第13話 吐露する。愛、そして結ばれる
芳の件を聞いてから、仕事が手につかない。祐河は焦る自分を叱咤しつつ、あと僅かの時間をどう落ち着いて過ごすか、悩んだ。
「もう、今日はあがるかい?」
少し早いが店仕舞い、しても構わないだろうと、マスターから声を掛けてくる。
「マスター…」
私も気になるからね。とマスターはウィンクする。祐河は深く頭を下げた。
いつもマスターには感謝し通しだ。言葉に甘えて、手早く祐河は店仕舞いをし、仕事を終えて外に出た。
店を後にしたら、祐河も芳が以前居た場所を捜して回った。騒然とした夜の歓楽街は、祐河も慣れはしなかった。
何度も往復して探したが見つからない。此処には居ないのだと、自分に言い聞かせて祐河は立ち去る。
かなり遅くなった帰路で、祐河は考え事をしながら歩いていた。他に芳が行きそうな場所はないか、僅かな記憶から手繰り寄せてみる。けれど、そうは思い当たらない。
「くそっ、」
焦りだけが募った。悪くは考えたくはない。が、最悪の事態に備えるように、思考は偏っていく。
もうマンションの入口が見える所まで来た祐河は、その足を止めた。先程から付けてくる気配があり、気に障っている。
冷静さを保てぬ状態で無ければ、こうも苛立って感じる事は無かっただろう。
その正体を確かめるべく、祐河は振り返った。
目の前に小柄で華奢な体があった。見慣れたその人影は微動だにせず、祐河と真正面に向き合っている。
「か…」
声を掛けようとした芳の眼眸は、無表情に祐河を見ていた。息を飲む様な、凍てついた顔相は、今までの芳からかけ離れている。
「芳。また風邪、引くだろ。」
その言葉で祐河は、着ていた上着を芳の肩に掛けた。されるがまま、静かに芳は項垂れる。
「とにかく。中入れ。」
祐河自身、そう声を掛けるのが精一杯だった。
部屋の中へ連れてくると、芳はふらふらと勝手にベッドへ腰掛ける。そこが居心地いいのか、動く気配は無い。どうしたものかと思い悩む祐河は、ひとまず芳の傍に寄り添った。
「ねえ…」
不意に芳が呟いた。
「ねえ…」
深く項垂れた芳の呟きは低く、暗い声色で響いた。
「抱いてよ…。」
「ああ。」
祐河は素直に答えた。芳の頬を撫で、うなじに触れ、肩甲骨に掌を回し、腕中に抱き寄せる。
ただ抱き締めるだけの祐河を、拒むように芳は声を絞り出した。
「…そうじゃなくて。」
暴れて、祐河の腕を突き返す。それだけでなく、芳は自分で祐河の手を股間へ導き、シャツのボタンも引き千切る勢いで、自らの胸元を晒した。顔を上げて、
「祐河が好きだから…好きだから抱いてよ!!」
もうどうなってもいい。無茶苦茶にされたい。芳にはただ、それだけだ。そうすれば、きっと全て忘れてしまえる。父親に言われた事も、母親の事も、辛い気持ちも、自分を嫌だと思う気持ちも。
心なんて無くなってしまえば、きっと楽になる筈だから。
芳は祐河の体を引き寄せて、仰向けにベッドに倒れ込んだ。自分で足を開いてベルトも外して、いつでも引き摺り下ろせるように準備する。
祐河は芳のしたいように身を任せていた。両腕で己の肉体を支えながらも、身体の下にある芳の姿をじっと見つめている。
「芳。」
祐河の声にビクッと芳は反応する。
「本当に望んでいるのは、違うんだろ?」
優しく語り掛ける祐河の眼は、真っ直ぐに芳の双眸を見ていた。眸の奥にある心を見つめられているみたいに、芳は胸が震えて止まらない。
「俺はさ、芳を傷付けたくはないんだ。勝手でごめん。」
祐河が何を云わんとしているのかなんて、わからない。どうして抱いてくれないのか、芳は胸の内で祐河を責めた。
けれど同時に、こんな酷い事を祐河に押し付けようとする、自分自身が嫌で憎くて堪らない。
なんで…僕は生きてる…の?
そう思った途端、芳の中で何かが崩れた。
「あの時っ…!!」
叫ぶ芳の声が、痛ましいほどに芳の表情を歪めていく。堪え切れない涙が堰を切って溢れ出すのを、祐河はただ静かに見つめ続けた。
「あの時っ…声っかけてっ…くれたっからっ!!」
小さくしゃくりながら、芳は両手で顔を覆った。打ち震える体が止め切れない胸の痛みを表すように、祐河の眼に映る。ああ…と、祐河は深く嘆息を吐いた。
やはりあの時、死ぬつもりだったのだ。直感でそう感じた自分の心は間違いではなかった。
あの思い詰めていた芳の強張った背中が、しゃくりあげる今の芳にも重なってくる。
“この世に己など存在しなければいいのだ”と思う気持ちは、祐河にも有ったのだから。
「馬鹿。俺は、お前が好きなんだ。」
祐河は有無を言わせずに芳を抱きしめた。
「愛している。だから、芳。お前はお前のままでいいんだ。」
「祐河ぁ!!ゆうかあっっ!!」
しがみつく芳の手も祐河の背を掴む。芳はそのまま顔を祐河の胸に埋めて泣いた。こんなに涙が出るなんて、自分でも信じられない位に後から後から湧き上がっては零れ、落ちていく。
芳が落ち着くのを見計らって、祐河はそっと芳の肩を押した。顔をまだ見られたくないのか、芳は俯いてしまう。きゅぅう、と切なげな音色を奏でて芳の胃が鳴いた。
「ごめん、お腹空いた……ね。」
恥ずかしげに芳は笑う。泣き過ぎの腫れぼったい笑顔に、祐河も小さく吹いて、微笑み返した。
「何か作るよ。有り合わせでいいか?」
「うん…ぁ、でも僕も手伝うから。」
立ち上がろうとする芳を、制すようにビシッと祐河は指差した。
「それなら、まずは服。ちゃんとしてから、だな。」
祐河の指摘に、芳は自分の格好を見下ろして真っ赤になった。慌てて両腕で掻き寄せて隠そうとしても、扇情的を通り越し、もはやみっともないの域だ。
一先ず服装を整えて、芳もリビングへ移動した。既に祐河は刻んだ材料を炒めに掛かろうとしている。
「な…何か手伝うから。」
気後れして芳の声は尻窄みになった。邪魔にしかならないような気がする。自信無げな声を受けて、少しだけ顔を振り祐河は答えた。
「皿を並べて置いてくれ。出来たらこのまま持っていくから。」
「はい。」
嬉しげに芳は返事をする。
食器棚から皿を取り出して、僅かに芳は頬を緩めた。
「使って…たんだね。」
一緒に見に行った時に買った食器だ。芳が選んだ物。
あんな別れ方をしたのだから、もう無いと思っていた。
有難う、と小さく小さく芳は呟いた。なんだか祐河に聞かれちゃうと、恥ずかしい。
皿をテーブルに並べて、芳は擽ったい気持ちで待った。フライパンを手に祐河がやってくる。
「さあ、出来た。」
言葉通り、在り合わせで作られた野菜炒めだ。二人分にする為に、卵も使って増量されている。
「口に合うかは分からないぞ。」
「大丈夫だって。」
きっと美味しい。作ったのは祐河だけど、芳にはそんな確信があった。
頂きます、とお互い手を合わせて箸を付ける。
ウフフ、と自然に芳の顔に笑みが零れた。
「なんだ、どうした。」
「何でだろうねぇ。」
「何が?」
祐河は芳と顔を見合わせた。酔いが回って笑い上戸になっている。そんな可笑しな芳の笑顔だった。
「祐河と一緒だとね。美味しいの。」
とてもとても、それは不思議な感覚。芳には大切な出来事で、失くさないでいたい気持ちに包まれる。何よりも、こうして居られるのが嬉しい。
「それはどうも。光栄だよ。」
芳の満福な笑顔に、祐河も喜びを感じる。
綺麗に食べ尽くして、二人は満足げに箸を置いた。
「ご馳走さま。」
合わせた掌が、ゆっくり解けて膝の上に収まる。先程までの幸せな笑顔から、急に芳は真面目な趣に表情を変えた。
テーブルを避けて、再度祐河へ向き直る。芳は徐に頭を下げた。
「先刻は御免なさい。」
改めて祐河に酷い事をしたんだ、と呵責を感じた。
「芳、顔を上げてくれないか。」
いつもと同じ穏やかな祐河の口調。それでも怖々した動作で、言われるままそっと上目遣いに祐河を見る。
「俺の作った野菜炒め、全部綺麗に食べてくれたよな。」
その事と芳が祐河にした事は、別なのに。意味が分からずに、芳は少し困惑した。
「俺はそんな芳が嬉しいし、先刻の芳だって…」
言おうとして、祐河は声を詰まらせた。それを誤魔化すように、祐河は芳を抱き寄せ、うなじに顔を埋める。
「ごめん、俺を頼ってくれた事が凄く嬉しいんだ。」
「ゆ…うか?さん」
泣いてるみたいに、うなじに祐河の熱を感じる。
「祐河、でいいよ。芳。」
顔を上げて祐河は芳を見つめた。その眼差しに、頬染めて芳は頷く。
「あの…祐河が好き、って言った事は本当です。」
照れながら、再度芳は気持ちを打ち明けた。
「僕も、祐河が好き。愛してます。だから、」
その先は、唇に押し付けられた祐河の人差し指に阻まれた。
「有難う、芳。」
此処にいてもいい? ずっと一緒にいてもいい? そう、芳は訊きたかった。
祐河の眼は優しく芳を見つめた。また芳に『抱いて』と言われるのが、少し怖い。なので自分から、芳の口を止めてしまった。
情けない。そんな自分に祐河は歯噛みする。
「自分に出来る事を少しずつ、すればいいんだ。」
無理に背伸びなんてしなくていい。どうしてもやらなきゃならない時には、自ずとそうなる。
半分は自身に言い聞かすように、祐河は芳の頬を撫でて語りかける。
「ぅ…ん、」
意味はよく分からないまま、芳は素直に頷いた。
その夜は二人で一つのベッドに、寄り添うように眠りについた。
心音が心地好い。
「祐河…」
「ん、」
「お休みなさい。」
くるりと胸板の上で、芳は丸くなる。温かさと確かな重みに、祐河は安堵を覚えた。
「お休み、芳…」
芳と共に、祐河も静かに瞼を閉じた。
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