自虐家は吐いてないとしょうがない
蝉がよく鳴く炎天下。
やけにけたましくて、でも嫌というわけではない。蝉の鳴き声は命の証だ。短い命の証。それに耳を研ぎ澄ますのに、なんら不快な気持ちは起こらない。
彼らには、彼らなりの生き方がある。
それが、あの鳴き声というなら、どうして耳も塞いでいられるか。彼らが鳴くのを邪魔しないように、自分はただ、静かに耳を傾ける。
あんな生存証明を自分もしてみたいものだ。
そんなことを書いて、キーボードを打つ手を休める。
夏休みだというのに、自分はあまり外には出ない。部屋に引きこもってパソコンをつけて、ただ文字を打つことを繰り返している。
小説も詩も、なんとなしに書いているけれど、決まって小さな話に終わる。こんな出来事があって、こうなった。あんな人間にあって、こんな風に思った。そんな他愛もない話ばかり。
まぁ、それでもついつい書いてしまうのが自分である。
「……なんて脳内モノローグをやっても、なぁ……」
改めて考えてみるとそんな自分が滑稽な人間に思えて、ハァと一つため息。
この感情が出てくると、もう文字を打つのも億劫になって仕方がなくなる。早いと言われれば早いかもしれないが、億劫なのは億劫だ。
パソコンの電源を切って、ベッドに横になる。手元にあったケータイで動画や小説を眺めて、やりきれない心を少しでも癒そうと試みた。それでもやはり変わらないものは変わらない。
夏休みの有り余った時間、それを全部小説に使うことはできない。どこかしらで怠惰に時間を貪っている、自分がいた。
家にいても気分が晴れないのなら部活に顔を出してみようか、なんて馬鹿な考えを思い立つ。どうせ誰も来ていないだろうに。わざわざ夏休みに登校する真面目な人間は一人もいない。でも、この小さな自分の世界に引きこもっているくらいなら、場所を変えて小説を書くのもいいのかもしれない。
あくまで希望的観測、決していい方向へ転ぶとはわからない。そうとわかって、かけっぱなしの夏服に袖を通し、炎天下の中を自転車で駆け出す。
熱気が全身に襲いかかろうとするのを感じた。
我らが文芸部の部室は本館最上階にある、第一コンピュータ室だ。部員が少ない割には酷く広く、これを貸切状態にできるというのだから、贅沢この上ない。
ただあまりにも広いので、一人だけだと寂しさが襲ってくるのは内緒だ。こんなことを言ってしまうと情けないことこの上ないのだから。
しかし今回はそんな寂しい思いせずにすんだ。いや場合によっては、こいつに会うなら寂しい思いをする方が万倍もいい、と思うようなやつだから嬉しいなんて微塵も思わない。
「やぁ。今日あたりくると思ったよ」
学ランを着た女子生徒が、文エミナが意地悪い笑みを浮かべて迎えていた。
なんでこいつが、と思ったがこいつはところ構わず現れる神出鬼没の女だ。今更疑問を抱いたところで解決するわけではない。
「全く、とんだ女に会っちまった」
「酷い言いがかりだなぁ、二年間クラス同じの男の子にそんなこと言われるなんて」
下手な演技を浮かべつつ言葉で絡んでくるこいつを無視して、お気に入りの窓際のデスクへと座る。窓を開ければ夏風がそよりと入り、涼しいことこの上ない。部活で汗をながす人たちの声が、ささやかな夏のBGM代わりとなって創作が一層捗る。
「こんな端っこの席でいいなんて、漢気ないんじゃないですか?」
「そういうわけじゃねえよ」
せっかくの雰囲気をぶち壊すかのようなエミナの言葉に、ほんの少し反目する。しかし、エミナはどこ吹く風といったように、自分の隣へと座る。ずいぶん図々しいやつだ。
こうなったら、いないものとして扱うのが一番だ。この女の相手をするたびに、神経がすり減らされていくのは身を以て知っている。経験が、この女を無視しろと指令する。
デスクトップが開かれると、迷わずWordを開く。自転車を走らせていた時に思ったことをぶつけようではないか、と熱り立つ。
が、一連のやりとりの中で、何を書きたいのかが完全にわからなくなっていた自分に気づいたのは、そう遅くはなかった。
いざキーボードを叩こうとしても、頭の中には何一つ文が浮かばない。無理矢理に文を書いてみても、どれも雲散霧消としたものばかりで、直ぐにデリートする始末。
「おやおやぁ? どうしたんです? いつものように書かないんですか?」
嘲るような声が頭に突き刺さる。言うな、何も言うなと思えど、それが余計自分の思考をかき回す。脂汗がほおを滴り、結局三十分経っても、何一つ画面に表示される文字は無かった。
「ダメだ……」
熱気が出そうな頭を冷やすために、一同画面から目を離し、脱離して椅子にもたれかかる。
窓の向こうの景色を見れば、先ほどとはなんら変わりない。三十分程度経ったくらいでは、空もまだまだ赤みを帯びない。
「あらあら、八坂士十は何も書けないのかなぁ」
明らかな挑発に、ジロリと目だけエミナに向けた。いじらしそうにくすくすと笑うのが癪にさわる。
「あーあ、楽しみにしていたのになぁ。君が、心の底から吐き出す文章、好きなのに」
うんと、伸びをして退屈そうに足をぶらぶらさせる様は、どこか幼さを感じさせる。
しかしまぁ、なんだろうな。
「……自分の文、好きなのか」
好き、そう言われて嫌な気分にはならない。たとえそれが自分の嫌う女の口から発せられたとしても、心はどこか暖かく。
「あんなに包み隠さず本音をそのまま書いているような文、僕はあまり見たことないんだよね。だから好きなんだよ。でも、今日はかけないみたいだから、残念だね。失望しちゃおうかな」
「失望しとけよ。おまえに失望されて、絶望なんかしねえっての」
「あらあら」
それは残念と、全くそう思ってなさそうな口ぶりでエミナは言う。こいつもなんだかんだ、食えないやつだ。
そこでひとときの沈黙。自分は頭を冷やし、エミナは先ほどのように足をぶらぶらさせているだけ。
最も暑い時間を過ぎてきているせいか、段々と心地いい風が部屋の中へと吹き渡る。遠く聞こえる頑張る人間たちの声は、それでもなお一層響き渡る。
ああ、これはいい。この気分を、書きたい。
思い立ったが吉日、その気持ちをデスクトップいっぱいに吐き出す。キーボードに打ち付ける。言葉が脳内に溢れ出てくる。先ほどの空っぽの状態が、嘘のようだ。
午後三時が終わりを告げる部室には、キーボードを打つ音だけが響き渡る。
そしてたーんと、最後の文字を打ち終わって、脱力。この執筆、というのは大袈裟かもしれないが、これが終わった後の爽快感は、何よりも気持ちがいい。
「随分と、楽しそうに書いてたねえ」
この数分間、何一つ喋らなかったエミナが口を開く。少しニヤついているのが気に入らない。
「なんだか楽しさに囚われていた感じで、怖かったよ?」
「怖いとはなんだ、別にいいじゃねえか」
「人前でやらないほうがいいのは確かだと思うけどね」
人前でやる状況にしたのはお前だろ、というツッコミを喉に押し込め、もう一度デスクトップに表示される文字を見る。
今回は、短い詩だ。散文詩。思いをそのまま書くには、散文詩がもってこいだ。この味を占めてから、余計に文を書くようになった気がする。
「なんだか、いいなぁ素直で。……羨ましいよ、全く」
エミナは画面に向き直る。その顔には、先ほどのおふざけ半分な色はない。純粋に自分の文を読んでくれている、そんなような顔だった。そうとなると、逆にこそばゆい。
ただただ、自分の中で貯めておくのが辛いからと書き出した文章。誰も読んではくれない、こんなエゴ丸出しの文なんて。
そんな風に思っていた文章も、読んでもらえるとなるとやっぱりくすぐったいような感じがとまらない。その読み手がたとえ、自分の嫌いな人物としても。
そうしているうちに、下校を告げるチャイムが鳴った。思っていたよりも長居していたらしい。
「そろそろ帰らねえとな」
今日書いた文をUSBに保存し、シャットダウン。ネタを拾えて書けただけ、学校に来た甲斐もあるってもんだ。まぁ、隣にエミナが居なければもう少し有意義な時間が過ごせたのでは、なんてこともなきにあらず。
帰る準備を一通りし終えて帰ろうとするが、エミナが椅子に座ったまま一向に帰る気配がない。
「おい、そろそろ下校だぞ」
「わかっているよ」
その言葉とは裏腹に、彼女に帰るそぶりはひとつたりとも見えない。笑みを浮かべて、何をしている?
「おい、ほんとに」
「君は、どうして文を書くの?」
「……あ?」
自分の言葉を遮ったのは、たった一つの質問だった。たった一つの、小さな質問。
「どういう意味だよ」
「そのままの意味さ」
すくっと立つと、エミナは少しずつ自分との距離を詰めてくる。一歩、二歩、三歩、もう少し近づいたら、顔と顔が触れるくらい。
あの目が、近い。彼女の持つ、全てを俯瞰するような目が。
「君はどうして、自分をさらけ出せるのかな。どうして、そんなまっすぐに自分を書けるの、かな?」
……寝耳に水な、言葉だった。
正直に言えば、何を聞いているんだとしか思えない。
いつも自分をおちょくって、さんざんにのめす彼女が、なぜこんなこと言うのか、わからなかった。
そんなの、自分にとってはただ当たり前なことなのだから。ただ、当然のようにやることだから、そんなものに理由なんて、あるはずがない。
けれど、強いて言うなら、
「むしろ、晒け出さずにはいられねえんだよ」
「……それは、どういうことなのかな?」
エミナはそうして首をかしげる仕草をみせる。
なんだ、こいつにもわからないものがあるのか、なんて思うとどこか気が楽になる。何もかもを分かったような顔しているくせに、やっぱりそういうところもあるんだな、と。
そして、そんなエミナに自分は言ってやる。
「思ったことは、吐き出さねえとしょうがねえんだよ」
思ったままなのは気分が悪い。あんまり貯めると、どうにもいけない気がする。体にだんだんと鉛がたまって、ひどく重くてしょうがない。
要は、こういうことだ。
だから、思ったことを全部、全部、全部、文字に打ち付ける。全てをありのままに、吐き出す。
「ある意味では、証明だ。生存証明。蝉が鳴き声で生存を証明するように、自分は文字で証明する」
あのけたましくなく蝉と同じように、自分は文字を書きまくる。そうしていないと、やっていられない。
そうしていることで、自分はようやくそこにいると、思えた。
「なんていうか、セミに例えるのはどうかと思うけどね」
「でも、蝉の鳴き声っていいじゃねえかよ」
今だって、遠くで聞こえる蝉の声は、心をほんのりと安らげる。
「でも、蝉の鳴き声と同じで、大きければ人に嫌われたりもするんじゃない?」
「それならそれでいい。嫌いなら嫌いで結構。自分にはどうでもいい」
「どうでもいいのかい? 否定とかされてもいいって言うのかい?」
「読み手がどう受け取ろうと、自分は知ったことではねえしな。好きと言われれば嬉しいが」
「……ふうん、なるほどね」
そうして一歩、エミナは下がる。いつもの意地悪い笑みだというのに、なぜか今はなんとも思わない。
むしろこちらがそれ以上の、笑みを浮かべてみせる。
勝ち誇った笑みを浮かべてみせる。
「全く、まさか君に敵わないところがあるなんて、ね」
「なんでも敵うとは思うなよ」
意地悪い笑みは苦笑へと変わり、エミナはそっと部屋を後にする。
「そういうところは、中々好きだね」
なんて最後に冗談混じりな置き土産を、本当に食えない女だ。結局のところその捨台詞のせいで丸め込んだのか、丸め込まれたのかわかりゃしない。
静かになった部室は、酷く寂しい。あんなやつでも、少しは寂しさを埋めるものなんだと思うと、やりきれない思いもする。それに、終わったことをいくら言っても仕方がないだろう。
さぁ、今日も帰ろう。遠くでツクツクボウシがのんびりと鳴いているのを、聞きながら。
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