挟んで、祐河と芳は顔を合わせていた。直己に向いている芳の視線が、時折祐河と結び合わさる。
「楽しいですね。」
「はい。俺、メチャ嬉しいです。」
芳さんに楽しんで貰えた事が、何より直己は嬉しかった。
そんな直己越しに送られてくる芳の視線を、祐河も困惑しながら受け取る。満喫する芳の笑顔は、どちらかと言えば祐河を誘っているようにも見えた。
「あ…。芳さん、ちょっと待って。」
猛獣エリアだと気付いて、直己は引き止めた。が、芳は気にせず進んでいく。
程なく芳は自ら立ち止まった。わかってはいたものの、やはり目にすると足が竦んでしまった。
咆哮を上げてはなかったが、ホワイトタイガーの立派な体付きは迫力満点だった。
「おー、すげー、」
珍しく愛想良いホワイトタイガーの熱烈な歓迎に、直己は紅潮して声を上げた。半分位、直己を前に押しやる様に芳はその背に隠れる。何か縋ってくるような芳の仕草に、頼られている感じを受けて直己は気分を更に良くした。
「大丈夫ですよ。俺が傍に付いてますから。」
力強く声を出して言う。直己の言葉に、芳は小さく微笑で頷き、応えた。
「もう少し先へ行ってみましょうよ。」
リードする直己に、張り子人形みたいに芳は小刻みで縦に首振る。小さく縮こまった身体は、手を繋ごうとする直己とは裏腹に芳の指先を隠してしまい、どうすることもできない。
「芳さん、」
困惑する直己を他所に、すっかり固まってしまった芳に寄り添う形で、祐河は芳の真横に並んだ。力を抜いた手を芳の手元に添わす。
その存在に、芳は指を伸ばしてぎゅっと握った。そんな芳の手を祐河も支えるように握り返す。少しは安心したか、芳の身体が緩んでいくのが見て取れる。
「行くか?」
芳は隣を見上げて、微かに頷いた。
直己は、苦笑いで二人のやり取りを目撃していた。
一通り回って、元の入場口近くまで戻ってくる。三人はそれぞれに満喫した。
先程まで授乳の様子を見学していた芳は、まだ興奮気味に顔を紅潮させている。
ぬいぐるみみたいで、猫と仕草はそんなに変わらない、ライオンの仔。ちっちゃくても一丁前に咆哮を上げる。怖いけど、可愛い。
大人のライオンは芳の予想より大分違っていて、木陰でのんびりと横になっていた。
「俺、こんなに楽しんだのって久しぶりですよ。」
芳に笑顔を向けて直己は嬉しそうに語った。ぎこちない歩きの芳を気遣いながら、礼を言う。
「でも、ライオンの赤ちゃん可愛かった。」
ほわん、と頬を緩めて芳は笑った。緊張した体もすっかり解けて、仕草が柔らかくなる。
芳自身はマスターの言う通りに、心の行動を起こしたつもりだ。自分が笑う事で祐河を、そして直己を喜ばせたい想いがあった。
自分を好きだと言ってくれた人達に、応えたい。自分自身が本当の笑顔になる事で。
「ところで、そろそろお腹空きませんか?」
「え、」
「何か
食欲が、ね。と、照れ臭そうに芳が言う。芳と間近の直己は、そんな芳の仕草にまた恋心を撃ち抜かれ。アイコンタクトを交わす祐河は、優しく微笑を返し、ランチを広げられそうな場所を探し出す。
祐河が定めた視線の向きに迷わず進む。そんな芳に連れられる直己は、少しだけ歯痒い表情を浮かべた。
芝生の敷かれた広場に出て来ると、家族連れやらがシートを広げてピクニックを楽しんでいた。芳は二人を誘い出す様に、空いている場所を見つけて腰を下ろす。
「ね、ココ。いいでしょ?」
見上げてくる芳の眼差しに、痛いくらい胸が跳ねる。直己は突き上げる思いを飲み込み、誘われるまま隣に腰を下ろす。祐河も空いている芳の片側へ座り、体の力を抜いた。
無邪気に笑みを浮かべて、芳は直己に目を向けた。
「栖原さんには色々お世話になったし。今日はちゃんとお礼したいな、と思って。」
そう言って、芳は肩に提げていたトートバッグの口を大きく広げた。納められていたバスケットを取り出し、蓋を開く。
「お弁当、作ってきたんです。」
良かったら、と芳は勧めた。直己はバスケットの中を覗いた。
具材たっぷり入った数種類のサンドイッチが、綺麗に並べられている。
「凄い…。芳さんの手作りなんですか。」
「僕は少し手伝っただけですけど。」
はにかみながら、小さく頷く。味付けとカットは全部祐河が担当し、芳が行ったものは、少数の具材の下拵えとパンの間に挟んでいく作業だ。
とはいえ直己は芳が作ったものだと思って、サンドイッチにかぶり付く。
「ン!!凄く美味しい!!」
その直己の笑顔に、芳は同じだけ顔を綻ばせ喜んだ。
「祐河も。どれにする?」
手近に芳の手中にあるサンドイッチを指差し、これでいいとそのまま受け取る。祐河が口に運ぶのを見て、安心したように芳も食べた。
「ん、美味しい。」
そんな芳に、直己は見ぬ振りで視線を流し変え、次のサンドへ手を伸ばした。そして思いっ切り齧り付く。
「んー、これも最高!!」
そんな直己の声と共に、ちぐはぐな勢いで大量にあったバスケットの中身が減っていく。他愛のない会話と二人の笑顔が直己を取り囲み、それらも飲み込むように、夢中で直己は頬張った。
「そんなに慌てなくても…」
喉詰めないで?と気を揉む芳に、平気だと軽く笑う。早食いは慣れているので、この位じゃどうという事も無い。直己はがむしゃらに食べ続けた。
あっという間にバスケットも空になり、用意していた飲み物も空になる。
「ご馳走様。」
ひとまず手を合わせたものの、もう少し喉を潤したいと感じる気温が三人を囲んでいた。直己も僅かに残る液体を少しでも取り込もうとあおる。
そんな様子を受けて立ち上がる祐河を制して、芳が勢いよく応えた。
「何か飲み物買ってくるね。そこで待ってて。」
軽やかに笑顔を残して走っていく。その後ろ姿を
男二人。祐河と取り残された直己は、手持ち無沙汰のまま並んでいた。少し距離を置いて、花壇の柵に凭れる。
嫌な気分が直己を支配していた。顔には出さない様に気を付けたものの、恐らく相手には伝わっている。そんな気配を、勝手に直己は想像していた。
「…刑事、さん?」
不意討ちの祐河の呟きに、直己はゾワリと鳥肌が立つ。
「…何で、ですか。」
フッと力を抜いた微笑を浮かべ、祐河は直己に答えた。
「いえ、何となく。」
意味深に笑われている気がする。そう思えば癪に障る。が、前に向き直った祐河の横顔は、不思議と違う面持ちを見せていた。
直己はじっとその横顔を見つめた。
「…もし。」
呟きに似た、けれど強い意志を持った声に、直己は引き戻された。
「良ければこの先もずっと、芳の傍に…彼の力になってやってくれませんか。」
「…はい?」
「気が置けない友人が必要なんです。」
祐河は通路を挟んだ先へ視線を向けたまま、直己の眼は見ずに言った。随分失礼な話し方だな、と注意をしてやりたくなる。けれども直己も祐河が見つめる視線の先に目を向け、そして気付いた。
芳が飲物を買いに走って行った方向だ。
憮然とした祐河の瞳を見て、直己は釈然としない気持ちをもて余す。だから祐河の言葉には答えず、代わりに思い切って直己は問い掛ける。
「俺も訊いていいですか。」
祐河の視線が、漸く直己の方を向いた。
「アンタは芳さんの…彼氏じゃないのか?」
険を含むその声音が、周囲の雰囲気に反して響いた。僅かに、祐河の瞳が揺れた。お互い次の言葉を発する機会を窺うように、牽制する視線が飛び交う。
そんな二人の均衡を破る、絶妙なタイミングの芳の声が、通路の方から響く。
「お待たせっ!!」
声を張って駆けてくる芳を見ながら、祐河は直己に答えた。
「俺は
その言葉に直己の感情が弾かれ、余計に気持ちの整理がつかない。芳が到着した為、結局問い質す事が出来ず、飲み込むしか無かった。
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