第10話 ストーカーの心情

 祐河は店の近くで不穏に中の様子を窺う、人の影に気が付いた。祐河自身も明日の仕入れ分を早めに買って来たので、直接店に置きに立ち寄ったのだが。

 スーツ姿はこの辺りでも見慣れているが、営業にしろ、退社にしろ、中途半端な時間帯だ。

 怪訝に思い、離れているが、男の姿をとくと見た。

 見覚えのある男性だった。確か芳の傍に付いていた…。

 芳が店に来ている事を、祐河も直ぐ様察した。思わず店に駆け込みたくなる衝動と、芳に姿を見せる事への恐怖が激しく入り交じり、祐河は脚を震わせる。

 けれど、あの昼間の件が『芳と会わない方が良い』と警鐘を鳴らした。

 男の動きで、芳の様子は分かる。祐河は店の出入口から死角になるよう身を隠し、男を注視した。


 祐河にも、気にかかっている事が一つある。

『あの下衆男にです。』

 そう自嘲した、芳の姿が引っかかっていた。名目上は“父親”だと、芳は言った。

 芳が戻った場所が、その父親の所なら。そんな懸念が祐河を苛む。

 幸い暴行の痕は限られており、日常的なものではない、と祐河は確信していた。看病しながら、芳の体を何度も確かめたからだ。

 けれど、確証は何一つ無い。それに、独りになった時の芳の表情。不安がどうしても拭えない。


 男性の様子が慌ただしくなる。祐河も芳が出てくるのを察し、身構えた。




「平塚さん!?」

 上手く尾行するつもりが、タイミングがあわず、平塚は店から出たての芳に見つかってしまった。

 芳が怒り出すかと、平塚は内心ヒヤリとした。が、それよりも咄嗟に芳は懇願してきた。

「父には、この場所の事を内緒にして下さい。お願いします。」

 必死で芳が頭を下げる。その所為で、むしろ何があるのだろうかと平塚は興味を持った。そして芳にとっては特別な場所なんだな、と理解し微笑む。

「はい。社長には内緒にしておきます。でも喫茶店に立ち寄った位の報告は、しておかないと。」

 芳の眼差しが泣きそうに強張った。しかし平塚が誤魔化した所で、病院と自宅までの時間の差は、他者の報告でバレてしまうもの。

「何軒かはしごすれば、その内の一軒という事に出来ますから。」

 詳しくどの店を回ったと報告する必要も無い。芳も納得して、頷いた。




 祐河は、二人の会話に耳を欹てた。父親が社長だと、芳の身上が一つわかった。

 男性の名は『平塚』。恐らく、芳の父親から監視するよう命令されたのだろう。

 遠ざかる二人の足音を聞きつつ、祐河は距離を置いて尾行を始めた。


 駅前のファストフードや喫茶店を何軒か回り、かなり遅くに近郊の駅に到着した。この辺りはほぼ住宅街だ。祐河には馴染みの薄い地域でもある。

 終電まで、まだ二時間弱残っている。祐河自身の帰宅経路を確保できるのは幸いだった。疎らになった駅利用客に紛れ、祐河は二人の後を追った。

 平塚は芳をタクシーに乗せて行き先を運転手に告げると、そのまま芳を見送って駅へと踵を返す。芳を追って住んでいる家を知りたい、と思う気持ちも祐河には有ったが。

 遠く離れていくタクシーを眼に、祐河はむしろ平塚を追いかけた。


 迎えを頼む電話を掛ける振りをする祐河の脇を通り過ぎ、平塚は改札口をくぐった。横目でそれを追い、祐河も後に続いていく。

 別の駅へ戻る振りで、そのまま平塚の後ろに付いた。

 携帯を鏡代わりに利用し、平塚を液晶面に映す。僅かな影で平塚の動きが読めるなら、それで十分だ。

 電源の入っていない黒い画面を適当に親指で擦りながら、祐河も電車が来るのを待った。

 乗り込む平塚を見ながら祐河もそれに続いて、平塚とは別の向かいの座席シートに腰掛けた。

 横向きに真っ暗な外の夜景を眺めつも、意識は眼の端にある平塚に向いている。元の駅を通り過ぎ、二つ先まで進んだ所で、平塚は電車を降りた。

 別の降車扉から、祐河も降りる。

 この辺りはオフィスビルが建ち並ぶエリア。平塚が会社に戻れば、芳の父親がどんな人物なのか知る、大きな手掛かりになる。

 社名の確保が祐河の課題であった。

「…っ!!」

 焦りが表に出てしまったか、携帯が手から滑り落ちる。運悪くホームの床を滑走して、それは平塚の足下へ入った。

 パキッ

「え?あ!?」

 咄嗟で交わしきれなかった平塚の足は、祐河の携帯を踏み、本体にはっきりヒビが入った。

 嘘みたいな話だ。驚愕したまま動けないでいる祐河に、携帯を拾い上げた平塚が近付いてくる。

「あの…これ。貴方の物でしょうか。」

 済みません、と平塚が軽く頭を下げる。

「壊れちゃってます…よね。弁償します。」

「あ、いえ。もう買い替えようと…思ってましたし。」

 気になさらないで下さい。そう声を掛けてみたものの。何がどうなって、どうすればいいのか。咄嗟過ぎて、祐河も上手く頭が回らない。

「あ、そうだ。これ、俺の名刺です。壊れた分で不都合が有れば、出来うる限り対処させて貰いますから。」

 そう言われて祐河は名刺を手渡された。携帯番号、メールアドレス、平塚の名前、部署名、そして祐河が欲した芳の父親に繋がるであろう社名が記されている。

「済みません。有難うございます。」

 祐河は深々と頭を下げた。

 有難い、そう全身で感じる。情けなくて涙が出そうな位、恵まれた状況に祐河は感謝した。

 平塚を見送り、暫く力が抜けて祐河はその場で呆けた。でも手に入れた名刺は、大切にしまい込む。これで、芳の状況が少しでもわかれば、何か自分に力になれる事が分かるかもしれない。

 力になれなくても。自分が必要無くても、芳が幸福であるなら…それで構わない。

 知る機会を与えて貰った事への感謝を、深く胸の内で繰り返す。そうして祐河も帰路に着いた。




 翌日、僅かな合間を作っては書店や図書館へ足を運んだ。祐河は雑誌や新聞を利用し、地道に情報を稼いでいく。

 色々と制限のある生活でそれは、祐河にとっては確実な方法だ。

 二、三日掛けて集めた情報によると、会社はイベントの企画立案からレンタル他、割と幅広く手掛けている中堅企業らしい。

 稲見寛人ひろひと。それが社長の名だ。

 元々が老舗卸業の跡取りであった事もあり、経営のノウハウはしっかりしている。今は実弟が副社長に就いて、共に会社を盛り上げているとも、記事にあった。

 祐河には、彼の人格者の顔が浮かんできた。

 しかし、家族に関しての情報は、記事として上がっていない。既婚者である事が窺える程度だ。

 出来る事なら、直接逢って見極めたいと、祐河は望んだ。勿論当てがある訳ではないので、それは無理だが。

 一先ず、会社の手掛けたイベントの評判や、営業所の様子を調べていくのが、次の課題だ。トップの有り様は、その下で働く社員の有り様にも少なからず出てくる筈だ。

 名刺を手に祐河は向かうべき場所へ、まずは向かった。


 本社ビルの受付で、祐河は平塚の名刺を取り出した。先日の件を軽く受付嬢に話す。

「…少々お待ち下さい。」

「いえ、いいんです。」

 気を利かせて平塚を呼ぼうとした彼女を止めて、祐河は名刺の返却を頼んだ。

「平塚さんに無事問題なく済んだ事をお伝え願えれば、それで十分ですから。彼の御厚意、御配慮に感謝します。」

 既に名刺に記載されていた内容は写し済みだ。祐河は爽やかに微笑し、会釈と共に踵を返す。

 丁度、建物を出る祐河と入れ違いで、雑誌で見覚えある顔の男性が、入ってきた。

 釘付けになる自分が、そこにいた。祐河は自分の眼を疑う程、稀なる巡り合わせに心底震え驚いた。

「社長、この後の…」

 通り過ぎた秘書らしき女性の声が、祐河の後方から聞こえてくる。振り返り、女性の隣に立つ背広を祐河は注視した。

 精悍な顔立ちの壮年男性であった。受付嬢に限らず、フロアにいる全ての社員に挨拶を交わし、笑顔で接する。社員達の眼差しも明るく、自信に満ちた笑顔に溢れていた。

 あまり芳には似ていない。

 ほぼ逃げるように、祐河はその場を立ち去った。


 その後電車に乗り、祐河はとある停車駅のアナウンスに顔を上げた。其処は先日、芳がタクシーに乗り込んで帰っていった場所だ。惹かれて降りてみたものの、困惑気味に祐河は口元を歪めた。

 改札口を通り抜けて外に出る。昼間は前に見た景色と違い、街の雰囲気や光景が眩しく眼に映る。

「………。」

 徐に祐河は周辺を散策し始めた。

 幹線道路も程近く、交通の便もいい。地図で前に調べていたので、住宅街の作りは頭に入っていた。

 喧騒のない落ち着いた街並みを、宛てもなく祐河は歩いた。

 三十分ほど歩いただろうか。賑やかで楽しげな笑声が何処と無く聞こえてくる。家族連れなのだろう…。ほんの少し胸の奥が疼くのを抱えて、祐河は足を向けていく。

 歩道沿いの小さな公園で、親子の遊ぶ姿が見えた。若い母親と小さな男の子だ。

 祐河はそれを見ていて、どうしようもない自分自身の情けなさを感じた。

 無邪気に母親に笑う子供の笑顔が、対照的な芳の俯いた無表情な顔を思い浮かばせる。芳が幸せならそれでいい、と呪文のように心に言い聞かす自分の愚かさが浮き彫りになった。

 欲しいのは、芳が幸せだ、という確証だ。その為だけに、こんな場所まで俺は足を運んでいる。

 しかしそれは…決して芳の為では無い。自己満足を充たしたいだけの、愚かで身勝手な行動だ。

「……ッ、」

 目眩がしそうな衝撃だった。過去の自分と何も変わらない。立ち止まったままの祐河の脚は震えて、動けない。

 暫く、祐河はその場に蹲った。

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