第2話 悪戯に揺れる不安定な心

 幸か不幸か、再会は同じスーパーだった。

「あ、」

「また、会いましたね。」

 瞳を輝かせて、嬉々とした笑顔で直己は答えた。芳は尻込みしながらも、愛想笑いで返す。帰り際の雨空に足を止めてしまった芳には、直己を拒む理由も見つからない。

「雨、少し収まるまで、お茶でもしていきませんか?」

 勿論これ幸いとばかりに、直己は芳に声を掛けた。仕方がないので、芳もその提案に乗った。


 スーパーに併設されたフードコートの一角で、二人は向かい合わせに腰を掛ける。

 本当なら、喫茶店にでも…と思ったのだが、身構えた感じの芳を無理に誘うのは、直己も気が引けた。

 注文し受け取ったコーヒーを手に、直己は切り出す話題に迷う。

「雨…止みませんね。」

 直己から少し目を反らし気味の芳が、窓の外を見て呟いた。

 その表情が物憂げで、直己は心が惹き付けられる。

「雨は、嫌いですか。」

 直己の問いかけに、曖昧に、芳は笑って誤魔化した。

 折角、芳が会話の口火を切ってくれたのだ。絶やすわけにはいかないと、思い付いた物事を声に出してみる。

「ええと。芳さんはこの近くにお住まいなんですか?」

 一瞬、ビクリと芳の表情が曇る。私生活を明かすみたいで、芳の胸は震えた。その表情の変化に、直己もすぐに気付く。

「あ、済みません。」

 どう会話を進めれば良いのか、直己はしどろもどろに戸惑った。

 芳も返答に迷った。

 困った眼での微笑みに、直己も不躾だったと反省し、頭を垂れる。

「俺、馴れ馴れしかったですね。下の名前で呼ぶなんて。」

「いえ、」

 構いません、と芳は頷く。その言葉に直己は一気に憂から喜へ、表情が移る。けれど、少しでも親しくなるにはどうしたら良いのか。直己は大いに悩んだ。

「栖原さんは、良い人なんですね。」

 誰かの力になりたいと、真剣に思い、悩む。そして、多分力になれるだけの実力を持っている。そんな風に直己は芳の瞳に映った。

「俺が、ですか?」

 言い過ぎですよ、と笑って直己は謙遜した。が、芳にそう言われて、嬉しくて仕様がない。すっかり舞い上がって、頬が緩みっぱなしになる。

「芳さんも十二分に素敵ですよ。」

「有り難う、ございます。」

 お世辞と受け止めて、芳も笑顔を返した。


 雨脚が大分弱くなったのを見て、芳はそろそろと腰を浮かせた。直己も名残惜しさはあるものの、あまり引っ張って印象を悪くしたくない。そんな気持ちが前に出て、お互い店を出る事になった。

「良かったら、これ使って下さい。」

 携帯用折り畳み傘を、直己は差し出した。

「この位の雨なら、十分役立つでしょうから。」

「え、でも…」

 強引に芳に手渡す。そして自分は濡れるのを承知で、小雨の中へ走り出た。

「じゃあまた。」

 振り向き、爽やかに手を降って、芳に挨拶をした。これでまた、芳に会う口実が出来る。そう思えば、降り注ぐ雨粒さえも、弾けて楽しい。

 走り去っていく直己の姿が遠くなる。最早声を掛ける距離ですら無くなって、ただ芳は小雨の街を呆然と眺めた。




 翌週には、カラリと空は晴れた。借りたままの傘を広げ、日光の下でもう一度乾かす。

 芳は、広げた傘を見て、溜め息を吐いた。

 元の持ち主に返したい。だが、偶然会うとは限らない。となると。

「………。」

 気の進まぬまま、丁寧に保管していたレシートを取り出した。勿論、裏にメモ書きされている、あのレシートだ。

 書かれてある番号に電話する。暫くコールが続いた後、男性の声で繋がった。

『はい、栖原です。』

「あ…あの…、」

 戸惑っている間に、直己の方が気付いたようだった。

『…芳さん?芳さんですか!?』

 背後でガタン、と物がぶつかったような音がした。更に直己の電話口での息が、少し上がる。

 どうやら電話をしても、支障のない所まで移動しているようだ。

「済みません、仕事中でしたか。」

『い…いえ、構いませんっ、と…大丈夫です。』

 そう答えられても、その背後で紡がれる他者の揶揄や物音が、十分に聞き拾える。相当慌てているであろう直己の姿が、容易に浮かんだ。

 一番最初の声音よりも、明るさが格段に増す直己の声に、あの素直な笑顔が見える。芳の胸はドキリと波打った。

『す…済みません、騒々しくて。』

 申し訳無さそうに、直己が言う。その表情を思い浮かべて、芳は自然と笑声を溢した。

「いえ。こちらこそ、御免なさい。何だか栖原さんの慌てぶりを想像したら、おかしくなっちゃって。」

『いえいえ、とんでもない。俺も芳さんの声に元気頂いちゃいました。』

 嬉しいです、と言われて芳はそわそわとした。浮いた気持ちになる自分に怖さも感じて、急に言葉に詰まる。

「え、と。あの、傘、お借りしたままだったので。」

 困惑気味に、芳は話を本題へと振った。これ以上、会話を続けると可笑しくなりそうで。芳はギュッと手を握り締めた。

『傘…あ、ああ。』

 今思い出したような、間の抜けた声で直己は頷いた。そんな気にしなくても、と表向き直己も答えたが、内心ガッツポーズを決めたことに、芳も気が付かない。

 一先ず、受け渡す為に二人は会う約束を交わした。

『じゃあ今度の土曜日、駅前のフードコートで。』

「はい、それで御願いします。」

 午後からは、芳もバイトだ。渡すだけ渡せば長居せず、バイトを理由に別れられる。

 そんな算段をつけて、芳は通話を切った。




 週末の土曜日は、家族連れで賑わっていた。待ち合わせより一時間早いが、芳は簡単な御礼の品選びに少し店舗を見て回る。

「芳さん!!」

 不意に後方から叫ぶ声がした。聞き覚えのある声が芳を呼ぶ。

「栖原…さん。」

 振り向いた先には、満面の笑みで人混みの中に立つ直己がいた。

「あー、ビックリした。」

 まさかこんなに早く会えるとは、直己も思っていなかったらしい。直己も直己で、会ってから後に芳を誘って行けそうな場所の下調べをするつもりだった。

「芳さんも早く此方に着いたんですね。」

「ええ…まあ。」

 困惑気味の芳に、直己は少し身を引いた。無神経に声を掛けてしまったか、と気持ちも焦る。

「あ、もしかして用事がありましたか。」

「いえ、栖原さんに御世話になりましたし、何か御礼出来るかな…と思って。」

 迷いながらも誤魔化す意味はないなと、芳は素直に話した。

「そんな…気遣いは無用ですよ。」

 直己は笑って返す。それでも、芳に気遣って貰えた事への嬉しさは一入ひとしおだった。

「昼食、まだですよね。」

 一緒に食べましょうと誘われ、芳もそれを受ける。直己と共に手近な飲食店へ足を踏み入れた。


 テーブルを挟んで向かい合う直己の心は、興奮し通しだった。思春期のような楽しさで、芳を見つめている。

「俺、なんだか芳さんに運命感じちゃうな。」

 照れ笑い、直己は言った。純朴な笑顔は嬉しく思う一方で、芳の心を揺らす。

 胸を刺す感情は、祐河への罪悪感なのか、直己への罪悪感なのか。芳には判別付けられない。

 愛想笑いで芳は誤魔化した。

 いつもより積極的に話し掛ける直己に気圧されて、芳も前より色々と答えてしまった。

「へえ、マンションで一人暮らしなんですか。」

「え…ええ。」

 何と無く隠してしまった、祐河の事。芳は苦い顔で笑みを浮かべ、直己を見つめた。

 気付いていないだろうか。

「芳さんの瞳…」

 直己はじっと見つめ返し、少し顔を近づける。息遣いが聞こえてしまいそうな距離に、芳も心臓が強く拍動していた。嘘を見抜かれたと感じる錯覚が、怖さを呼び寄せて更に胸を締め付ける。

「ほんの少し青み掛かっているんですね。」

 こんなに綺麗な眼をしているなんて、本当に素敵だと直己は思った。

「そう…ですか。」

 笑い返す芳は、必死で心を取り繕う。それきり直己とは、眼を合わせづらくなってしまう。

「僕はこれで…」

 逃げ出すように、芳は席を立つ。直己も伝票を押さえて、支払に向かおうとする芳の動きを制した。

「誘ったのは俺ですし、俺が持ちます。」

「え、でも。」

「いいですよ、大丈夫です。」

 そうさせて下さい、と頼み込まれ、芳も無下に断れなかった。


 店を出てすぐに、直己は芳に言った。

「この後バイトが御有りなんでしょう?」

 気にせず行ってくださいと、笑顔を向けられる。ホッとする気持ちもあるが、それに覆い被さるように、罪悪感が芳の胸を襲った。

「栖原さん…。」

「俺、楽しかったですよ。また良ければ会ってくださいね。」

 そんな直己を芳は食い入る様に見つめた。何か…礼を言わなければと焦りながら、声がなかなか絞り出せない。

「…有難うございます。ご馳走様、でした。」

 深く、深く頭を下げる。顔を見せなくていい位に折り曲げて、芳は直己が去るのを待った。

「じゃあ俺はこれで…。」

 ずっと頭を上げない芳の姿に、直己はそっと溜め息を吐く。見えているか分からないが手を振り、そのまま人混みに紛れていく。

 芳から受け取った紙袋を、大事そうに直己は抱えた。一人で賑わう人波の中を歩きつつ、心が口を突いて漏れ落ちた。

「俺、やっぱり嫌われてんのかなぁ。」

 困ったように笑みを浮かべる芳の表情。ぼそりと呟いた直己は、苦虫を噛み潰した。

 それでも芳を好きと想う気持ちは、直己の中では変わらなかった。

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