自虐家は何物にも染まらないわけではない
戦争、ああ酷いものだとも。今に残る写真からも、それが見て取れる。東京大空襲などの写真での運河に死体が溜まっているものや、原爆が落ちた広島の写真など、見るに堪えないものがある。
ある種の嫌悪感。おぞましいと思う嫌悪感。それがそのまま戦争嫌悪に繋がっている。
「だからと言って、その写真が戦争すべての容態を表してるとは、限りません」
なんて言うのは、学ランを着た底の見えない真っ暗な目をした女生徒だった。自分の見ている本の写真を、横からにゅいっと首を突き出して見る。たいそう迷惑だとも。
この女の名前は文 恵美奈。2年間同じクラスの女だ。
「というわけで八坂士十、今日は戦争について語りましょう」
なんて気取ったように、彼女は机の上に座って自分を見下ろす。あたかも、私は貴方より上なのだと示すように。
ああ、傲慢だな、こいつも。なんて思いつつ、自分は文恵美奈を見上げる。
「戦争について語るって、何をどう語るんだよ」
「だからですね、先程も言ったでしょう? その写真が戦争すべてを表しているわけではないと」
と、言えば、彼女はケータイを取りだす。文明の利器である。軽く指でタッチパネルを操作して、画面に映し出したものは、コレでもかと言うほどの戦争を記録した写真だった。
「おぞましいですね、本当」
「全くおぞましいと思っていないだろう」
「わかりましたか?」
「わかるさ、そりゃあ」
文恵美奈の声はずっとどこか棒読みなのだから。しかし確かに自分にとっても見慣れてしまったのか、今となってはどうにもおぞましいと感じることは少ない。慣れというものなのか。慣れてはいけない気がするが。
「おぞましく感じないとはいえ、惨いことには変わりないだろう」
「ええ、見るものを不快にさせますね、こういう写真は」
文恵美奈は、机から腰を上げて自分の見ている戦争写真に指を当てる。
「でも、そう思わせる目的でこういう風に掲載されているとしたら、とは考えたことはありませんか?」
「思わせる、目的?」
「ええそうです。私達がこういう写真を見れば、きっと不快に思って、戦争反対を唱えてくれるだろう、そうした思惑ですよ」
にいっと、文恵美奈の口は歪む。それを見るとなんだか自分も今、この女の思惑の上で踊っているような感覚になってくる。ああ、こういうのは嫌いなのに。
「教科書なんかも、いい事例ですよ。あれも、子供達が自分たちの思うように育って欲しいという思惑から、国の指導で書かれている。なんというか、黒いものを感じませんか」
「黒いもの……なぁ」
椅子にもたれかかって、よく考えてみる。確かに教科書に書かれていることは正しいと思ってる節はある。
そう言われてみれば、自分たちは何かを絶対的な正しさとして見ているかもしれない。教科書がそれであるし、もっと別のものにも正しさを見ている気もする。
絶対的な正しさなど、存在などしないはずなのに。
「人間というのは何か正しさを拠り所にしていないと、不安で堪らない生き物なんですよ」
文恵美奈の淡々とした声色が、頭に響く。すこしずつ侵食されていくような心地すらする。
「その絶対的でなく、むしろ呆気ないほど脆い正しさを感じぶつけ合ったのが、戦いであり、戦争なんですよ」
「……正しさのぶつけ合い……か」
「ええ。大抵、それは理不尽な形で終わりますけど」
理不尽、確かに理不尽だ。その正しさのぶつけ合いで被害を被るのは、何も関係がない女子供達であるのだから。
しかし、よく考えてみれば、そんな彼らも教科書という洗脳道具によって、軍国主義に染められていたのは確かか。
「誰しも、何かに染められて生きている。透明なんかありえないですよ」
真っ暗で先の見えない目が、静かに自分の前に迫る。その目はまるで自分を闇の中へ誘うかのように、妖美な光を煌めかせている。
そして、文恵美奈は言う。
自分に指をさして、言う。
「貴方だって、八坂士十だって、何かに染められて自分がいるということをお気づきで?」
声が出ない。何も言えない。どうしようもない。だから、自分は彼女の前に膝を屈するしかなかった。
彼女の言っていることは至極当然であることだった。
けれど、けれど……。
体の震えが止まらない。どこからともなく、鳥肌が立つのを感じる。自分の目は、まともに文恵美奈を見ることさえ、かなわない。
「刺激的すぎましたか? じゃあ、今日はここまでにしましょ、八坂士十」
にこりとした笑みに一切の感情は感じられない。
笑顔でありながら、無表情。
笑顔の仮面を貼り付けてる、だけ。
文恵美奈が去った後の教室。たった一人で自分は黄昏る。何も考えたくない。うまいこと言いくるめられてしまった自分に対して、何も語ることはなかった。ある種の意味での敗北だ。ようやく出た溜息はひどく重かった。
もう今日は帰ろう。また明日も学校なのだ。
それに今は、明日が来るまで眠気に体を任せたかった。
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