第7話 告白する気持ち、静けさ
どうにか昼食も間に合い、終えて二人は階のロビーへと出た。
「この上、なんだ?」
食事をしながら後の事を話して、祐河から屋上庭園がある事を聞いた。丁度このビルの上になるらしい。
平日でも人気で、安心して子供達を遊ばせられる、と有名みたいだ。
祐河はそんな話を、何気無しに口にしたつもりだった。
「行って…みたいな。」
期待を込めた言葉が、芳の口から零れ出る。
「人が多いかも知れないけどな。」
壁面窓から街を見下ろして、祐河が返す。人目を気にするのも今更だろう、と思わなくも無い。けれど、男二人で友達以上の感覚で触れ合う姿は、きっと子供には奇異の眼で見られるんだろうなと、軽く祐河は危惧を抱いていた。
「うん。でも…」
駄目?と、窓の向こうの空を見上げていた芳が、祐河の顔を伺い見る。この機会を逃したら、一生そういう場所には行けない気がして。
その芳の双眸に、祐河も勝てず断れなかった。
最上階までエレベーターで上がる。そこから階段を登って、二人は屋上に出た。回廊式の庭園があり、その向こう、遊園部には目玉の観覧車が存在している。
芳の視線が、高く大きく回るそれに向けられていた。
「乗るか?観覧車。」
瞬間振り返り、驚いて芳は目を見開いた。それから一呼吸置いて、ゆっくりと力強く頷く。
祐河は微笑み、芳の手を引いて観覧車待ちの列に向かった。
小学生時分以来か。うっすらと祐河の記憶にあるものの、あまり鮮明とは言えない。
よく考えたら、高校卒業間近に行った遊園地の記憶が、あまりに酷すぎて、自分で封印してしまった気もする。
ちらりと芳に目をやると、緊張の面持ちで前方の順番が来るのを凝視していた。
並んでいるのは主に親子連れだ。時折その間に友人同士や、稀に恋人同士も居る。芳の手が心なしか、強く祐河を握り締めてきた。
祐河も、一瞬手のひらに力を込めた。
「大丈夫、だ。」
「祐河…さん。」
色々なものを引っ括めて、祐河も観覧車を見上げた。芳も同じく、真っ直ぐ見つめる。
列の前の親子連れが乗り込み、今度は自分達の番になった。緊張が最大級になり、芳は息を何度も飲み込む。
「乗るぞ。」
係員の案内と祐河の声が、芳をゴンドラへ導いた。
「うわっ、」
初めてだからか、足下に揺れを感じて芳は戸惑った。祐河は芳をまず座らせて、それから自分も向かいに陣取った。
係員の慣れた手が扉を閉めると、ゴンドラは上昇を始めた。
「祐河さん。」
おっかなびっくり、カチカチに固まる芳に、祐河も苦顔する。その様子が滑稽でつい笑ってしまうが、祐河には愛おしかった。
「大丈夫だよ。」
優しく芳の頭に手が添えられる。梳くように指先が髪を絡めて滑り落ちるのを、芳は静かに胸に受け止めた。
「…有難う、祐河さん。」
まるで指先の魔法みたいだ。祐河に触れられただけで、こんなにも気持ちが落ち着く。フワリと心が軽くなる。
仄かに赤く頬を染めて、芳は笑った。
ゴンドラはゆらゆらと上昇を重ね、頂上部へ間もなく着く。西日に照らされる街の様子が、一望できる。
景色を見ていた芳が、ふと振り返り、じっと祐河を見つめた。現実味の無い感覚が、小さな
夕陽を背にした芳を、祐河はじっと見つめている。その表情が何処と無く、不思議に思えて、今しか存在しない錯覚に芳は陥った。
ゆっくりと、芳は祐河に顔を近付けた。
「………ん、」
触れあう柔らかい唇の感触が、急速に芳を現実に引き戻す。
「ごめん…なさい。迷惑だっ…た?」
淡々とした祐河の表情が怖くなって、芳は僅かに声を震わせた。
「いいや。…有難う。」
そんな臆病風に吹かれる芳を前に、フッと祐河は力を抜いた。そして微笑を溢す。芳を怖がらせたくない、そんな気持ちは変わらない。
「でも。」
祐河は言葉を続けた。
「礼や気遣いからじゃなくて。俺の事を好きだと思ってくれた…その時で良いんだよ。」
見つめ返される祐河の眼差しは、穏やかで優しかった。でも、その奥に哀しみがある様に芳には思えた。
ゴンドラは速度を変えず、ゆっくりと降下していく。何か言葉を紡がないと、気まずい空気が充満しそう。でも、何も思い浮かばない。
芳は俯いて唇を噛み締めた。
こんなにも祐河に想われているんだ、と。改めて芳は強く感じたのだ。
自分の事を想ってくれている、それが重責にしか感じられなかった。今までの自分はそうだった。
理解していても、叱責や羨望に揉まれて望まれる姿になれない自分自身に、心は潰れ掛けていたのに。
何も望まずに、ただ有りのままに受け入れてくれる祐河を、感謝だけの気持ちで芳は収められなかった。
祐河の傍に居たい。
はっきりと、芳も強く胸に刻んだ。
「祐河っ!!」
ゴンドラが揺れる位勢い付いて、祐河の胸に縋る。掴んだ襟元が皺になると、普段なら芳もそちらが気になっただろうけれど。
唇を触れ合わすだけでなく、芳は自らその舌を祐河の口腔へ差し入れた。
「………ん、」
祐河も侵入した芳の舌を受け入れて、同じく深く絡ませる。支える様に撫でるように、蠢くその太い舌筋がとても温かい。
他人の眼は気にならなかった。
腕が互いに相手の背に回る。短い間だったかもしれない。でも二人にはとても長い瞬間だった。
「そろそろ下に着く、な。」
横目で地面との距離を測る祐河は、そっと芳の肩を押して、降りる態勢に入った。この先は大勢の目に付く。
芳はもう少しこのままで居たいと望んだ。
「このままもう一周は無理なの?」
「順番。皆待っているだろ?」
不服な顔を見せたが、眼下の来場客を見て、仕方ないと諦める。幼い兄弟が芳同様、期待に胸膨らませてはしゃぎ待っているのが眼に映った。
ぎこちない足取りで、ゴンドラを降りる。芳は、祐河と共に観覧車を後にした。
歩きながら、祐河は芳に問い掛けた。
「俺、でいいのか。」
人混みに掻き消されて、声が届かない。気付かないままの芳に、もう一度問い質す勇気を祐河はまだ持てなかった。
「え、何?」
「…いや。」
含み笑いで返されて、芳は少しむくれてみせる。祐河が何か言った様に感じたけれど、はっきりとは聞き取れなかった。
何か、大切なものを聞き逃した気がする。
「…言ってくれればいいのに。」
そう呟き、幸せな甘い言葉を想像する芳は、照れながら秘かに微笑んだ。
満ち足りた時間に至福を感じると共に、夕闇が迫る不安も祐河の胸に過る。
「手、繋ごう。」
振り返った芳が掌を差し出す。一歩先行く芳の、無垢で愛しい笑顔が溢れていた。
「ああ。」
眩しさに祐河は眇めた。
庭園造りの外階段をゆっくりなペースで降り、再び屋内へと二人は戻った。
エレベーターを待っている間、何を話そうか、お互いに選び迷っていた。
手を繋いだまま、祐河も芳も壁に凭れて呆けていた。
「あのね。連れて来てくれて、有難う。」
頬を染めて、芳が喋る。そんな姿を見ない様に、祐河は相槌を打った。
今が一秒でも長く続く様に。そんな思いで祐河は指を絡めた。互いに指先が追い駆けっこをするように、何度も位置を変えて絡み合っていく。
「楽しかった…ね。」
「ああ。」
それ以外は何も思い付かず、照れるようなむず痒さが胸一杯に広がる。その度に芳は繋いだ手を強く、確かめる様に握った。
祐河も包む様に、芳の手を何度も握り込む。
やがて到着したエレベーターに乗り込み、人波にのって駅の改札口へと向かった。
街灯が、静まり返った道路をぽつりと照らしている。
祐河は真っ暗な部屋に一人、帰り着いた。
重苦しい身体を引き摺り、買ってきた食器を袋のまま床に置いて、ベッドに身を突っ伏す。考える気力はもう微塵も無い。
このままずっと眠ってしまいたかった。
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