ライバル・プリン:プリン

 喫茶店ラージヒルに差し込む夕日は随分と淡く優しい光になった。十月ともなれば日が傾くのが早くなる。あたしの好きな季節、好きな時間帯だ。

 ――どすん。

 この店では聞き慣れた重い音に振り向くと、マスターがあたしたちのテーブルにお皿をふたつ置いている。

「あら。注文していないわよ」

 今日は他にお客さんがいないので、他人の注文と間違えたわけではない。まだ耄碌するような歳でもないだろうに……と思っていると、マスターはあたしの疑問を見透かしたようににやりと笑う。

「いつも饒舌な理緒ちゃんが今日は静かだからさ。サービスだよ」

「悪かったわね、いつもうるさくて」

 あたしはわざとらしく睨んで憎まれ口を叩いたが、マスターは更に笑顔を濃くしただけだった。ラージヒルに通い始めた頃は無口なマスターだと思っていたが、今ではあたしのもう一人のお父さんみたいだ。

 お皿に視線を移すと、中央には黄色い円筒形の物体――豆腐半丁ほどの――がぷるぷると揺れていて、周囲にはたっぷりの生クリームとイチゴが配置されている。

「わお、プリン・ア・ラ・モード! ありがとマスター愛してる」

「その言葉は理緒ちゃんの一番に言ってやんな」

 一番には面と向かって言えないからこうして二番や三番で練習するのよ、と心の中で呟く。口に出さない抗議をよそに、マスターは正面に座る少女に声をかけた。

「こちらのお嬢さんの分もサービスだ。口に合うかな」

「あ、ありがとうございます」

 少女が慌てた様子で居住まいを正すと、その拍子に漆黒の前下がりボブがふわりと揺れ、同性ながら見とれてしまう。いいな。あたしも伸ばそうかな。

「考え事を続けるにしても、甘い物が役に立つさ。ごゆっくり」

 厨房に戻るマスターを見送りもせずに少女を見つめていると、目が合った。

「どうした理緒ちゃん。僕の顔に何かついてるの」

 昔のままの口調。よかった、あたしの知っている志帆だ。うん、もうしいちゃんじゃなくて志帆って呼んじゃえ。

「七年は長いなあと思って。志帆がこんな素敵な女の子になってるんだもん」

 わあ、赤くなってうつむいた。可愛すぎるぞ志帆、惚れちゃう。

「理緒ちゃ……、理緒だって。痩せて綺麗になってる」

 うわ、むず痒い。あたしは思わず噴き出した。

「幼馴染みで褒め合っても照れ臭いだけね」

「うん……。わ、おいしい」

 先にプリンに手を付けた志帆が歓声をあげた。あたしもプリンを味わう。

「ん?」

 なによマスター、甘くないじゃない。続けてもうひとくち。これ何プリンかしら。カラメルの苦みも相俟って、ほぼ甘みを感じない。

 翔平の奴、あたしと一緒にいるときどう感じているんだろう。このプリンのように甘味が足りないのかな。

「お」

 生クリームを頬張り、ようやく気付く――かぼちゃプリンだ。甘みを抑えたかぼちゃプリンと生クリームの絶妙なコラボ。その演出により、口中に幸せな甘みが広がっていく。

 そうだ、あたしが変わらなければ翔平だって変わらない。幸い、あたしはどうすれば翔平が喜ぶか知ってるし。夕べ、贔屓のマジカルズがマジック六とか騒いでいた。球場観戦……、今からチケット取れるのかしら。

「わあっ」

 イチゴがおいしい。心地良い酸味のおかげで爽やかな後味。どうしようマスター大好き。思わず厨房を見ると、笑顔のマスターと目が合った。

 マスターが背中を押してくれた、と都合良く解釈しちゃう。よし決めた。今度翔平を誘おう。


 それからしばらく、他愛のない話題で志帆と笑い合った。

 やがてお皿が空になり、気付くと志帆の声が途切れがちに。

 そろそろ本題かな。そう思って身構えていると、志帆がおずおずと話し出した。

「あのね理緒。僕……、自分の気持ちがよくわからないんだ」

 その言葉は、今日ここで再会したばかりの時、志帆が真っ先に口にしたものと同じだった。


   *   *   *


 待ち合わせはこの店。窓際のテーブル席に座っていたあたしはドアベルの音に振り向いた。店に入ってきたのは前下がりボブの少女。

 小三から高一までの七年の空白はとてつもなく長い。でも、他にお客さんがいないことも手伝ってお互いにすぐわかった。

「理緒ちゃん。僕、自分の気持ちが……」

 まさに開口一番。迷わずあたしの正面に座った彼女は、こちらから何かを聞く前に、堰を切ったように話し出した。ただ、感情に任せた言葉は全く要領を得ない。

 七年の空白にも拘わらず頼ってくれるなんて。胸に広がる暖かいものを噛み締めつつ、あたしはお姉さんっぽく振る舞う。昔のように。

「しいちゃん落ち着いて。ゆっくり聞くから。まずは飲み物を注文しようか」

 あたしは予め翔平から、ある程度のことを聞いていた。

 彼女の引っ越しはご両親の離婚によるものだということ。再びこちらに引っ越してすぐ亮太に告白し、晴れて両想いとなったこと。また、こちらで友達になった片桐洋子さんは学年一の美人で、なんと翔平に告白したがっているということ。

 翔平が美人に告白されるなんてどんな奇跡よ。

 それなのに翔平の奴、そんなことちっともあたしに言わなかった。きっと気付いてさえいないと思う。勿論あたしとしてはそれでいいんだけど。というか、あたしでいいのか。そもそもあいつ、あたしを選ぶ気があるのか……いや、今は自分のことを考えてる場合じゃなかった。

 志帆と亮太の関係が羨ましい。あたしと翔平も同じ様なカップルに――そう思いつつ何の進展もないまま七年。でも彼女と亮太の仲でさえ、本当の意味で両想いとなった今も不安定なのだろうか。

 今日あたしと志帆をふたりきりで再会させるにあたり、翔平はこう言った。

「志帆の様子がおかしいんだ。何を悩んでいるのかわからない。俺はともかく亮太にさえ話さないんだ。悪いけど理緒、志帆の悩みを聞き出して相談に乗ってやってくれないか」

 相談内容はきっと亮太のことだろう。これからもあたしの目標ライバルで居続けて貰うためにも、しっかり相談に乗るからね。

 一度落ち着かせたのはいいけど、その後沈黙が続いていた。なんとか話しやすい雰囲気を……と思っていただけに、マスターのプリンは渡りに船だった。


   *   *   *


 志帆が言葉にしない部分にまで想像を巡らせながら、あたしはじっくりと聞いた。

 でも、なんだか様子がおかしい。てっきり、志帆と亮太の話だと思っていたのに、彼女の口からはなぜか、新しいクラスメイトである片桐洋子さんの名前ばかりが連呼されるのだ。


 明るくて社交的。そんな洋子さんのイメージは鳴りを潜めたという。

 告白して玉砕。どこの学校でもその手の噂は広がりやすい。しかも学年一の美少女ともなれば、外見への嫉妬のぶん酷い尾ひれがつくものだ。『特定の彼氏がいないふりをして、裏では複数の男に貢がせている』という噂は志帆の耳にも届いた。

 クラスで洋子に話しかけるのは、今や亮太と志帆だけだそうだ。

「片桐は誤解されやすいんだ。中学の時も孤立してた。せっかく明るくなったと思っていたのに」

「亮太は洋子に明るくなって欲しいんだね。僕もそう。でもどうしたらいいのかな」

「何と言っても告白失敗の噂が広まったのがきつかったんじゃないかな。翔平の奴、クッキー受け取ってやればよかったのに」

「じゃあ亮太は、洋子が翔平と付き合えばいいと思ってるの」

「それは俺たちが決めることじゃない。ただ、何とかして元気づけてやりたいんだ」

 志帆としても新しい友達を気遣っている。だが、こんな調子で毎日のように亮太の話題が洋子さんへの心配に終始するに至り、漠然とした不安が首をもたげるようになったのだろう。

「そう言えば亮太だけは洋子のことを苗字で呼ぶんだね。洋子も亮太のこと秋山って呼ぶし」

「片桐は自分の殻を破ろうとしてたんだ。俺は今更呼び方を変えられず、協力できなかったけどな」

 そして志帆は――

「洋子のことを一番わかっているのは亮太だよ。だったら亮太が元気づけてあげればいい」

 反応を確かめずにその場を去り、以来亮太とは口を利いていないそうだ。


「僕はずるいんだ。ひどい人間なんだ。洋子のために亮太を譲ってもいい、と受け取られても言い訳できないような態度を取った。その一方で、翔平が洋子の彼氏になればいいのに、って割と本気で考えた。ごめん理緒、ごめん」

 なるほど、だから志帆は自分の気持ちがわからなくなったのか。そして翔平の提案に従ってあたしに会いに来た、と。それにしても鈍いぞ翔平。あいつ自分が当事者のひとりだってこと全く自覚してない。

 いいなあ洋子さん。ほんの僅かな間に志帆の中でかなり大きな存在になってるじゃない。嫉妬しちゃうぞ。

 あれ? おいおい高校生だぞ志帆、泣かないで……あ、泣いちゃった。

 あたしは志帆の隣に移動し、頭を撫でてやる。懐かしいなあ、この感覚。

 その時ドアベルの音が響いた。

「いらっしゃいませ」

 ほら志帆、他のお客さんの目もあるし、そろそろ泣き止みなよ。

「あたしに謝ることないよ。あたしと翔平はまだ幼馴染みに過ぎないんだし」

「まだ?」

 あ、やば。口が滑った。

「じゃ、理緒はやっぱり幼馴染みを卒業したいんだね。それなのに僕」

「だからそれはいいってば。志帆は、それだけ洋子さんが心配だってことなんだから。亮太は売れちゃったけど、翔平は売れ残ってる。だから貸しちゃうぞ……ってもともとあたしの所有物じゃないし」

 何言ってるあたし。

 お、志帆笑った。よしよし。

 足音が近づいてくる。今来たお客さん。迷いのない足音があたしたちのテーブル前で止まる。知り合いかと顔を向けると、志帆が呟いた。

「洋子?」

「志帆に会いたくて、秋山に聞いたの」

 なるほど美少女だ。整った小顔と生クリームのようなゆるふわパーマ。その毛先は胸元まで垂れていて、そこであたしの視線が釘付けに。美少女で胸も大きいとか反則。さっき食べたプリンを連想しちゃう。

「あなたが春岡理緒さんね。あたし片桐洋子。ここいいかしら」

 返事も聞かず正面に座った彼女は、あたしに挑戦的な目を向けた。

「いいこと聞いたわ。翔平は遠慮無くお借りする。いつ返すか約束できないけれど」

「……はい?」

 いきなり何こいつ。ごめん志帆。あたし、洋子さん嫌い。

 心の中で洋子さんの渾名をプリンに決定。見た目は甘そうなにがプリン。

 初対面でライバル宣言。これが、あたしと片桐洋子との出会いだった。

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