世界が終わる八分前

綾瀬数馬

第1話

「『もし、明日世界が滅びるのなら君はどうする――』」


「――みたいなことを、いつの日かあなたが言っていたのをふと思い出したのだけれど」

 

 突然と言うより、出会い頭、何を言い出したのかと思うと、彼女はそう繋げた。

 旧友との久しぶりの再会。

 正しくは、元恋人との感動の再会とも言うべきか。

 まあ、感動だの再会だの、そんな郷愁を呼ぶ言葉は、彼女の手に握られているナイフによってとっくにめった刺しにされているのだが。むしろ、恐怖心を呼び起こす再会である。

 シチュエーションは滅茶苦茶なのに、なぜ俺は無事無傷なのか、と疑問に思っているのをどう受け取ったのか、彼女は更に言葉を続ける。


「だから、その答えを持ってきてやったわ」

「なるほど。これほど分かりやすい提示方法はないだろうね――だが、世界が終わるのは何も明日じゃあないぜ」


 俺を殺して、君も死ぬのであれば話は別だけど、と加える。んな訳あるか。むしろ逆だ。

 こいつが死ぬから、俺を殺しに来たのだろう。そうに違いない。

 他人事のように言ってはいるが、俺は死ぬ気が更々ないのは言うまでもないが、とうの昔に別れたとはいえ、一応友としての縁はある奴の自殺を見過ごすほど、俺の人間性は終わっちゃあいない。

 だから、俺はこう言うのであった。

 

「お前が死にたい気持ちはよく分かる。だがな、自殺はやめろ。俺が悲しむとか、そういうエモーショナルな理由はもちろんだが、これからの世界を考えると、非常に環境に悪い」

「何を誤解しているのか知らないけど、これはただインパクトを与えるために用意しただけであって、別段、あなたを刺し殺そうと言うつもりはないのよ」


 そう言って、ナイフを放り投げる。すると、たまたま偶然通りかかったサラリーマンが、それを拾うや否や足早に消えていった。


「で、俺を殺しに来たのではないとすると、何が目的なんだ? まさか、ただ単に喧嘩別れする直前にしていた話を持ち出すことで、もう一度関係を結びたいと意思表示しているつもりか? はっ、そいつは笑えるじゃないか」

「笑える話ではあるけども、答えはイエスよ。あと、喧嘩別れをしたんじゃなくて、あなたが何の前触れもなしに『別れよう』と言いだしたんじゃない。なし崩しと言うかなす術もなく別れざる得なかっただけ」

「おやおや、こりゃ記憶違いか。すまないな、何分つい先ほどまで、お前のことなんざこれっぽちも思い出していなかったものでな」

「あら奇遇ね。私も今朝、不細工な猫に出会ってやっと『ああ、そういえば、こんな感じの男が彼氏にいたなあ』と思いだしたぐらいよ」

「ああそうかい。そういえば、昔から、俺ら似ているって言われたよな。あの時はそんな馬鹿なとは思っていたが、一度距離を取ってみると似ているな」

「当時はさておき、今更言われてもちっとも嬉しくないわ――問い質しに来たのよ」

「ん? 問い質しに?」


 何言ってんだ、こいつ――ああ、もしや初めの質問に対する答えか? 突然言い出すから、何かと思った。

 まあ理解した今でもそれは変わらないが。

 何言ってんだ、こいつ。


「何故急に別れようなんて言い出したのよ。これでもあなたには尽くしてきたつもりなんだけど?」

「つもりなのがいけないんじゃないのか?」

「はぐらかしにもなっていないわよ、それ。どうせ最期なんだから、教えなさいよ」

「最期、ねえ」

  

 明日のことを考えれば確かにそうなのだが。


「君はそのつもりでも、俺は地球が滅びようとも生き残るつもりなのだが」

「つもりなんだから良いじゃない。どうせあなたには出来っこないわ」

 

 む。

 これは流石に頭に来る。

 一本取られたことは感心したが、最後の一言で全てがおじゃんになってしまったではないか。


「おいおい、出来っこないってそりゃあ、あんまりじゃないか」

「じゃあ、これから死にゆく元彼女の一生のお願い。きかなかったら、幽霊になってあなたを祟るわよ」

「同じく、死にゆく予定の人間に対して祟りはないだろう」

「あら、あなたは地球が滅びても生き残るのでしょう?」

「…………」

 

 これは困ったなあ。

 因みに、彼女は空手だが、柔道で黒帯を取っている。それを使って脅すことはないだろうけど、いやはやどうする俺?

 

「あー、えっと、その、笑わないか?」

「いや、笑ってあげる」

「だろうな。実はさ――」


 視界の端で、あのサラリーマンがいるのに気付いた。こいつまだいたのか――っておい!?

 と、ここで、フレームが思いきり歪んだ。





「あちゃあ、ここまでだったか」と彼女は楽しげに笑う。画面に映っていた、あのつんけんどんな態度はどこにもない。「あれは本当にびっくりしたよね」

「誰かが連れてきた、手伝いだが、エキストラかと思ったら、まさかただの部外者だったもんな」

「悪癖出ているよ」 

「おっと。すみません」

「感情移入が強いのはいまも変わらずだね」


 と、笑う彼女。まったくその通りだ。

 しかし、あのおじさんの件は人生で三番目に驚いた。目の前で自殺しようとするものだから、止めに入り出たり、その後事情聴取やらで、この映像のことなんかすっかり忘れていた。


「まあ、先輩の好で許してしんぜよう。でもさ、学生の遊びとは言え、観るに堪えないねえ。部室の隅に埋もれていてよかったね」

「あはは……あそこは、僕らが卒業して間もなく、使用禁止になったようですから、誰かが無断立ち入りしない限り大丈夫でしょうね」

「あー、確か、老朽化がひどくなって、床が抜けていたんでしょう? 大丈夫だった?」

「ああいうのはちょっとしたコツがあるんですよ」


 僕がそういうと、興味なさげに「ふうん」と呟く先輩。そう、僕らがつい先ほどまで見ていたのは、六年前に部活で撮ったビデオだった。

 僕と先輩は高校の時、同じ演劇部に入っていたのだが、ほぼ遊びの場であり、部活らしいことをしたのはこの一度だけだろう。リハーサルはもちろん、練習なしのぶっつけ本番だったため、観るのもつらい作品となってしまった。そう考えると、あのおじさんの登場はありがたかったと言えよう。


「あのおじさん、今頃どうしているんでしょうね」

「さあ、また自殺しているんじゃない? ま、それはあの人に限った話ではないけどさ」

「そうですね」

「『もし、明日世界が滅びるのなら君はどうする――』」

「…………」

「まさか、それを言う日がもう一度来ようとは思わなかったよ」


 僕は何も答えず、空を仰ぐ。今日は雲一つない晴天。だが、その光は少しばかり小さかった。

 もうすぐ世界が滅びる。

 しかも、明日ではなく今日。


「滅びると言っても、ただ太陽が消えるだけなんだけどね。みんな騒ぎ過ぎだよ」

「そりゃあ誰だって騒ぎますよ。僕としては、漫画で見るような阿鼻叫喚じゃないのに驚いていますけどね」

「一昨年から言われてきたことだしね。ある程度の諦めはつけなきゃいけないよ」

「そういうものなんですか」

「そういうものなんだよ。気球が滅びても生き残る予定の君にはわからないでしょうね」

「いやいやあくまで予定ですから」

 

 そう、あくまで予定。

 彼女の言う通り、生き残るなんてできっこない。

 唯一違うとすれば、仮に地球が滅ばなくても、だが。


「太陽が消えても八分間は明かりがあるそうですよ。光源のない光と言うのはなかなかない貴重な経験ですよね。その代わり、世界の未来はなくなってしまいましたけど」

「ねえ、もう一度やろうよ」


 突然そんなことを言い出す彼女。


「あの続きをやろうよ。いいでしょう?」

「えっと、それは……」

「そもそも、あれを条件に分かれたんじゃない。今度こそ、約束を守ってもらわなきゃ、死んでも浮かばれないよ」

「あー、あの頃の感覚を忘れてしまいましたし……」

「これから死にゆく元彼女の一生のお願い。きかなかったら、幽霊になってあなたを祟るわよ」

「…………」

 

 どこか遠くで、とうとう太陽が消えてしまった、と喚く声が聞こえる。となると、タイムリミットは残り八分と言うことになる。

 やれやれ。しょうがないなあ。

 せめて、最期は彼女の願いを叶えようじゃないか。


 よーいアクション。


「あー、えっと、その、笑わないか?」

「いや、笑ってあげる」

「だろうな。実はさ――病気なんだ」

「病気……?」


 戸惑ったようにつぶやく。無理もない。突然そんなことを言われて納得できる人間はそうそういないだろう。

 俺だって、これを受け入れられるようになったのはつい最近の話だ。


「長ったらしくて病名は忘れたが、どうも細胞が死んでいく病気らしい。一度、同じ病気の人の写真を見せてもらったが、必死に生きている人間に対してこう言うのもなんだが、正直言って『気持ち悪い』と思ったぜ」

「ふうん……なるほどね。だから、この時期でも長袖を着ていたの。今のところの病状はどうなの?」

 

 あくまで、平静を保ってそう訊ねる。だが、いくら抑えようとも、声が震えているのは隠しきれていなかった。羨ましい。そんな感情を、俺はとうの昔に無くしてしまっている。


「幸いなことに、目立ったところには出ていないが、もう中身はほとんど駄目だな。いくつかは移植したけど、根治していな以上無意味だったよ」

「そう……。発病したのは六年前?」

「そう。だからすぐに別れることにした。すぐに死ぬと思っていたんだがな。運の悪いことに、だらだらと生き延ばしてしまったぜ」

「どうして、どうして……教えてくれなかったの…………っっ!!」

「なんで教えなきゃいけないんだよ。あれやこれや心配されるのは面倒だったし、言ったところで治るわけでもない。お前にできるのは、心残りぐらいだ。誤解したまま、お互い忘れていく方が――」


 良いだろ、続けようとしたが、いきなり彼女が抱き付いてきたことによって遮られてしまった。

 

「……良い訳が、良い訳がないじゃない。格好つけないでよ」顔を埋めたままそういう彼女。役としてではなく、ほかならぬ彼女自身の言葉だった。「辛いのを隠して、何が格好いいのよ……。そう思っているのは君だけだよ」

「先輩…………」

「確かに私には何もしてあげられないし、治すことなんてできない。でもねえ、君の言う通り、作ってあげることはできるよ。心残りだけじゃない。思い出だって、生き甲斐とか、未練とか、君が望まないもの全部作ってあげるよ……。だから、突き放そうとしないでよ。ずっと一緒にいさせてよ」

「…………」


「つらい?」

「…………はい」

「痛い?」

「…………はい」

「苦しい?」

「…………はい」

「寂しい?」

「…………。はい」

「じゃあ君は治すことに専念しなよ。君がやるのは自分を傷つけることじゃないの。そういうのは全部受け止めるから。そしてもっと苦しませてあげる」

「先輩怖いですよ」

「怖くて結構」


「君が見たものがどれほどのものだが知らないけど、そんなものが可愛く感じるぐらいに醜い女になってやるわ」と恐ろしい宣言をする。

 短い人生で最も驚いたのは三つ。

 三番は目の前で見知らぬサラリーマンが自殺しようとしたこと。

 二番は自分の病気。

 そして一番は、地球が滅びると知った時――

 醜い女、か。

 彼女は知っているかもしれない。僕が何より醜いと感じているのは、己の末路ではなく、太陽が消えることに喜んでいた自分だと。


「でも先輩。いくら醜くなっても、もうすぐ見えなくなるんですよ。いつかは、僕、話すことすらままならなくなりますよ」

「その時は、君が聞き手に回ればいいよ。大丈夫。君から腐臭がするまでは一緒にいてあげる。だから、君も私が腐臭するまで一緒にいて」


 それは。

 醜い以上に、重い。

 その重さは、随分と脆くなってしまった、僕に耐えきれるかどうかわからない。

 でも。

 ――そんな死に方も悪くないな。


「は……先輩、せっかくの八分間ですよ。俯いてじゃあ駄目でしょ」

「六年間俯いてきた人に言われたくない……」

「ひどいなあ。お願いしますよ。同じ最後なら、泣き顔じゃなくて、あなたの笑顔が見たいんです。何のために、痛む体を引き摺ってここまでやってきたと思うんですか?」

「そうやって格好つけないでよ。しょうがないなあ。ちょっと待ってよ。あーもう、こうなるぐらいなら、泣かなきゃよかった」


 ごしごし、と涙を拭うと、彼女は顔を上げた。目元が晴れているうえに、あまりに笑顔がぎこちなかったが、それでも十分可愛らしかった。


「ねえ。先輩。ちゃんと約束守ってくださいよ。破ったらあなたが死んだ後も祟ってあげますから」

「あはは。それはこっちの台詞だよ」


 もうすぐ世界は滅びる。

 僕らは光を失う。

 そして、僕は、本当に世界が滅びるよりも先に死んでいくだろう。

 だがそれでも、だからこそ――目の前にある光だけは、何が起きようとも、二度と手離さない。

 

 これは光を失う前に光を手に入れた誰かの話。

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