第2話 家族の団欒

 結局。ホテルをキャンセルして、祐河は芳と共に田沢家へ宿泊する事になった。

 先に風呂を済ませ、食卓を囲んで夕食にする。

「湯加減、どうだったかしら。」

「丁度良い加減でした。」

 朗らかな笑顔の義伯母に祐河が答える。寝室にと用意されたのは、仏壇のある部屋だ。

多笑たえ、ビールを頼む。」

「もう二本追加ですか。」

 伯父と義伯母の、掛け合いに似た会話はリズム良く、心地良い。リビングに並べられたご馳走は、急拵えしたと思えない程、豪華に飾られていた。

 準備段階からそれぞれが席に付くまで、終始明るい声が溢れていた。

「さあ、二人とも。遠慮しないで席に付いて。」

 義伯母は気さくに、祐河と芳に笑顔を送る。

「はい。」

 祐河もそれに答えて腰を降ろした。

 家族。憧れた姿を目の当たりにして芳は俯き、祐河の隣に座った。

「ビール、飲むだろう。」

 伯父が缶ビールを開けて、差し出している。

「いえ、アルコールは苦手なんです。俺達。」

 飲めない事もない。それでも祐河は丁寧に断った。

「そうか、残念だな。」

「あら、二本余分に飲めるじゃない。まさくんってば。」

 横からすかさず義伯母のチャチャが入る。おいおい、それは無いだろ。と抗議する伯父も楽しげに顔を綻ばせる。団欒というものを、芳も、祐河も、見せつけられた気分だった。

 芳は祐河の袖を握り締めた。

 此処に、自分が居るのが場違いじゃないか。そう思えて、急に怖くなった。

「…大丈夫、だ。」

 祐河は小さく耳元で囁いた。芳の不安な心を察して、袖を掴む手にも触れる。

「…うん。」

 消え入る声で芳も頷く。でも、どうしたらいいのか分からなかった。ただ今に吐きそうな弱い気持ちを、懸命に抑えるだけで精一杯。迷惑は掛けたくない。その一心が芳の胸にあった。

 そして祐河もまた、複雑な気持ちを抱えていた。

「他の飲み物、何が良いかしら。」

 代わりにお茶にする?と立ちすがら、義伯母は祐河達に問うてくる。祐河は頷いて返事をした。

「はい、お願いします。」

 言いながら、体は釣られて祐河の腰が浮いた。取りに行こうと反射的に動く様に、義伯母が笑声を上げて指摘する。

「あらやだ。お客さんが動いちゃ、此方の立つ瀬が無いじゃない。」

 嫌味に聞こえないのは、きっと義伯母の持つ朗らかな雰囲気のお陰だろう。

「…そう、ですね。」

「裕文もそういう腰は軽かったな。祐河もよう似たもんだ。」

 困惑気味の笑顔で、祐河は中途半端に浮いた体を沈め、座り直す。伯父の笑う顔や、祖父の揶揄が自ずと視界に入り、祐河は堪らず視線をずらした。

 ふと、和やかな雰囲気から少し浮いた人影が、廊下に立っていた。

「あら陽夏ひなちゃん、ちゃんと挨拶したの?」

 ムス、としたまま、少女はペコリと頭を下げた。ふっくらした顔は、義伯母に似ている。

 そのまま席に付き、顔を合わせない様にしながら何度も祐河達をチラ見していた。

「ごめんなさいね。普段はもうちょっと愛想が良い子なんだけど。」

 苦い笑顔で、緑茶を入れて戻ってきた義伯母が言う。当の本人は気にする素振りなく、むくれ顔でそっぽを向いた。

「初めまして、陽夏さん。俺は田沢祐河と言います。宜しく。」

 食卓上なので握手は差し出さなかったが、祐河は軽く会釈した。

「初めまして。」

 相変わらず目はすぐに逸らすが、仏頂面の下には年頃の女の子のシャイな顔があった。

「それじゃあ、乾杯するか。」

 音頭を取る伯父に合わせ、皆が乾杯にグラスを掲げる。そして賑やかな夕食が始まった。




 用意された部屋に二人、並んで床につく。

「大丈夫、か。芳。」

「うん、大丈夫。」

 かなり弱々しい笑みで、祐河に答えた。随分無理して食べていたのを、祐河も隣で見ていた。

 一杯食べてね、という義伯母の笑顔に負けて、これ以上は無理、という位二人とも口に運んでいた。

「芳、吐いても良いんだぞ。」

 芳が少しでも楽になれるなら。そう思って、祐河は敢えて口にする。

「ん、」

 生返事で芳は応えた。そんな祐河の気遣いは有り難いが、もてなしてくれた伯父夫婦の笑顔を台無しにしそうで。

 芳は複雑な心を飲み込んで、布団に顔を沈めた。

 消灯された薄暗い室内で、天井の木目を追っていく。眠れない意識が漠然とそんな事をさせた。

 ふと、芳が呟いた。

「ねえ、訊いてもいい?」

「何を? 別に構わないが。」

 間を空けて応える祐河に、芳は躊躇いがちに問う。

「祐河のお父さんって、どんな人だったの。」

 訊ねてはいけないと、祐河に対して芳は口を閉ざしていた。けれど、伯父母夫婦や祖父母との団欒を見ていると、知らないその父親の存在が芳の中でも大きくなってくる。

 好奇心とは少し違う、知りたい欲求が芳の中で膨らんでいく。

 長く沈黙が続いた。

「優しい、人だったよ。」

 祐河も天井を見上げ、答えた。静かに響いた祐河の声音が、淡々と静寂に包まれ消えていく。その様が悲しくなって、それ以上祐河に何も言えなくなった。

「ごめんね。おやすみ。」

 芳は顔を見せずに、声だけ無理に明るくして会話を切った。


 翌朝、布団を畳んで早々と、顔を洗いに洗面所へ向かった。勝手が違うと緊張するもんだな、と談笑して二人は洗顔でさっぱりとさせた。

「昨夜はよく眠れたかしら。」

 通りすがりの義伯母が、お早うの挨拶と共に声を掛けてくる。満面笑顔で祐河は答えた。

「はい。お陰様でぐっすりと。有難うございます。」

 それなら良かった、と安堵する彼女を見送る。後ろに付いていた芳が、そっと近付いて祐河に耳打ちした。

「嘘つき。」

「…気付いていたのか。」

 コクりと芳は頷く。実際は一睡もしていない。

「いつも祐河の寝息、聞いてるもん。」

 参ったな、と祐河は困顔する。

 芳も実はあまり眠れなかった。いつもより静かすぎて、いつもより広すぎて。体を寄せあって眠る祐河の温もりが遠くて、少し心細かった。

「そろそろ行くか。祐河君、準備いいかい。」

 伯父の掛け声に、はいと返事する。祐河と芳は伯父の運転する車で、墓参りへと向かった。


 小一時間程度、車は走って霊園に到着した。

「祐河君は、此処に来るのは初めてだものな。」

 山の斜面を切り開いて造られた霊園は、とても良い見晴らしだ。また同時に、木々に囲われていて現世の喧騒もなく、別世界に来た感じもする。

 祐河も芳も墓地は知識程度で、足を踏み入れるのは初めてだった。

「悪いが、バケツに水入れて運んでくれるか。」

 伯父は慣れた手付きで、供花やその他細々した物を取り出し、トランクを閉めた。柄杓ごとバケツを手渡された祐河は困惑しつつも、教えられた水汲み場でバケツ一杯に満たして行く。

 案内する伯父を先頭に、墓石の立ち並ぶ通路を一列に歩く。程無く足を止めた伯父の前には「田沢家代々之墓」と刻まれた墓石があった。

 周囲と同形の墓だ。もう一度、案内無しで来れる自信は無い。祐河は視線を散らして、芳と目が合った。同様に芳も感じているみたいで、気不味げに二人は視線を逸らす。

「ここはじいさん…そうだな、祐河君の曾祖父ひいじいさんが亡くなった時に、建てたんだよ。現在眠っているのは、曾祖父母と裕文だけだ。」

 昔の本家が有った所から移して来たのだと、伯父は言った。生活のしやすい今の住宅地へ来る前は、更に山手の奥へ入った集落の中にあったらしい。古い墓はその場所に残してきていて、既に廃墟となっている事も、伯父は語ってくれた。

 一頻り墓掃除を終えると、供花を左右の花入れに差し、両脇の燈籠の中に蝋燭を灯し入れる。火を点けた線香を備え付けの線香立てに挿して、徐に伯父は墓の前にしゃがむ。

ひろ、見てるか。祐河君が来てくれたぞ。」

 ただの石に語りかける姿が、何だか奇妙に芳は感じた。未だに葬式と言うものにも顔を出したことが無い。芳にはとても縁遠い世界であった。

 祐河は語る言葉なく、ただじっと立ち上る線香の煙を眺めている。

 伯父は立ち上がり、場所を祐河に譲った。手を合わす祐河の脇で、芳も形ばかり手を合わせてみる。

 鳥の声が遠く聞こえ、微かな風の音が耳を撫でる。静寂が包み込む、そんな感覚の中で芳はそっと眼を薄く開いた。

 背筋を伸ばし拝む祐河の後ろ姿が、芳の眼に焼き付いた。

「じゃあ、そろそろ戻るかい。」

 伯父の声に祐河が立ち上がる。芳もハッとして、顔を上げた。何事も無い表情の祐河がそこに居て、伯父に従うように帰り支度をしている。芳も手持ち無沙汰なままに、二人の後を追い掛けた。

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