自虐家は盛り上がりを避ける
喧騒を、盛り上がりを、自分は遠くからでしか見るしかできない。あの中に入ってしまうと、勢いと熱気に押しつぶされてしまいそうで、行けない。まるで一線引いたところから、自分はそれを見ている。別段羨ましくはない。あんな風に盛り上がれることを、自分は羨ましくはない。
それでも、置いてきぼりは少し寂しいのかも、しれない。
今日は、球技大会だった。汗水たらして皆が練習する、球技大会。自分だって練習はしたけれど、元来運動ができない自分のこと、補欠メンバーに甘んじるしかない。
当然、こんな大会、自分は全くもって楽しくはない。せいぜい、授業が潰れた、嬉しい、と思う程度だ。
だからか、こんなに盛り上がりから置いてきぼりにされるのは。
まぁ、そんなことはもうどうでもいい。
自分はくるりと背を向けて、盛り上がりから離れた木陰に腰を下ろす。少し遠のいただけなのに、どこかそこは静けさが漂っていた。風がやんわりと自分の頭を撫でる。太陽がジリジリと肌を焼いていくこの暑さの中では、それは気まぐれなクーラーといったところか。とにもかくにも、涼しいことこの上ない。
「なに、気取った風にしてるんですか?」
と、後ろから声。振り返ってみれば、そこには文エミナがいた。あの真っ黒で、全てを俯瞰していきそうな、あの目で自分を見る。
「楽しむことができませんねぇ」
「できるかよ。自分にゃ、そんな人と楽しむなんて芸当、できやしねえ」
「あらら? また自虐ですね? しかも、言い訳としての」
なんとも食いついた笑みで、自分の目の隣に腰を下ろす。珍しく体操服なので、ほんのりと出た胸に目がいった。こいつちゃんと胸あったんだな。
「かなり失礼なこと思ってません?」
「思っているわけがあろうか」
いや、思っている。うん、これは反語だ。
「まぁ、いいんですけどね」
異様なほどに口角を上げて、妖美に半開く目で自分を見る。
あんまり構うのも嫌なので、向こうの喧騒をぼおっと眺める。そんなことしてたら虚無感はもっと大きくなる、というのに。
「まるで、貴方も私も、落ちこぼれたって感じですね」
「むしろ、わざと落ちこぼれてやった、と言った方がいいんじゃねえのか」
「……いえ、どうでしょう」
まるで、恋人がやるように、彼女は自分の体にその身を預ける。肩に頭を寄せてくる。女子の、その独特な体温が全身に伝わり、心臓の動きが慌ただしくなる。
こんなやつにこんなことされても、こんな風になるのかよ。
正直なところ、逃げ出したかった。でも、今の自分は、例えるなら蝶が蜘蛛の巣に絡まって逃げ出せないようだった。
そして、彼女の顔がほおの近くにくる。吐息がかすかに触れる。妖美な唇が、自分の耳に、語りかける。甘ったらしい声で、冷徹に。
「あなたは、落ちこぼれたんじゃない。落ちこぼれてやったわけでもない。……落ち逃げたんですよ」
人間関係という、闇から。
逃げようと、咄嗟に手が後ろに出る。しかし、まるで押し倒すかのような彼女の圧力に、自分は抗えない。
いつの間にか乗りかかる形になった彼女を前に、歯を震わせるしか、なかった。
「や、やめろ……やめてくれ」
「貴方は、いつだって逃げてばかり、背けてばかり。臆病者の風を吹かすのが、貴方なのです」
ニタァと笑って、顔を寄せる。全てを俯瞰する、あの目がここにある。
何をされるのか、と思えば何もしない。何も、しなかった。
そのまま、自分を押し倒したまま、立ち上がる。ああ楽しかったと、こちらを顧みて笑うのみ。
「……何が、したかったんだ?」
「何も? ただ、やっぱり一年、二年と過ごしてみて、貴方を弄るのって本当に楽しいなぁって思っただけですよ」
そう言って、自分にくるりと背を向けた。
ふと目に入ったのは、彼女の首。何かしらの、痣が、傷が、あった。
普通では、そんなところに傷なんてつくのだろうか。首の真後ろなんかに、切り傷や、あざなんて、つくのだろうか。
もしかして、彼女にも、何かあるのだろうか。何かあるからこそ、いつも学ランを着たりしているのだろうか。
だが、何も聞かない。自分は何も聞こうとはしなかった。触れていい場所ではない。そんな気がした。
……お前にとってはこれも、逃げるってことなんだろう、文エミナ。
「そうですね。本当に貴方は逃げてばかり。笑がこみ上げてきますね」
振り返って、文恵美奈はそう言った。
「……相変わらず見透かしてやがる。読心術なのかは知らねえが、感心ものだな、全く」
「そうですかね? まぁいいですけれど」
……貴方以外でも、どうにもならないことですし。
そうして、文エミナは去る。クスリと、気持ち悪い笑みを浮かべて、自分の前から去っていく。
残された自分に残るのは、圧倒的な敗北感。屈辱感。
そして、自己嫌悪だった。
文エミナ、お前の言う通りだよ。
自分は、闇から逃げた、臆病者だ。誰の闇からも、自分は逃げるしかなかった、臆病者。
どうせ、何もできやしないんだ。逃げるしか、できやしなかったんだ。
そんな自分が、嫌だった。
柄にもなく、嫌だった。
そうして今日も終わって行った。あの喧騒も嘘だったかのように、もうそこには、なかった。
終わりを告げるチャイムが鳴る。でもまだ、すべてが終わりというわけじゃ、ない。
終わりなんて、まだ先の話だ。
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