第15話 前へ踏み出す勇気

 芳を迎えに行く車中で、祐河は隣に座る平塚に声を掛けた。

「色々と…済みません。」

「いえ。」

 後部座席はしんみりとした空気に包まれていた。自宅待機という、事実上の謹慎を受けていた平塚に、急遽呼び出しがかかったのが数十分前。詳しい経緯も無く、何故か今、芳を迎えに行く役目を担っている。

 望んだのは、祐河だった。


 住所を告げただけで、社用車はマンションに到着した。

「俺が部屋の中へ入るまで、芳に気付かれないよう姿を隠して頂けますか。」

 祐河は平塚に、芳が警戒しないよう懇願した。状況がよく分からないので、平塚も祐河の頼みに頷き、了承する。

 上階に平塚と二人で上がり、祐河は部屋の前でインターホンを鳴らした。僅かに開いた隙間から、芳が顔を覗かせた。

「ただいま。」

「お帰り…なさい、」

 訝る声は、マンション前に停めた車を見ていたのかもしれない。

「早かった…ね?」

 一応扉を開いて、芳は祐河を迎え入れた。

 だが、祐河の後ろには平塚がいる。

「ゆう…か、どういう…事…?」

 後退る芳の双眸が怯えている。祐河は芳の手を取り、宥めるように優しく包み込んだ。

「芳に聞いて欲しい話がある。」

 嫌だと言わんばかりに、祐河の手を振り解く。塞がれた玄関には向かえない為、芳は奥のベッドへ引き隠った。

「芳!!」

 珍しく、祐河は声を荒げた。

「俺の両親は駆け落ちだった。でも結局、離れ離れに引き裂かれたままだ。」

 耳を塞いでいた手が緩み、芳は僅かに振り返る。芳が思っていた話とは違った。

 祐河は芳の傍まで足を踏み入れた。跪き、視線を下げて芳に話を続ける。

「両親はさ、俺が高校生だった時に火事で亡くなったんだ。でもお互いの実家にはちゃんと認められていなくて…。色々大変だった。」

 普段と変わらぬ落ち着いた口調だ。淡々と祐河は語る。他愛無く、芳は聞いていた。

 ただ、当時の祐河の心情を想像する芳の胸にも、じわりと悲しみが伝わってくる。思わず芳は震える声で問い返していた。

「お墓は…? 祐河はどうしたの?」

「葬式出す金も無かったし。結局各々の実家に遺骨は引き取られていって、それきりだよ。」

 笑みを浮かべる祐河の眼差しが悲しげで、言葉が返せなかった。芳も口を閉ざして思慮する。けれど何故今、祐河はそんな話をするのか。思い返せば、皆目見当がつかない。

「俺は、芳にちゃんと向き合って欲しい。芳の父さんと…」

 上手く伝えられないもどかしさと共に、祐河は自分の中にある記憶の悔苦を噛み締めた。芳に、それと同じ想いを辿らせたくないからだ。

「芳が俺にそのままの気持ちを見せてくれた様に、芳の父さんにも芳の有りの儘の気持ちを伝えて欲しいんだ。」

 芳も真摯に祐河の声を聞いていた。

 けれどそう言われても、きっと父親は聞いてくれない。今までにも、口にしてその都度敗れた苦い経験がある。

「芳の父さん…寛人さんだよな。あの人ならちゃんと分かってくれる。俺はそう感じている。」

「…父さんに、会ったの?」

「ああ。話もしてきた。」

 だから祐河も『帰れ』と言うのか。落胆は、芳の希望を粉々に打ち砕いた。

 肩を落とす芳の姿を、納得したと祐河は勘違いする。そして、祐河自身も肩の力を抜いた。

「…正直、警察に連行されるかと思っていたよ。」

「…なんで?」

「ん?」

「なんでそんなこと思ったの?」

 祐河の眼は見ずに、芳は問い返した。

「俺が芳を連れ去った誘拐犯だと思われているだろう…からさ。」

「…バカ、だよ。」

「俺も…そう思う。」

 項垂れて、芳は顔を隠した。祐河に見られない様に背けてしまう。自分は今、侮蔑に等しい眼をしている。芳自身それが分かっていた。

「芳…ごめんな。」

 祐河はそっと芳に謝った。何も言わない芳に、そのまま祐河は話を続けていく。

「俺にも芳の父さん…寛人さんが、芳の事を真剣に愛していた事が分かる。だから」

「もういいよ。」

 投げ遣りに芳は祐河の言葉を切った。だが、祐河は止めなかった。

「だから、芳にちゃんと向き合って欲しい。寛人さんに…芳が何を思って生きてきたのか。言葉にしないと伝わらないんだ。」

 どれだけ声に出しても伝わらない。芳には分かっている。

「芳にはまだ家族の絆があるんだ。独り立ちするにも、物別れで離れてしまう寂しい結果は…後で辛くなる。」

「寂しい…って、どうして? どうしてそれが辛いって言えるの?」

 芳の声音に険が籠もる。苦しくなるのは、祐河もだった。

「俺はもう、父さんにも母さんにも、会いにも…詫びにも行けない。」

 伏せる事が出来ない眼が、芳を見つめる。笑顔を繕う祐河の口許とは裏腹に、眼眸は辛そうに潤んだ。

「どうしてっ!? 二人とも死んじゃったから!? 二人一緒じゃなくても、場所が遠くても遺骨のある場所知っているんでしょ!? だったら会いに行けるじゃない!!」

 芳の言葉は鮮烈に、祐河の胸に刺さる。祐河の頬に、眼から落ちた冷たい滴が伝い、幾筋も流れる。

「なんで笑うの?泣きたいなら泣けばいいじゃない…っ!」

「…立ち続ける為だ。生きる為だ。黙って泣いていたって、誰も何もしてくれないんだよ!! 誰にも何も出来ない!!」

 祐河の声も感情に荒れる。芳もそれ以上に強く叫んだ。

「嘘!! だって祐河は苦しい時に手を差し伸べてくれたもの!! 僕は何も言えなかったのに受け止めてくれたもの!!」

「芳がそう感じているからだ!! 芳がそう思わなければ俺が何をしようが意味ないだろ!!」

 グッと芳は唇を噛み締めた。祐河が芳を受け止めたのでなければ、あれは何であったと言うのだろう。

「自分の未来は自分にしか変えられない。自分で動かなきゃどうしようも無いんだ!!」

 まるで芳を突き放すように思えた。今までとあまりに違い、途端に芳は悲しくなる。

 祐河が芳に見せてくれた優しさは、気のせいだった? まやかしだった? 全てが嘘だと突き付けられたみたいで、胸が苦しい。

 絶望なんてしたくない。

「祐河の言ってる事…分からないよ。」

 悔しくて芳の眼からも涙が零れる。誰も信じちゃいけないなら、信じさせて欲しくない。

 そう芳は祐河を睨み付けた。

「俺はバカをやって、今此処に居る。世間からすれば、俺なんて存在しない方がマシな人間だ。身内でも同じだよ。」

 ああそうか、と芳は気付いた。

 祐河の中にある弱さが、芳に優しくしていたのだ。同情なんだと、心が冷めていく。

「あんな事をしでかしたツケなんだ。父方とも母方とも、もう縁は切れてしまっている…。」

 絶縁、その言葉しか浮かばなかった。祐河が産まれた後にも、ほぼ交流は無かったけれど。

 それでも、両親が亡くなった時に祖父母や伯父母は駆け付けた。その時祐河の保護者を名乗り出てくれた祖父母に頼らなかったのは、祐河自身だ。そして、事件を起こして本当に…独りになった。

 全ては自分が起こした行動の結果だ。自分が悪い、と嘆く位なら。何故その前に、違う道を選択しなかったのか。

 黙ったまま、互いに祐河も芳も眼を反らした。

 独りきり、独りぼっち。引き合った心が縋る居場所を求めただけ。

「俺が…誰よりも両親ふたりが愛し合っていた事を、知っているのに…な。」

 ぼそりと呟いた祐河の声は、芳の胸に痛く響いた。

「芳に出逢えて…俺も生きる希望を貰った。俺でも生きていて良いんだと、そう教えて貰ったようなものだ。だから」

 顔を上げると祐河は、真っ直ぐ芳を見つめる。そして微笑んだ。

「有難う、芳。」

 どうしてか、それが『さよなら』に聞こえる。このまま別れてしまっても、仕方がない。そんな風に耳に届くのが、芳は堪らなく嫌に感じた。

「俺の目の前に居てくれて…。」

 巧い言い回しだとは思わないが。芳に出逢えた事、芳がこの同じ世界に存在してくれた事。それらは祐河にはとても大切な出来事だった。そして。

 愛してる。結局、祐河はその想いを口には出来なかった。

「ねえ、一つだけ教えてよ。」

 眼を反らしたまま、俯いたまま、黙ったままの芳が、低い声で唸る様に訊いた。

「祐河は僕の事…どう思っているの。」

 頼られるのが重い存在なら。仕方がないと全て諦められる。もう二度と、誰かを信じようとも思わない。

 それでも…芳は自分の胸に手を当てた。最後の最後まで、持っていたいと望む祐河への気持ちを探る。

「僕は、…それでも祐河が…好き、です。だから聞かせてよ。」

 一度臥せられた眼差しが再度、力強く祐河を見る。

「祐河が僕に想っている本当の気持ち。どんなのでも受け止める…から。」

 見つめる双眸が、同じ様に見つめ返される。祐河は心の奥底より、大切にしまい込んだ思慕をそっと吐き出した。

「…好きだ…愛して…る…。」

 声に出してから、気付いた。もう芳のいない世界が考えられない。

 また頬を滴が伝う。想いと共に溢れ出す涙で、祐河は頬を濡らした。

「…芳……愛してる。好きなんだ、どうしようもなく…芳が…っ」

 傾く身体が加速する。手を芳の頬に伸ばし、祐河から熱く唇を重ねた。

 芳も抵抗しなかった。

 愛されている。愛したい。愛しさが…募っていく。

 互いにしっかりと腕を回し、強く強く抱き合った。


 気の済むまで唇を重ねた二人は、ゆっくりと顔を離した。

 少し惚けた芳の眸、淡く紅潮した頬も愛らしい。

「…そんなに見つめないでよ。」

 むくれる芳も、潤み輝いている祐河の双眸を見つめている。もうそこに哀しみの色は無い。何処までも優しくて暖かい、そんな眼差しだった。

 フフッと芳は笑う。

「なんだか、可笑しいよね。」

「ああ。」

 でもそれも含めて全てが愛しい。ずっと変わらずにいられるその気持ちを抱いて、祐河は額を小突き合わせた。もう一度ぎゅうと抱き締め、漸く芳から身体を離す。

 振り返るとそこに一人、肩身狭く見守っていた平塚が立ち竦んでいた。

「あ、」

 そうだ、と居たことを祐河は思い出した。芳は真っ赤になり、祐河の影に隠れる様に背中へ顔をくっつける。

 芳は、意識が祐河に集中し過ぎて、全く眼に入ってなかった。

「…済みません。」

 困惑した表情で、平塚は一先ず謝った。

「社長が待っていらっしゃるので。そろそろ良いでしょうか。」

「はい。」

 祐河は答えて、軽く芳の頭を撫でる。

「行こう、芳。」

 力強い手と祐河の声。芳も頷いて、前へ踏み出した。

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