自虐家は人を尊敬する
図らずも、人殺しになってしまったとしたら、と考えたことがある。
罪悪感に押しつぶされるだろうか。自罰的な行為に身を投じるだろうか。当事者になってみなければわからないが、これだけは確実だろう。この先、苦しみ続けることになるというのは。
人殺しがダメだということは、社会のルール、人間が培ってきた道徳、倫理として染み付いてきている。もう、切っても切り離せないからこそ、この道徳に従い、倫理に従い、人殺しをした後人間は苦しみ続ける。
例外がいるにはいるが、今は口を出すべきではないだろうな。
しかしまぁ、思うのだ。
取り敢えずだ、自分がこんな話を持ち出したのは、当然訳がある。なかったら、そうそう持ち出しはしないさ。
まあ、言ってしまえばだな、一学年下の生徒が死んだのだ。友達というわけでもないし、他人といえば他人であるが、死んだのだ。
別に、殺しなどではない。ただの事故死だ。でも、事故は事故でも人が関与してしまった事故だ。
それは、サッカーの試合に起きた。サッカーは激しい接触もあるので、大きな怪我をすることもある。そして、今回はそれが最悪の形で起きたというわけだ。
あまりにも激しい接触で、頭を地面に打ち付けて、その上もう一人のころんだ選手が、その頭の上にのしかかってしまった。その時の衝撃で、頭蓋が割れて、死んでしまった。
当然、よくある事故の一つ、人殺しというわけではない。けれど、結果的には人が死んだ。学校や、関係者がなんとか大事にならないようにはしたのだが、空いた穴はそう簡単に埋まるわけではない。
特に、事故の大元となった、人間の心の穴は。
その日、自分は帰路についていた。夕日がだいぶ沈みかかっているのを覚えている。部活に思った以上に長居してしまったせいだろう。締め切りが近づいていて、必死に執筆作業をしていたというわけだ。
際して、頭の使いすぎでヘロヘロになってきたところに、ひとつ、ボールが飛んできた。ボロボロに使い古されたサッカーボールだった。
「すいませーん、サッカーボールとって……って、八坂?」
そのボールの持ち主は、自分を見ると、少し驚いた風な顔をして、止まる。硬直する。
顔をよく見れば、自分もよく知る人物だった。というか、同じクラスメートの一人だ。
志木屋 雑賀。
それが、彼の名前であり、あの事故で被害者の頭に運悪くのしかかったやつだった。
なんというか、気まずい男にあってしまったものだ。あの事故から、彼はずっと学校を休んでいた。曲がりなりにも、罪悪感などがあるのだろう。それに、人が死んだ直接の原因になっているのだから、こればかりは仕方ない。
しかし、向こうの方は思っていたほど暗い様子はなかった。むしろ、明るい笑顔で、
「暇ならサッカー少し付き合えよ。一人じゃどうもな」
という、事故の前から変わらない好青年ぶりを見せていた。そして、そんな彼の頼みを、自分は無下にすることはできなかった。
自分は押しに、弱いのだ。
志木屋雑賀のパスは、鋭い。素人目でわかるほどに、早く、空に浮かぶこともなく、足に吸いつく。きっと、誰でもそのパスを生かせるだろうと思う。
「ていっ」
が、自分のパスは、あらぬ方向へと行ってしまった。しかも、思いっきり蹴ったせいで、公園の外に出てしまう始末。
「八坂って、運動苦手?」
志木屋雑賀は、そう呆れたように笑っていた。
というか、その質問は酷く愚問だろう。運動ができていれば、自分は文芸部という細々とした部活をしていない。
「……ボール取ってくる」
「気をつけろよーっ」
ケラケラとして、志木屋雑賀はボールを取りに行く自分を見送る。
ケラケラ、か。
引っかかるものが、そこにあった。
ボールは、側溝の中に挟まっていてどうにも取れなかった。ようやく取れたと思ったら、足を滑らせて転ぶ始末だ。
おかげで制服には土がつき、顔は少し汚れてしまった。そんな姿ですごすごと戻って来れば、志木屋雑賀からは笑われる始末だ。
「全く、八坂がここまで運動できないとは思わなかったよ」
「うるさい。できることがあればできないことだってあってしかりだ」
なんて言って、乱暴にボールを蹴り返せば、志木屋雑賀は軽々と、軽妙な足さばきでボールを吸いつける。
ああ、やはりうまいな。
と、内心感心する代わりに、疑念が、疑問が、大きくなるのが感じる。
際して、それは自分の行動にも現れるらしい。少ししたミスでポールを取り損ねたり、蹴り損ねたりと志木屋雑賀に呆れさせている感がして否めない。
「……どうする? やめるか?」
息切れを起こして、ベンチに座り込む自分の隣に、志木屋雑賀は座る。自分と違って全くそういった風が見えなかった。むしろ、どこか楽しそうに、思えた。
「なんで、あんたはそんなに楽しそうなんだよ」
つい、ポロリと口に出た。どうしようもなく、気になっていたから。ただ、聞くのはかなりの野暮なような気もしてならなかった。だってそうだろう、それは、もっと静粛、自粛しているべきであるはずじゃないか、と言っていることと同じなのだから。
しかし、志木屋雑賀は顔色一つ買えず、眉ひとつ動かさなかった。精悍な汗をタオルで拭って、上を向いている。こうして見ると、元々いい顔つきがさらに映えて、羨ましい。
「……だって、サッカーやってるときぐらいは、楽しみてえんだよ」
志木屋雑賀はぼやく。
「反省とか、後悔とか、めちゃくちゃしたさ。それに、今でもあの感触が夢の中に蘇って仕方無え。でも、俺はやっぱりサッカーがしたいんだ」
あーあ、と言って志木屋雑賀はこちらを向く。涙を目一杯に溜めた目で言う。
「確かに俺は悪いさ。でも、悪いからって、サッカーして楽しんじゃ、いけねえのかよ? やっぱり、反省として、生きがいだったサッカーを一生せずに生きてけなんて、お前は言うのかよ」
言葉が、無かった。
志木屋雑賀の言うことは、大部分がエゴであり、我が儘だ。どうしようもなく我が儘だ。生き甲斐で人を一人死なせた上で、それでも生き甲斐を手放したくないという、我が儘だ。
が、それを間違いだとは言えない自分が、そこにいた。
「……そうだな」
それは、ある種肯定だった。
人を死なせても、それでも続けたいものがある。それを奪い取ってしまったなら、逆に人がまた一人朽ちていくだけだろう。
だったら、好きなだけやればいい。何かしらあったからって、無理にやめるのは、癪にさわる。うるさい誰かがいるのなら、無視すればいい。
自分が、したいことをすればいい。
「引き止めて悪かったな、気をつけて帰れよ」
なんて、無理をした笑顔で言って、志木屋雑賀は自分に手を振った。まだ、学校へ行く気はないけれど、心が落ち着いたら、行くらしい。
「俺は、大丈夫」
別れ際、目を据えて彼はそう言った。それは、ある種の証明だったように思える。何を証明しているのかわからないが、兎も角証明だ。どうしようもない証明だ。
だが、自分はその目が嫌いじゃあない。
あれは、あれでいいのだ。そう思えた。ああいう姿勢だって、別にいいだろう。たったひとつの不運で生き甲斐を捨てるより、なりふり構わずしがみつこうとしている方が、何より自分は高尚に思えた。
今まで、志木屋雑賀という男は有象無象の一人だった。しかし、自分は今こうして彼のことをこう思える。
尊敬に値する男だと。
さて、夜道の向こうにはうすら明かりのつく我が家が見える。
明日も学校はあるのだから、早く帰って今日は寝ることにしようかな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます