第3話 夜の街と微熱
散々悩んだ挙げ句、祐河は翌朝その店のある街へ向かった。喫茶店のマスターには無理を言って休みを貰い、日中の歓楽街まで足を運んでいる。
流石に最も賑わう時間帯にくる勇気はなく、少し閑散とした路地を歩く。祐河は溜め息混じりに、店の近くで足を止めた。
芳の姿は無い。当たり前の事だ。あくまで名刺は、この数日の間に芳がこの界隈を通った可能性がある、と言うだけの代物。期待する事自体、おかしいだろ。
そう、祐河は己を窘めた。
「………。」
このまま立ち去るのも癪だから、祐河はもう少し先の区画まで足を伸ばしてみた。
飲食店とネットカフェが疎らに点在する。夜と昼の住人が混在しているのか、比較的活気が有った。
横目でそれらを通り過ぎ、一番近い地下鉄への降下階段の入口に来ると、その向こう側で誰か揉め事を起こしていた。
見る限り、援交しようとしている少女を、買おうとした男と止めようとした男が言い争っている。
少女の身形をみた祐河は、思わず叫んでしまった。
「芳っ!?」
その名を口走った事に、後悔して口元を歪め、一気に彼らへ向けて走り出す。幸い言い争う声の方が大きくて、気付かれていないらしい。
揉める男共を止めるでもなく、ただ争いが終わるのを待っている華奢な体に、祐河は手を掛けた。
「…ぇっ、」
振り向いたその表情が、見る間に固まっていく。間違いなく芳だった。
「や…なんで…」
「なんだ貴様…」
言い争っていた二人も祐河に気付き、その矛先を向けてくる。祐河も男共と向き合った。だが芳の手首はしっかりと掴んだままだ。
「彼は俺の友人です。お騒がせして済みません。」
頭を下げると、掴んだ芳の手首を強引に引き寄せ、踵を返した。
「や…放して、」
「おい待てよ、」
止めようとしていた男が祐河を制止に掛かった。しかし、もう一人の男がこれ幸いと相手の男へ仕返ししに入る。二人が揉み合っているのを祐河もチャンスと取って、芳を連れてその場から逃げ出した。
警察沙汰になる前に、適当な建物に隠れる必要があった。
一番候補はカラオケボックスだったのだが、生憎と見つからない。仕方なしに祐河はホテル街へ足を向けた。完全に個室になれる場所なら何処でもいい。
兎に角、じっくりと話をする必要があると、祐河は思ったのだ。
「放せ、放してってば。」
芳は当然激しく抵抗した。傍目には完全に祐河が拉致した状態だ。
「なんで邪魔する…んですかっ!!僕が誰と寝ようが関係ないでしょ!!」
足早だった祐河の歩みが止まった。場所柄、状況、それらを踏まえても、出来れば違う事を望んでいた芳の現実に、やり場の無い苛立ちが込み上げてくる。
「来い。」
怒り心頭のまま、祐河は芳の手首に力を込めた。そして迷う事無く強引に足を進める。
暴れる芳を無視し、無言のまま進む。そんな祐河に、次第に芳も抵抗するのを止め、大人しく付いてきた。
夜ともなれば妖しげな色彩のネオンが点灯するホテル街を、昼間とはいえ、幼顔の芳を歩かせるのは祐河も気が引ける。
祐河はなるべく手近な程々の場所を選び、芳を連れて建物の中へと隠れた。
部屋に入るまで、二人は終始無言だった。ドアの鍵を掛けて、漸く祐河は芳の手首を放す。
「で。僕をやるつもりですか。」
淡々と芳は祐河に尋ねた。その瞳には恐らく侮蔑の光が宿っている。そんな風に祐河は感じ、まともに芳の顔を見るのは気が引けて俯いたままだ。
気まずい雰囲気で佇んでいたが、こういう場所に不馴れで戸惑う祐河の様子に、クス、と芳が嘲笑う。
「どうそ。お好きなようにしてください。」
芳は服を脱いだ。制止する間も無く、あっという間に着衣が床に滑り落ちる。その姿には、祐河も息を飲んだ。
「お前…どうして、」
そんな傷だらけの身体を平気で他人に見せられる?
あからさまな暴行の痕が刻まれた肉体に、祐河は視線を外したい衝動に駆られた。
「夜の相手位、出来ますよ。慣れてますから。」
悪びれない顔で無邪気に言う。そんな芳の様子に、寧ろ祐河の方が気後れした。
「お前…誰にやられたんだ、その…」
怖々口を開く祐河に対し、平然と冷めた眼で芳は答えた。
「ああ、これですか。あの下衆男にです。僕の父親。名目上はね。」
嘲笑に近い表情を浮かべ、躊躇無く自分の父親を詰った。
「か弱い母さんの盾になるのが僕の役目ですから。」
笑っているが、内容はそんなものではない筈だ。だのに芳は愉快げに、己をも嘲る様に、平気な顔をして言葉を綴る。まるで他人事のように、だ。
「同情なんて真っ平。御免ですよ。」
見透かした様に釘を刺す。そんな芳に祐河は言葉を失った。
対して芳はと言えば、自分でベッドに上がり、自ら脚を広げて見せる。
「どう…したんですか。もしかして、怖じ気づいた?」
小悪魔みたいに微笑を浮かべ、祐河を煽る。娼婦じみた真似をする芳に、次第に祐河も腹がたってきた。
「ほら…早く突っ込みたいんでしょ?この中に。」
いいんですよ、と自ら広げて祐河に見せる。そこには恥じらいも何も無い。
「やめろ!!そんな言い方をするのは!!」
前々からうっすらと感じていた、芳の己自身に対しての嫌悪。殊更に道具の様に扱おうとする、芳自身に対しての態度。
自ら蔑んでみたり、平気で傷付けてみたり。芳がそんな事を繰り返しているように思えた。
芳のいるベッドへ突進し、祐河は止めさせる為に芳に掴み掛かる。
「っ!!痛い、」
歪めた芳の表情がゾクリとする程艶かしく、祐河は胸を鷲掴みにされた。
熱い吐息、潤み気味の瞳、何処と無く気だるげな、芳の様子は祐河に不安を抱かせる。
「お前…」
「…なに?」
祐河に押し倒された形の芳は、見上げて不思議げに祐河を見た。祐河は額を芳の額に押しあて、それからうなじにも頬を寄せる。
「熱…有るじゃないか。」
どうして直ぐに気付けなかったのだろう。明らかに芳の身体は高熱を発している。
「医者に診てもらったのか?」
苦い表情で黙りを決め込む芳に、祐河はベッドから降りてすぐさま芳の服を掻き集めた。
「なにを…する…の」
明らかに芳の声は怯えて、眼差しだけが負けじと祐河を見つめている。祐河は集めた服を広げると、ベッドの上で縮こまる芳の上体を引き起こし、その肩に掛けた。
「服を着るんだ。今から医者に行くぞ。」
逃げる芳の身体に無理やり服を着せる。最初と違い、明らかに鈍ってきた抵抗に、祐河も苦い表情を隠せなかった。もしかしたら、自分は芳の病を悪化させているのかもしれない。そんな罪悪感が小さくしつこく心の隅を突付きまくっている。
「やだ…絶対、やだ。」
かなり肉体的にも辛くなってきたのか、芳の息は上がっていた。真っ赤になってしゃくりあげながらも、それでも必死で拒絶しようとしている。そんな姿に祐河も無理強いが出来なくなっていった。
「判った。だがその代わりにだ。」
祐河はクイと芳の顔を自分に向かせる。
「俺に看病をさせろ。完全に良くなるまで、な。」
致し方なく、涙目の芳の頭が散々迷った挙句に、小さく頷いた。そのまま胸元に当てられる芳の額を受け止めて、祐河もそっと肩を抱いた。
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