自虐家は綺麗を嫌う

自虐家は綺麗を嫌う


人は醜いなんてわかりきっていることだろうに、どうしてそれを認めようとはしないのだろう。いや、そもそも醜いなんてネガティブに思わなくていいのだ。それが当然だと思ってしまえばいいだけなんじゃないのだろうか。

醜いのが普通なのだ。

むしろ綺麗でい続けている人間の方が自分は怖い。

眩しいのだ。

綺麗で、雅で、美しいから、目を覆いたくなる。劣等感を持っている人間にとって、綺麗なやつは本当に目に毒だ。

まぁ、正直なところ、そんな人間はいないと思っている。

閑話休題。

綺麗であろうとなんて、人間しなくていいと思うのだ。汚れて生きていければいいのだ。汚れてしまって醜くなって、それでも這い上がるのが人間なんだと、自分は思えてしょうがない。

しかし、これもただの持論だ。身勝手な持論だ。こんな持論なんか、役に立つわけがない。

さて、そんな馬鹿なことを考えるようになったのは、我が文芸部に入部してきたある一人の後輩のせいである。


箕曽々木みそそそぎ あおし


それがその後輩の名前だった。

中々の読書家で、図書室に行けば必ず見かける面子の一人と言っても過言ではないだろう。読んでいる本は、確か主に小説だったはずだ。評論とか、そういうのは物語性がなく、現実ばかり見るから嫌いだと、箕曽々木蒼は言っていた。

まぁ、読む本などはどうでもいい。

問題は、彼の書く小説と主義みたいなものだ。

そして自分は、箕曽々木蒼のそれをひどく嫌っていた。


箕曽々木蒼と自分は、よく部活で顔合わせになる。それはまぁ、当然のことであるし、箕曽々木蒼自体が真面目であることもなきにあらずだ。

というか、一日の参加人数が少ないために、たまに来たら必ずと言っていいほど、箕曽々木蒼とたった二人で鉢合わせになるのだ。

箕曽々木蒼を嫌う自分は、ある程度彼から距離をとってパソコンを開く(言い忘れていたが、部室はコンピュータ室なのである)。相変わらずの起動音が鳴り、パスワードを入力すればあっという間にデスクトップが開かれる。さて、じゃあ今日ぐらいは真面目に書こうと思ったその矢先である。

「……先輩」

その透き通った綺麗な声が、自分の作業を阻害する。ジロリと声の主を見れば、箕曽々木蒼もこちらを見ていたようで視線と視線がぶつかり合った。

「なんだよ……」

「いえ、また小説読んで貰いたいんです。感想が欲しくて」

またこれか、と思わないでもない。

箕曽々木蒼は自分が書いた小説を人に読んで貰い感想を欲しがる。その行為は確かに褒めるべきものがあるだろう。感想というのは創作には必須である。

しかしながら、自分は箕曽々木蒼の小説が好きではなかった。

一度前にも読んでは見たが、綺麗すぎる、というか醜いものを嫌っているような話なのだ。醜いものはいけない。そして、人間は醜いからいけない。そんな小説ばかりだった。

正直に言ってしまえば、断りたい。しかし、先輩である手前そんなことをして人間関係を壊したくないのもまたしかり。

なので、渋々彼の小説を読むことにした。

渡された紙を広げて読む。だいたい十ページほどのものだ。

箕曽々木蒼の小説は一言で言えば、脆さがどこかしらに隠れた綺麗なもの、とでも言えばいいのだろうか。少し触れたら、それこそ崩れてしまいそうな感覚だ。というかまぁ、指紋が少しでもついたらこわれてしまうな、なんて感じもある。

こんなような小説を幾度も幾度も読んできて、自分はなんとなくこの箕曽々木蒼という男の本質が掴めてきた、というか分かってきたような気がする。


この男は、人間に絶望している。それも、かなり重症なレベルで。


厨二病がいきすぎてしまったのだろうか。それとも過去に何かあったのだろうか。

兎に角綺麗な人間が綺麗なまま死んでいくような、醜い人間は生きていちゃだめだ、死ぬべきなんだというか、そんな小説ばかりだ。

でも、綺麗だ。ここまで綺麗な話を書けるのはそうそういないだろう。醜いものを排他した小説を書く奴はそうそういないだろう。


反吐がでる。


気持ち悪くなるほどの綺麗さだ。人間は綺麗でなくてはいけないということ、綺麗な文体で、綺麗な語り口で言うものだから、反吐がでる。

そんなこと、口が裂けても言えやしないのではあるが。

一通り読み、一通り吐き気が催してきた後で、自分は箕曽々木蒼に小説を返す。

「面白かったよ」

なんて、嘘も混ぜ込んで。


「嘘ですね。先輩は嘘ばかりだ」


まるで、悲しそうな目で自分を見ると、再び箕曽々木蒼はデスクトップへ向かった。まるで、もう自分はいないかのような素振りを見せて。

それなのに、またあいつは自分の小説を読ませてくるのだろう。読んでもらわなきゃ気が済まないのだろう。自分の吐いたもの、誰かに見て欲しいのだろう。


ああ、だからこいつは嫌いなんだ。


「そんなこと言ったって、可愛い後輩なんだから、ちゃんと相手しなさいな」

自分と同じ本を読む目の前の友人、現命うつつみことはバッサリとそう言った。一刀両断である。

「相変わらずお前は正論しか吐かないよな」

「正論? いいえ、ケフィアです」

「そのネタはもう古い」

真顔で変な冗談を言うのがどことなくシュールだ。まぁ、それがこの女の面白いところであるのだが。

「でもどうするの? 貴方と箕曽々木君の関係はかなりいけないんじゃないの? きっと衝突するわよ」

ぴっ、と自分の眉間に指をさす。ジリジリと近づいてくるので、妙な威圧感がそこにあった。しかし、そんなことで怯む自分ではない。

「どうにもできるわけがないだろう。自分には、そんな大層なコミュニケーション能力なんてないんだよ」

一瞥して、現命から視線を外す。現命の方は視線を外してはいないらしく、何だかレーザー光線でも受けているような感覚がする。肌が、焼ける。

「貴方って本当に自虐家で、エゴイストなのね」

自分のことばかり。と嫌味ったらしく付け足す。

確かにそうだ、正論だ。

だってそうだろう。自分は自分のためにしか生きられない。気にくわないものには気に食わないまま生きてやる、自分とはそういう人間だ。

だがな、それで自分はいいと思うのだ。人のことに縛られて生きるのは、まっぴらだ。

本を閉じて、立ち上がる。

現命は冷たい目で自分を見ていたが、もう慣れた。言うだけ言って、どうこうしないのがこの女なのだ。逆にところどころ自分を非難してくれるところが、嬉しいのだ。自分にとっての否定者は、自分を見つめ返させてくれる鏡のようなものだ。

だから、現命は友達なのだ。

「貴方は本当に、変な人」

「これが自分だ、仕方がねえ」

そんな捨て台詞を、決めてみた。


さてとだ、そんな捨て台詞決めたところで自分と箕曽々木蒼との確執は全く収まらない。当然のことだ。

しかし、そんな確執があったところで、箕曽々木蒼は自分に小説を読ませてくるし、自分は吐き気を催しながらも彼の小説を読む。

筆者と読者だけの関係は、破綻しながらも続いている。

自分は箕曽々木蒼の小説は嫌いだし、箕曽々木蒼は自分の感想を一笑に付してる。破綻している以外の何物でもないだろう。だが、顔を合わせれば、結局同じサイクルを繰り返しているのである。

どこかで終わらせるべきか、このまま何事も無く続けていくのか。自分は選択に迫られた。と、言うには大袈裟ではあるが、どこかしらで選択は必要なのであるのかもしれない。

そうじゃなければ、自分はこの先ずっと彼の小説によって吐き気を催し続けさせられることになるから、だ。


どうしたらいい?


自分と人のことを考えるのは苦手だ。自分のことだけなら、どれだけ考えようとも自分の中で終わっていく。

しかしだな、これに人が加わるとどうだ、途端に何もかもがめんどくさくなる。蜘蛛の巣が絡み合うように、面倒くさくなるのだ。

人間関係ほど世の中を奇怪にしているものはないのではないか、とも思いたくなるほど難しい。

自分は箕曽々木蒼との関係を、どう終わらせればいいのか。あの、綺麗好きと、どう面と面を向かえばいいのか……。


結局、答えなんて出るはずも無い。

だから自分は流れに任せた。勝手にどうにかなるだろうと、流れに任せたのだ。吐き気を催すのは嫌だが、永遠というわけではない。終わる時まで待てばいいと、自分は諦めた。

まあそれは、意外な形……いや、そこまで意外でもない形で終わったのだが。


六月、彼は高校を中退した。やめたのだ。

勉強ができない、金銭的な問題、いじめなどの人間関係、という原因とは全く関係なく、彼自身が彼自身で決めて学校をやめたのだ。

何故かって?

さぁ、自分は知らないね。とは、言えない。言えたら格好がついたのだけれど。


知っているからだ、彼がどうして学校をやめたのか。


彼は皮肉にも自分だけには明かしてくれたのだ、いつまでも吐き気のする小説を読んでくれた自分だけにお礼として。

そんなお礼は、いらないのに。


「先輩、僕は学校をやめます」

その日、箕曽々木蒼は淡々と言った。何のそぶりもなく、当たり前のように言ったのだ。

「だから、今日が最後です。僕の小説を、こうして読むのは」

と言って、渡されたのは白紙だった。何も書かれていない白紙。それが十六枚、16ページ。呆れながら、自分は読んだ。そして、読み終わって、一も二もなく自分は言った。


「気持ち悪い」

「ようやく、本当のこと言ってくれましたね」


ああ、言ってやった。

そして自分は、その白紙の小説をビリビリに破いた。こんな空虚なものの存在を否定してやった。

箕曽々木蒼はただ笑みを浮かべるだけだった。自分の書いた小説が、書いていない小説が目の前で破られたというのに、文句一つさえ言わない。

どころか、

「いやぁ、貴方と出逢えて良かった」

と言う始末だ。自分はお前と出会って散々だったよ。

箕曽々木蒼は、今日に限って自分の前に、面と面を向かい合わせて立っている。

「一応、それは自分の人生を書いたものなんですよ」

箕曽々木蒼はそう言った。

破かれた小説を一枚一枚雑然と拾い上げ、ゴミ箱に放り投げる。言葉とは裏腹に、その人生は捨てられた。

「人間って、どうも浅ましくて醜い。気持ち悪い」

「ああ、んなこと思っているのだろうと思ってたよ」

「ずっと、僕の小説、読んでましたもんね」

ふふっと女々しい表情を見せる。顔立ちが端正なので、余計に魅せている。

「こんな世界、早く消えちゃえばいいんだ。小説に書く価値すらなかった」

言葉は重い。けれども、どこかしら軽く言うその姿に、深刻という言葉は似合わない。

むしろ、そうだな、諦めているのだろう、彼も。この世界がこれ以上変わらないのだと諦めているのだろう。

「先輩は、人間ってどうしようもないとは思いません?」

「知らんな。自分にはどうでもいいし、関係ない」

「僕は、人間がどうも、どうしようもなく見えて、仕方ないんです。だってそうでしょう、心の中では誰かのことを憎んで、自分のことばかり考えて、黒い何かが渦巻いてばかり」

だから人間は、いつだって醜く汚れてるんだと、箕曽々木蒼は反吐を吐く。

醜くて、汚くて、見てはいられない存在。

そんな存在が箕曽々木蒼は嫌であり、そんな存在である自分自身も嫌であるらしい。話しぶりから、勝手に自分が思ったことだが、これで合っているように思える。

そうだ、箕曽々木蒼は綺麗でいたかったのだ。

「もう、人間がいるところにいたくはないんです。出来うるなら、一人でいたい。あの中にいると、自分も汚れていってしまう気がするんです。そんな自分を見ていくのは、嫌だ」

語気を強くして見上げた天井に、箕曽々木蒼は何を見ているのだろうか。自分にはただの天井しか見えていないのに。

「先輩」

箕曽々木蒼は言う。最後に再び綺麗な笑みを魅せて。

「僕の人生、汚れてしまうくらいなら、白紙でいいですよね」


「……知るか」


箕曽々木蒼は、そうして去って行った。自分の手に届かぬところへと行ってしまった。

別に、心残りがあるわけではない。むしろせいせいしてるわけではあるが、やはり箕曽々木蒼は最後の最後まで気に食わない奴だった。

嫌いな、奴だった。

汚くなったっていいのに、醜くなったっていいのに、どうして彼はそれを嫌がるのだろう。あんなに、嫌がるのだろう。

綺麗でい続けることほど、気持ちは悪いものはないというのに。

綺麗でい続けるものは、人から見れば不気味に見えたりするんだぜ?

……いや、こんなこと言っても無駄か。こんなの、自分の勝手な考えにすぎないのだ。

エゴだ、どうしようもないエゴだ。

でも、自分はそのエゴを声に出して言うしかないのだ。これが自分であるのだから。


「人間は汚れて生きていくんだから、人間なんだよ。汚れても這い上がるから、人間なんだよ」


箕曽々木蒼との別れ際、自分は最後にそう言った。その言葉を聞いたとき、箕曽々木蒼はどんな反応をしたか。


「先輩は、僕とは違うから、そんなことが言えるんですね」


結局、自分は箕曽々木蒼を変えることはできなかったようだ。

いや、それでいいのかもしれない。こんな自分の言葉一つで変わってしまったら、逆に大丈夫かとでも言いたくなる。

自分はただ言いたいだけだから言ったのだ。文句をただ言っただけなのだ。それをどう取られたって、自分には関係がない。それは、箕曽々木蒼自身の問題なのだから。

こうして、自分と箕曽々木のとの関係は終わった。呆気ない幕切れを見せた。

今は、夕陽入り込む部室で一人、どうしようもない詩を書いている。綺麗とは決して言えない、泥だらけの詩を書いている。誰にも読ませる気のない、汚れて生きる人間の詩だ。

小説を読んで欲しいという後輩は、もういない。広い部室で、たった一人だ。


さぁ、今日も帰ろう。明日も学校はあるのだから。


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