自虐家は弟と帰る


弟がいる。出来は悪くないがいちいち鼻につく弟だ。

八坂暦路、それが弟の名前だ。

何かと生意気で、自分に反抗気味であり、そして卑屈な態度がたいそうイラつく。

本当に卑屈なのだ、自分の弟は。何かと自分を卑下して、見下して、それが自分だと言い聞かせる、それが奴だ。

だが既視感がある、と言えばあるのだろう。自分だって、自虐を繰り返す男であるのに変わりないのは確かだ。

自虐家だ、自分は。自分をあざ笑って抉る自虐家だとも。そうしないと生きてはいけないからな。

ただ、あいつの場合はなんだろう。あいつの卑屈っぷりはなんのためにしているのだろう。

あいつの卑屈さがどこから出ているのか自分は知らない。もう十四年近く一緒にいるが、あいつの卑屈がどこから生まれたのか、自分は知らない。あいつは卑屈になんてなるはずのない、自分よりもできた弟だったはずだ。自分勝手な自分より他人を思える優しい奴。何があいつを変えたのか、自分は知らない。

人は知らず知らずのうちに変わるというが、まさにこういう事を言うのか、なんて思ったりもする。しがない思考だったりもするけどな。

いくら考えてみたって、答えなんか自分の中じゃ出ないのだからいちいち考えこむというのも馬鹿馬鹿しいのかもしれない。

あの卑屈の姿が、今の弟。そうしておこう。

際して自分は今、そんな弟と家路についている。会話一つなく、それでも横に並んで、兄弟一緒に帰っている。

夕陽はもう少しで沈みそうだ。赤々とした光が、自分たち兄弟を包み込んでいる。

傍目に見た弟は、明らかに自分を鬱陶しく思っているらしい。先ほども小さく舌打ちが、耳を打った。

「なぁ、兄貴」

と、暦路はいかにもイラついている、といった風に自分に呼びかける。

「バッタリ会ったからって、こんな僕と一緒に帰ることないよね。さっさと行ってくれる?」

「おい、なんだよその言い草。お前が行けばいいじゃねえか」

「うっさいなぁ、兄貴が行けよ」

「あ? お前が行けば済む話だろ」

根も葉もない争いだった。ただの意地の張り合いだった。

確かに、あいつの言う通りにして自分が先に帰ってきしまえば、この話はそれでおしまいだ。けれども自分から折れるのはどうにも癪だった。この、虫が好かないこの弟に折れてやるのは、自分が許してくれそうにない。きっと、弟もそうなのだろう。

そんなくだらない兄弟喧嘩は結局、一緒に帰る、という妥協の答えで一応の決着をみる。意地の張り合いの勝者はいなかったというわけだ。

「でも、そんなにムキになるこたぁねえだろ」

呆れたように口からそんな言葉が漏れる。

「うっさいなぁ、兄貴にはどうだっていいことだろ」

苛立ちまぎれに蹴った石は、溝の底へと落ちていく。カランコロンと小気味いい音だけが耳に残った。

そのあとは結局何も言葉を交わさない。自分も、弟も決して口を開こうとはしなかった。

気まずさだけが、心にずんとのしかかる。こいつと二人でこうして歩いているだけだというのになんだというのだ。

先ほどまであった夕陽は、もうそこにはない。大きな闇が、弟の顔を隠している。横目に見ても、どんな顔をしているのかは、自分にはわからなかった。昔なら、もっとよく見えたはずなのに。

「なぁ、暦路」

呼びかけてみても、何も返ってきはしない。本当にそこにいるのか、怪しくなるほどだった。

かく言う自分も二の句がでず、結局は呼びっぱなしという形になってしまった。一体、なんのために弟の名前を呼んだのか、自分ですら検討もつかない。自分は、弟に何を聞きたかったのだろう。


そんな煮え切らない思いを抱えたまま、家路は終わりを迎えようとしていた。爛とした灯りがもうすぐそこに。

その灯りにようやく映し出された弟の顔を、自分は結局見ることはなかった。とうとうあいつは何事も言わずに、一人でに家へと一足早く入っていった。

「ただいま」

その言葉は、きっと自分には向けられていない。あいつがただいまと言った先に自分はいない。

隙間風が吹き荒ぶ感じがしないでもない。

そして自分が入ろうとしたところで、ドアはバタンと閉められた。関所が閉まるように、そのドアは閉められた。開けるにはそう難しくはない。けれど中々開けようという気にはならなかった。

ドアノブを掴んだまま、自分の手は動かない。吹き荒ぶ隙間風は一層に強くなる。こみ上げてくるのは虚しさだけ。

そして自分が入ろうとしたところで、ドアはバタンと閉められた。関所が閉まるように、そのドアは閉められた。開けるにはそう難しくはない。けれど中々開けようという気にはならなかった。

ドアノブを掴んだまま、自分の手は動かない。吹き荒ぶ隙間風は一層に強くなる。こみ上げてくるのは虚しさだけ。

「嫌になるぜ、本当に」

そう言って開けたドアには、なんの感慨もなかった。

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