第14話 決意と戦い、現実に向きあう

 翌朝を迎え、起床する。

「お早う。」

 いつもと違う目覚めに、お互い緊張していた。だが祐河はする事がある分、頭を切り替え、芳に問い掛ける。

「芳、今日はどうする。」

「え、と、あ…」

 迷いに迷って、祐河に答えを求めた。勿論今までのスケジュールはあるが、行けば拘束されるだけ。

「留守番、頼めるか。」

 祐河からのお願いは意外だった。芳は驚きに目を丸くしたが、直ぐに頷き返す。

「うん。いいの?」

「ああ。」

 出来れば今日一日、祐河が戻ってくるまで居て欲しい。まだ芳と話したい事がある。そんな祐河の本心を、芳は知らない。

「わかった。」

 此処に居ていい、と祐河が言ってくれている。そんな風に芳は受け取って、満面に笑顔を湛えた。

 朝御飯はパンを二人で半分に分けて、簡単に済ませる。その後手早く身仕度をして、祐河は外へ出る。

「じゃあ行ってくる。」

「うん。行ってらっしゃい。」

 そう手を振り、芳は愛くるしい笑顔で祐河を見送った。




 いつもと違う経路上に、祐河は立っていた。マスターには既に欠勤する事を伝えてある。

 祐河が向かっていたのは、芳の父親がいる本社ビルだった。

「済みませんが、稲見社長にお会いしたい。」

 受付に顔を出すなり、そう祐河は告げた。

「アポイントメントはお持ちでしょうか。」

「いや。俺は、田沢祐河と言います。社長に俺が会いたがっている事を、御伝え願えますか。」

 訝りながら受付嬢は、少々御待ちくださいと、上層部に連絡を取った。

「申し訳ございません。只今社長は外出中ですので、今暫く御待ち下さい。」

 係の者が案内します、と営業スマイルで祐河を留め置く。程無くそれらしき社員が、ロビーに姿を見せた。


 案内されるまま、祐河は上階の応接室に通された。そして一人きり、室内に残される。

 手持ち無沙汰だが、黙って待機するしかなかった。

 落ち着かないままソファーに腰を下ろして、一向ひたすらに祐河は来るのを待ち侘びた。組み合わせた指先が震えている有様に、苦顔する。

 この術が良かっただなんて、決して言えないだろう。それでも祐河に出来る最良の方法だと、己で行き着いた結果だ。

 後悔だけはしない。未来がどう転ぼうとも。その覚悟を持って挑む決意をする。

 やがて、扉が開いた。

「初めまして。私にどの様なご用件が?」

 二、三歩中へ足を踏み入れてから、社長は挨拶をした。祐河も軽く礼をする。握手は無し、だ。その位は警戒されていると感じながら、祐河は身を起こした。

「御逢い出来て、光栄です。」

 そう挨拶を返して一呼吸置く。

 どうぞ、と勧められるままに、もう一度ソファーに腰を下ろす。二人は向かい合い、じっと視線を合わせた。

「芳さん…の事を話しに参りました。」

 随分と長い沈黙が、二人の間に流れた。先に口を開いたのは社長だ。

「芳は…無事だろうな?」

 冷静を装っているものの、社長の声は何処と無く不安に揺れている。

「はい。」

 信用されているか、分からない。だが、祐河の返事に彼はある物を差し出した。

 分厚い封筒が、祐河の目前に置かれる。札束であろう事は推測できた。

 身代金にしても、示談金にしても。祐河の目的からすれば滑稽だった。

「これでは足りない、と言うのか。」

 微かに笑う祐河の口許を見て、社長の声に怒気がはらむ。

「君には端金はしたがねかもしれないが、これは全社員が汗水流して頑張ってくれた大切な財産だ。」

 金を払うのが惜しい、よりも。祐河を集り屋の様に見ている口調だ。そう受け取って良いだろうか、と祐河は少々悩んだ。

 従業員も大切に思い、家族も大切に思う。目の前の男性がそんな人物であると、祐河は信じたい。そう願った。

「芳は何処に居るんだ?」

 性急な問い掛けは、それ程に芳を心配している親心の表れなのか。祐河の心にも郷愁が過る。

 又は、芳の肉体を取り返したいだけ…だろうか。

 迷いながら思案して、伝えるべき事だけ、まずは伝えようと祐河は口を開いた。

「芳さんは、現在俺の元にいます。ただ…何処に居るかは御伝え出来ません。」

 明らかに苦虫を噛んだ表情で、社長の眼が苦悩する。彼の耐え難さは、祐河にも伝わった。

「身代金の額が足りないと言うなら、幾ら出せばいい?」

「これは受け取りません。身代金も必要有りません。」

 封筒を突き返し、祐河はソファーから立ち上がった。動揺する社長にも、切羽詰まる声が上がる。

「頼む!!芳を返してくれ!! 例え血が繋がっていなくとも、芳は私の大切な息子だ!!」

 その言葉に祐河は一瞬動きを止めた。

「跡取りだから付き纏うのか!? 君にとっては只の金蔓か!?」

 社長と芳は養子の間柄で、実父は別に存在する。それが事実なら、芳の父親は二人だ。考え得る可能性の幅が、祐河の中で広がった。

「一つだけ、訊かせて下さい。」

 その場で立ったまま、真摯に祐河は社長を見つめ、問うた。

「芳を玩具オモチャにして楽しいですか。」

「き…貴様!!芳を侮辱するか!?」

 激昂する社長の腕が、祐河の胸ぐらを掴みにかかる。社長の怒号に待機していた社員達が雪崩れ込み、室内は騒然とした。

 今にも殴り付けられそうな状態でありながら、祐河は安堵感に浸った。

 この人では無かったんだ。芳に暴行を加えたのは。

「社長、落ち着いて下さい!!」

 周囲が社長を止めに入る。割り込まれた手に引き離され、祐河は人だかりから放り出された。

 我を忘れた社長の憤りと宥める周囲との抗争は、激しくなる一方だった。祐河は乱れた襟元を正し、その場に跪く。

 清々しい心で、背筋を伸ばして祐河は正座した。ゆっくりと身体を倒して、社長に土下座をする。

「お願いします。」

 祐河の声に皆が気付くまで、暫く時間が掛かった。

 喧喧囂囂飛び交っていた声が止んで、呆気に取られた顔が次々に浮かぶ。

 静寂に祐河はまた声をあげた。

「お願いします。芳の望む、芳の未来を聞いてやって下さい。」

 ほぼ全員が理解不能な表情で、祐河を見る。

社長あなたが望む、芳の未来ではなく…。」

 どうかお願いします。祐河は額を床に押し付けた。

 二の句が告げず、社長は困惑したままだ。先程の憤りは何処かへ飛び、訳のわからぬ現実に思考が錯綜する。

「顔を上げてくれ。…上げて下さい、田沢さん。」

 祐河は上半身を起こし、社長を見上げた。

「芳が君との交際を望んでいるから認めて欲しい。そういうことか。」

 祐河は首を横に振り、否定した。

「俺が望んでいるのは、芳が生きたいと望む世界…未来です。」

 誰もその意味が分からない。そもそも祐河の行動自体が未だ謎である。

「どうか芳の気持ちを…想いを、否定せずに受け止めてやって下さい。」

 もう一度、祐河は平に頭を下げる。

 祐河の行動は理解に苦しむものの、このままでは埒が開かぬのは明白だ。

「兎に角、土下座は止めてくれ。」

 みっともない、と社長は眉間に皺を寄せた。

「何故君は…」

 いや、と社長は言葉を改めて言い直した。

「何をしに君は来たんだ?」

 祐河は微笑を浮かべて答える。その眼眸に確固たる自信と、愁いを併せ持って。

「芳の生きる希望を見出だしたい、俺自身の欲を叶える為です。」

 芳の為とは決して言えない。祐河は馬鹿馬鹿しさに自嘲しながら、言葉を続けた。

「俺に出来る事、力になれる事はたかが知れてます。それに…全ては芳自身が選び、決めていく事ですから。」

 その上で祐河と一緒に生きていく事を選んでくれたら…嬉しい。秘かに想う気持ちだ。なかなかそれを芳の前に表せられぬ自分が滑稽でもある。

 返す言葉もなく、社長はただ脱力した。本当にこの男は何なのだろう、と。

「君の言い分は分かった。だが、芳に会わせて貰えないか。」

 気持ちを受け止めるも、話を聞くも、芳に直接会わなければ仕様がない。それが芳の意思だと認めるのも、直に会った上でないと納得がいかない。

 社長の眼差しに、逢う前に抱いていた祐河の不安は綺麗に消え去った。力強く祐河も肯き返す。

「はい。そのつもりです。」

 祐河は素直に答えた。

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