自虐家の複雑怪奇
平沼騏一郎、彼はこう残して総理大臣を辞めていった。
曰く、「複雑怪奇」。
当時のドイツとソ連が敵対していたはずなのに、いつの間にか不可侵条約を結んだ際の発言だ。これは、ある意味では平沼騏一郎氏の欧州の情勢の読めなささが露呈したとも言える。が、確かに気持ちはわからないでも無い。
完全に険悪だった人間同士が、まるで嘘のように仲が良くなったとなれば、誰しも人間関係複雑怪奇と言わんばかりではないのか?
実際に、今の自分がそうであるから、わかるのだ。
ネットの人間とは、あまり話すほうではない。ツイッターでネットにあげた小説などを宣伝することは多いが、そこまで人と関わろうとは思はない。創作とは、結局は一人でやるものだ。無駄にネットで繋がることは必要ない。せいぜいタイムラインで、人と人の会話を見るくらいか。
さてはて、そんなある日だ。自分の繋がっている人同士が険悪になって、しまいには絶縁してしまった。
しかも、絶縁までの炎上っぷりがこれまた酷い。どちらも自分を肯定しようとするばかりで、これはうんざりものだった。
ネットというものは、関係が繋がりやすく、また切れやすい。しかも切れ方が現実と比べて1割2割タチが悪い。それもそうだ、匿名性が高いから何を言ってもいい、そんな風潮が蔓延っている。
とは言え、さすがに巻き込まれるのは嫌だったので自分はただ静観していた。嘲笑うこともなく、かと言ってどちらも正当化しようとするわけでもなく。どちらを正当化しようと、あざ笑おうと、自分がやったところで何も意味はない。自分は一回の他人なのだ。
「現実世界と電脳世界、どっちもどっちだな」
それが、自分の結論だった。
だが、ここで驚くべきことが起きる。起きると言っても、二人が絶縁して約一年経った頃か。
二人は、いつの間にか仲直りして、仲良さげに喋っていたのだ。
唖然とする他なかった。自分は、ディスプレイの前でぽかんと口を開けた。
一体どういうことなんだ? と探ってみたところ、どちらかが謝って、それでなあなあで解決したらしい。
「嘘だろ」
口からこぼれた言葉は、どこへともなく落ちていく。
自分でも引くほどに、関わっちゃこちらも終わると思えるほどの絶縁をした彼らが、なぜ仲直りをでしたのか、自分にはさっぱりだった。自分の勝手な思い込みだったか? とも思ったが、それにしてはやはりあまりにも酷い言葉の応酬があったのは確かだ。
繋がりやすく、切れやすい。けれどまた繋がることもできる、ということがネットの不思議というものなのだろうか。
……実際のところ、自分は未だにこの現象を目で疑うことしかできない。最早、修復不可能と思われてしまったものが修復してしまったのだ。北朝鮮と韓国が仲直りして一つになったのと同じぐらいなんじゃないのか?
まさに平沼騏一郎氏の言う「複雑怪奇」が、そこにある。
事の顛末を見届けて、自分は椅子にもたれかかる。完全に驚きと、あまりのあっけなさで言葉も、力も失っていった。
「複雑怪奇、か。まさかこんなことで、平沼騏一郎の気持ちがわかるなんて、世話ねえよな……」
ポツンと落ちた独り言。これは、ある種の共感だった。
人というものはわかりはしない。どんな行為に出ようが、どんなことを言おうが、そしてそれはどういう動機からなのか、それは全く読めないものだ。
人は変わるというけれど、修復不可能だというものも修復してしまうほどに変わってしまうものなのか?
もう十五年以上人間をやってきたが、人間をやればやるほど、「複雑怪奇」の沼にハマっていくようだった。
今日も自分はネットを開く。最早タイムラインは見るまい。
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