第6話 全快祝いに初デート

 芳の額に手を当てた。祐河は少し険しく芳を見つめ、思案する。

 熱が振り返している。ベッドで今は大人しく寝ているものの、これ以上長引くならやはり医者に見せるべきだろう。

「ゆ…ぅかさん、」

「…何か飲むか?」

 芳は静かに首を振った。徐に手を伸ばし、祐河の手に重ねる。

「気持ちいい…」

 目を閉じる芳の表情がとても穏やかで、祐河も心が癒された。


 芳には不思議な心地だった。誰かが傍に付いていてくれる。それだけで、こんなに安心出来るなんて。

 今までがどうだったか思い出せない位、芳は安堵に包まれていた。迷惑を掛けたくない、邪魔になりたくない気持ちはある。けれど、マスターの言葉が処方箋みたいに、心に利いている。

 祐河の気遣いを素直に受け入れられる。

「ぁ…りがとぅ…」

 怪訝に見つめる祐河を肌で感じつつ、芳は吸い込まれるように眠りに落ちた。


 芳が眠ったのを確認し、祐河は傍に腰を降ろした。

 熱で身体も辛いだろうに、安らいだ表情の芳に祐河は何とも言えぬ感情を抱いた。

 芳と俺は、この後も付き合っていける…だろうか。

 家出した理由を、まだ聞いていない。帰る場所があるなら、そこへ戻るのが筋だ。戻ったが最後、二度と会えない事も…。

 祐河は嘆息を吐いて、項垂れた。

 先の事はわからない。だから考えるな、と自身に言い聞かすのが精一杯だった。




 二日後。

「大丈夫、か。」

「はい。お陰様で。」

 芳の体温はすっかり平熱に戻っていた。用意した朝食もペロリと平らげ、食欲も旺盛になっている。デザートの林檎を丸一個分、口に運びながら、とても満足げに頬張っていた。

 仕事が休みの今日は、祐河も付きっきりで芳の傍に居られる。

 食事を終え、後片付けを済ます祐河に芳は声を掛けた。

「体、拭かせて貰って良いですか。」

 風邪で臥している間、着替えの際に軽く汗を拭う程度で、風呂にも入っていない。一度綺麗サッパリと芳は身を浄めておきたかった。

「ああ。入れるようなら、シャワー使って貰っていいが?」

「そう…します。有難うございます。」

 はにかんだ笑顔で、芳は少しは慣れた部屋の中を移動した。祐河も芳用の着替え一式を取り出し、バスタオルと共に手渡す。

「じゃあ、入ってきますね。」

 軽く頭を下げ、ユニットの中へ消えていく。その後ろ姿を確認して、祐河は軽く部屋の掃除を始めた。


 掃除機を止めて片付けようとした所で、祐河はシャワーを終えた芳が出てきているのに気が付いた。洗い晒しの髪はまだ湿り気を帯びていて、ほんのり上気する頬に色艶を与えている。

「芳…?」

 歩み寄る芳が、祐河の唇にキスをする。肩に羽織ったバスタオルが肌を滑り落ち、無垢な身体を露にした。

 躊躇いがちに芳はそっと言葉を紡いだ。

「あの…その、抱いてくれて…いいんですよ。」

 恥じらいながら、上目遣いで祐河を見つめる。芳の意図を理解した祐河は、伸ばした掌で芳の頬に触れた。髪を掻き上げる様に手を滑らせて、頭を撫でる。

「有難う。その気持ちだけ、受け取っておくよ。」

 慌てた芳の手が、祐河の袖を掴んだ。離れないで、と言わんばかりに、瞳の奥が揺れる。

「祐河さんに御礼がしたいんです。」

「いいさ、俺が勝手にやっていた事だから。」

「でも…」

 追い縋る芳の肩に、拾い上げたバスタオルを掛けてその身をくるんだ。

「礼なんて気にしなくていい。また風邪引くぞ。」

 俯いて、掴んだ袖を強く握りしめる。芳は小さく震えた。

 何も返せないのが悔しい。唇を噛み締めて苦い表情をする。

「お金なんて…無いし…」

 自分に出来る精一杯の事だと思ったのに。何も出来ないんだと思うと、芳は涙が零れそうになった。

 そんな芳の悄気た姿に、祐河は仕様がないなと笑みを溢して、芳に誘いを掛けた。

「午後から二人で何処かに出掛けないか?」

 えっ、と不意打ちを食らったように、芳は驚いて顔を上げる。祐河はデートみたいなものだ、と軽く笑った。

「嫌なら断ってくれればいい。」

「そんな事無いです。本当にそれで良いのですか。」

 不思議さに、芳は祐河を覗き込む。だって大人の付き合いでは肉体関係を持つのが普通だと、そう芳は思っていたから。

「もう少し、一緒に過ごす思い出が欲しいかな、ってさ。」

 まるで初な童貞みたいか…と思ったが、祐河自身の素直な気持ちでもあった。




 話がまとまるのは早かった。昼食も外で取ろうということになり、芳も祐河も着替えて共に外へ出た。

 幸い、薄曇りで暑くも寒くもない。丁度良い気温だった。

「手、繋ぐか?」

 少し祐河の手と顔を見比べ、芳は気恥ずかしげに頷いた。指を互いに絡め、何とも言えない高揚感に、二人して笑う。


 場所は、芳が行った事が無いという、大型商業施設に決定した。

「此処、一度入ってみたかったんだ。」

 嬉しそうに芳がはしゃぐ。只の家具専門店なのだが、楽しげな芳の様子に祐河も心を和ませた。

「初めてなのか。こういう所は。」

 満面に笑みの芳は、大きく頷いた。きらきら輝く瞳が、周囲の視線をも惹き付ける。

 祐河も足を運んだ経験は皆無に等しい。とはいえ、ホームセンターやショッピングモールには普通に買い物に出かけるので、祐河には大凡の想像が付いていた。

 どうやらそれも、芳には無さそうだ。

「上から順に見て回るみたいだな。」

 進路に沿って、寝具や戸棚等の大型家具が展示されている上階に、エスカレーターで二人は上がった。

 広々とした店内は、端から端まで見渡せる。更に区画の一部で、実際の部屋を想定した、商品を使ってのレイアウト見本まで用意されてある。

「うわぁ!!」

 感嘆の声を芳は上げた。幾つものお洒落な部屋が並ぶ様子が、心に響いたらしい。まっしぐらに部屋ディスプレイの前まで行き、通路から中を覗いている。

「おいおい、」

 祐河も呆れながら、芳の様を微笑ましく見つめた。

 予想以上の喜びぶりだった。正直、こんな所で良かったのか、祐河は迷っていたのだが。

「ねえ、座ってもいい?」

 振り返り、祐河に尋ねる。子供がアトラクションを楽しむ様に、目の前のクッションソファを指差して問い返す。

「ああ。座り心地を確かめて貰う用のだから…」

 祐河の説明も程々に芳は、早速ソファに向かって飛び跳ねた。生地を破いてしまわないかと気が慌て、祐河は焦りに背筋を濡らしたが。当の芳は座り心地を満喫している。

 他の客の目があるものの、気にも止めずに芳は幸せな笑顔を浮かべていた。

「やだ…ずっと居たくなるね。」

「やっぱり気持ち良いか。」

 コクンと芳が頷く。噂位は聞いていたが、こうして芳の表情を目の当たりにすると、品の良さがよくわかる。そう、祐河も一人ごちに納得した。


 いつまでも一所を占拠する訳にいかない。二人はまた別の展示スペースに進み、寝室のコーナーで足を止めた。

「おっ…きい、ね。これ。」

 展示されている物の中でも最大級のキングサイズのベッドを前に、芳は目を丸くして祐河に縋った。

 どんな人がこのベッドで寝るのか、真剣に想像しようとして頭を悩ます。そんな芳の表情にも、祐河には可愛さが溢れ返って見えた。

「………。」

 見惚れて、思わず悩殺されかける。祐河は慌てて虜になる精神を振り切り、他へと意識を変えるよう試みた。

「…祐河さん?」

「スプリング良いよな。これ。」

 誤魔化すように手近のソファベッドに手を伸ばした。芳を見つめ過ぎて、逆に怪訝な顔をされてしまった。

 マットレスの反発力を確かめるように、祐河は片手に体重を乗せる。

「可愛い。こんなのもあるんだ…ね。」

 ベッドとしての機能だけでなく、ソファとして普段使える所が気に入ったらしい。乗り気な芳は、早速腰かけた。

「祐河さん、ねぇちょっと。」

 手招きで芳が呼ぶ。祐河は何かと首を突っ込む様に、芳に近付いた。

「うわ、」

 芳が強引に祐河の腕を引く。釣られてベッドに祐河も腰を落とした。

「…こんな風に並んで居られたら、良いのにね。」

 無邪気な顔で言う芳に、胸の奥で迷いが生じるのを、祐河は感じずにいられなかった。面には出さぬよう、必死でそれを打ち消し、誤魔化し笑う。

「向こうも見に行ってみようか。」

「うん。」

 誘われるまま、芳は立ち上がった。そして祐河の後に付いてゆく。離れてしまわぬ様に、差し出した手をお互いしっかりと握り合わせた。


 他の来客の様子も見つつ、入口で貰ったパンフレットをざっと斜めに見る。家具以外にも、日用雑貨や便利ツール等々、本当に様々な物が置かれている。

 二人であれがそれがと、賑やかに言い合って歩いた。ゆっくりと店内を回っていく二人の時間は、とても楽しくて。祐河にしても、芳にしても、嫌な事全てを忘れさせてくれそうだった。

 ウォークインクローゼットに潜り込んでかくれんぼ。戸棚の引き出しで、宝探し。色とりどりの小物類でカラー集め競争。

 馬鹿馬鹿しいけれど、祐河も芳も、思い切り楽しんだ。

「当分、此処には来れないよな。」

 笑いながらそっと、芳に小声で耳打ちする。はしゃぐ二人の姿はきっと、店内で目立ったことだろう。

 食器類と生活小物の品揃えが並ぶ、レジに近いエリアにて、祐河は足を止めて芳に振り返った。

「ひとつ、選んでくれるかい。」

 祐河の部屋には、必要最低限しか物を置いていない。だから、来客用の食器が一揃え欲しかった。

 それは同時に、芳が使う食器にもなる。

「え、と。僕が選んでも良いんですか?」

「ああ、勿論。」

 見るだけのつもりでいたから、少し嬉しいような擽ったいような気持ちに、芳はなった。そして無意識に自分の物な気分で、物色し始める。

「あ、これ。」

 いいな、と手に取ったのは、祐河の部屋に置いてある物によく似た、色違いのマグカップと皿だ。

 決めるのは祐河だし。此処で買わなくたって、本当は良いのだ。

「じゃあこれにしよう。」

 祐河の手が芳から商品を受け取る。そのまま、レジへと向かうのを、値札を見た芳が慌てて止めた。

「ま…待って待って、やっぱり此方の方が良いかもっ!!」

 どうにか間に合って、商品を取り替える。違うデザインだが、まだ此方の方が幾分か安い。

「此方でいいのか?前のでも十分に構わないけれど?」

「は…はい、可愛いもんっ。これも…」

 焦った分だけ、心臓がどぎまぎしていた。深呼吸で芳は息を整える。

 会計を済ませ、買い物袋を手に二人は店を後にした。

「高く付いちゃった…ですね。」

 申し訳無さそうに、芳は首を垂れて祐河を見上げた。

「そんな事は無いさ。」

 必要経費だよと、気にする芳を宥める。何より祐河は芳が気に入っていれば、それで良かった。

 建物の外はすっかり晴れて、今は青空が広がっている。

 昼時は過ぎていた。時計台の針を目の当たりに二人は顔を見合わせ、急いで飲食店のあるビルへと駆け込んだ。

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