第6話

3


 その夜、サクヤは寝付けずにいた。寝ようと思って目を瞑っても、昼間にマリナから言われた言葉がどうしても脳内に繰り返されてしまう。

『あなたは焦っている。今のままじゃ絶対に勝てない』

 マリナと分かれてからもその言葉の真意を考えていたが、答えは全く出てこなかった。それどころか、寧ろメグに対する気持ちの方が強くなっていく。

 メグは今どうしているのだろう。こうしている間にも命の危険は近づいていっているはずだ。あるいは最悪……。

 次第にマリナの言葉通り焦燥感を抱いていることを自覚し、その思考を打ち消そうと強く瞼を閉じたがそんな簡単に切り替えることなんて不可能だ。

 あの男は最後に、『助けたければ来い。いつでも待っている』と言い残した。それならまだメグは無事なはずだ。

「あーくそっ!」

 サクヤは寝返りを打った。そして一度深呼吸する。

 メグと立場を入れ替えられるなら代わってやりたい。いきなり見た夢でこうなってしまったのは理不尽すぎる。

 どうしようもなかった。夢の中では尽力したんだからそこに関して後悔はない。だが、あの時男に及ばなかった自分の無力さへの憤りは強くサクヤの中に居座っている。

「どうしてメグなんだよ……!」

 メグはもうすぐ高校に入学なんだぞ。すごく楽しみにしてて、嬉しそうにしてたのに。それなのにどうしてメグが連れ去られなければいけない。

 首にかけているメグのペンダントを握り締めた。

 軽く両目を閉じればメグの顔が鮮明に蘇る。俺と違って真面目で、優しくて、純粋で、成績も良くて、本当にメグは最高の妹だった。

 胸に熱いものが込み上げてくる。サクヤはそれに抗えなかった。止めどなくと溢れ出る涙が俺の頬を濡らす。とてもメグにこんな顔は見せられない。

 よくサクヤに笑顔を見せていた。もう一度あの笑顔を取り戻したい。

 そう思うと泣き疲れて腫れた目がだんだんと重くなってきて、眠りについた。


4


 目覚まし時計のアラーム音で覚ました。時間七時半ちょうど。そんな朝の騒音を、寝ぼけてまだ覚醒しきらない意識の中で止める。

 そっか、ここは異世界か。

 三日目ながらそう思い、ゆっくりと意識をはっきりとさせていく。

「そういえば目覚ましをセットしたままだったな……」

 異世界に来て初めてアラームによって起こされ、なぜアラームがなったのかを思い出す。

 これは、春休みに入る前、学校へ遅れないようにセットしていたアラームだ。異世界初日はあの思い出したくない夢のせいで早く目覚め、昨日はこの世界を探索するために早起きしたためにアラームにお世話になっていない。存在すら忘れていたが、サクヤはそんな日常に感謝するとともに、しばらくは、もしかしたら永遠に戻ることのないかもしれない日常の懐かしさに遠い目で目覚まし時計を見つめた。

 やはり、メグのいる日々を取り戻すにはマリナの協力が不可欠だ。今日、もう一度協力を頼みに行こう。

 そう決めたサクヤは朝食をトーストで済ませた。トーストになったのは三日前からなのに、メグの作っていた朝食を食べていたのがすごく昔に感じる。メグの作る朝食が恋しい。それを再び食べるためにも今日こそマリナの協力を得なければ。

 トーストを食べ終えるともう家を出ようと思ったが、よく考えればまだ早い。この時間ならまだマリナが出て来ていない可能性がある。時間を稼ぐために家の中をうろついてみるが、生まれてからずっと住んでいるだけあって何の面白みもない。

 だが、何気なく来た家の物置。ここに見覚えのないものがあった。

 ――漆黒の長剣。

 物置に光は届いていないにも関わらず黒く輝いている。サクヤはその剣に吸い寄せられるように近づいて手に取った。

 刹那、目の前の景色が変化した。

「これは……」

 間違えるはずがない。これはあの夢の光景だ。サクヤは目の前の男に殺気を剥き出しにするが、それよりも自然に促されるように右手に握っている物に目をやる。

「あっ」

 思わず声が漏れた。右手にあったのは物置に置いてあった剣と完全に同一の物だったのだから。

 そのことを知ると、周りが少しずつ現実へ戻った。

「あれは幻覚……なのか?」

 放心しながらサクヤは呟く。

 自問の答えは分からない。だが、これはマリナの言っていたことと同じだ。ということは今のは……。

 ――俺の記憶?

 確かに今のことだけでこの剣の扱いを思い出した気がする。もしこれで彼女の時と同じなら……。

 鞘から黒剣を抜く。するとずしりと重みが伝わってきた。だがその重みは寧ろ心地よい重さだ。

 刀身も刃まで黒色で、美しい黒光りを放っている。いかにも切れ味は良さそうだ。

 サクヤは満足して剣を鞘に戻し背中に背負う。これを使うときは来て欲しくないが、メグを取り戻すには必要なものだ。その時までにこの剣には慣れておきたい。

 そろそろいい時間だろうと思い、その状態のまま家を出た。

 今日の問題点の一つはマリナを見つけ出すこと。しかしそれは意外とあっさりクリアされた。俺が真っ先に来た富豪エリアですぐに鎧を装備したマリナに出くわしたのだ。

「あ、いた。マリ……」

「ちょっ……!」

 マリナに声を掛けようとするが、彼女は面食らった様子で声を上げ、最後まで言わせてもらうことができなかった。どうしたんだろう。と思うより早く、今度はマリナが口を開く。

「あなたなにしてるのよ。まさかまた探索とか言わないでしょうね?」

「いやいや違うから。俺は君を探してたんだって」

「…………ついて来て」

 弁明するサクヤに怪訝の目を少し向けた後、彼女は言うなり身を翻す。こうして彼は異世界三日目にして三度目のあのレストランに来た。

 まだ時間は早いため開店したばかりだろうか。店は閑散としていて昨日、一昨日と来た時より賑わいは見れない。他にもう一つ、前に来た二回とは違う箇所があった。それは客の視線。客は毎日入れ替わるからそれは当然といえば当然なのだが、どうもサクヤが注目を浴びている。

 入店するなりそれをマリナに伝えると、

「あなたねぇ。当たり前じゃない。貧民プロレタリアが剣を持って平民エリアにいたら物騒でしょ」

「あっ……」

 完全に失念していた。この世界に投げ出された初日、《革命者アプセッター》ではないかと疑念をかけられた。その時にマリナが発した言葉が、

『《革命者》が武器の一つも持たずにこんな所をうろついているわけがないわ』

 つまり、今の俺が身につけている剣を持ってしまえば《革命者》という疑念が抱かれるのは当たり前なわけで、周囲の視線が集まるのも至極当然な話だと納得できる。

「あなたねぇ……」

 どうしようもない、と言った様子でマリナはため息混じりに漏らした。全く反論の余地がない。

「で、私に何の用?」

 いつ切り出そうか迷っているとマリナがそう訊いてくれた。サクヤは真面目なトーンにしてそれに答える。

「やっぱりメグを助けるのに手を貸してくれないか?」

「またその話? それは昨日……」

「ああ、それは聞いたよ。でもやっぱり俺一人じゃどうしようもないんだ。こうして剣は持つようにしたけど俺は君ほど強くない。どうすれば助けられるかも全く考えつかない。それに俺の言葉がこの世界で通じないから何もできないんだ。今は頼れるのは君しかいない。だからお願いだ。手を貸して欲しい」

 サクヤは深々と頭を下げた。また断られるかもしれない。それでも今日こそは粘ろうも思っていた。言葉にした通り、彼に身寄りは彼女しかいないから。

 約五分。マリナが考えるにかけた時間の間、気まずい雰囲気が流れた。そしてようやく重い口を開いた。

「……分かったわ。ただし、条件があるわ」


☆☆☆


「って、ええええぇぇぇぇええええ!」

 マリナに何を条件にされるのかと身構えたが、実際に提案されたのはこうだ。妹さんの救出を手伝う代わりに、街の外れにある森の奥の社にあるコインを取ってきて欲しい。そうすればあなたに協力する。その後一言付け足して、そこはモンスターとか出てくるから気をつけてね。と笑顔で送り出されたのだ。

 でも、だからってさすがにこの状況は聞いてない。

 マリナに指定された森に来たのはいいものの、サクヤは虎のようなモンスターに四方を囲まれている。当然といえば当然だが、この森に人の気配は皆無だ。そのため大声を出しても誰からも助けを請うことはできない。そもそもサクヤの言葉がマリナ以外通じないから人がいても結局は同じなのだが……。

 餌を逃がさまいと鋭い目で睨みつけて威嚇してくるモンスターたち。完全にライオンの群れに放り込まれたシマウマ状態だ。

 ――これって絶対マリナがめんどくさいからって俺に押し付けただけだよな!

 内心でそう毒づきながらも背中の剣を抜き出す。

 簡単にこの状況を打開できるとは思わないが、愚痴っていていもしかたない。なら少しでも確実な手段を取るべき。

 そう決意したところでサクヤの視界が朝のように変化した。これは……朝に見た夢と同じだ。だが一瞬でそれは消え、今の視覚へと復帰した。

 なぜか朝よりも剣の扱い方がはっきりと分かる。もしかしたら、と思ったが……。

「やっぱりだめだろぉおおぉぉぉ!」

 サクヤは正面のモンスターを切りつけて倒し、逃げ出した。

 後ろからは当然だが残りのモンスターが逃がさまいと追ってくる。背後を振り向くなんてそんなおぞましい真似はとてもできない。

 木々の間を抜け、狭い場所を行くが、追ってくるモンスターとの距離は広がるどころか狭まるばかり。だから今度こそ覚悟を決めて足にブレーキをかけた。

「落ち着け……落ち着け……」

 自分にそう言い聞かせて上がった脈を抑え、一つ息を吐く。そして剣を構えた。後は自身の意志でどうこうすることはない。夢を頼りに、本能のままに動くだけだ。

 サクヤは地を蹴った。

 モンスターは余程空腹なのか、獲物が自らやられに来たと言わんばかりに獰猛さを剥き出しにしてサクヤに食らいつく。だが彼は上に跳び、躱すと同時に虎型モンスターの上に乗り黒剣を突き刺した。

 ――残り二体。

 同時に迫り、コンビネーションを見せる二体を引きつけ、絶妙のタイミングで横へ抜け出す。いくらモンスターと言えども正面から外れれば怖いものはない。

「はああああぁぁぁぁ!」

 側面から一体のモンスターを刺して確実に仕留める。

 ――残り一体。

 一対一になればもう不意をつくことはできない。だからサクヤは真っ向から堂々と挑む。

「グルルルルルル……」

 仲間がみんなやられ、残りが自分だけとなったモンスターが初めて唸る。

 襲ってくるモンスターの攻撃を躱しながら隙を窺い、斬撃を挟んでいく。しかし、モンスターは見慣れたとばかりにそれを回避する。

 そこでサクヤは直感的に森の中心の方へ入り、手頃な木の上に隠れた。後から来たモンスターは完全にサクヤを見失っている。

 ――今しかない。

「これで、終わりだ!」

 木の上からモンスターの上を落下点にして飛び降り、その勢いも利用して剣を背中に突き刺した。俺が着地と同時に最後のモンスターは倒れた。

「はぁ、はぁ」

 やったのか……。

 肩で息をしながらサクヤはその場に座り込んだ。

 信じられない。体を本能に任せるだけでこんなにも強くなれるのか。そうか、これがマリナの使っていた力。夢の記憶を呼び覚まし、本能に叩き込む。そして体を本能のままに動かすことによって力が目覚める。

 それだけではない。体を本能に委ねることにより心も落ち着いていた。冷静に、周りが見れるようななんとも不思議な感覚。まるで自分がした気がしない。

 それに、剣の鋭さにも驚嘆だった。最初の一体目。あれは倒そうと思って振ったわけじゃない。それどころじゃなくてとにかく剣を振っただけでまともに当たっていなかったのにそれでも即死レベルの致命傷を与えた。

「こんな力、俺に使いこなせるのだろうか……」

 そう思う一方で希望を見出していた。この力を使いこなすことができれば、メグを助けるのもいよいよ夢ではない。

 だから、

「使いこなすしかないんだ」

 胸中に覚悟を決めて目的地へと再び足を動かし始めた。

 でも、もうここに二度と来たくはないと、密かに彼は決意していた。

 マリナの情報は正確だった。それからちょっと行ったところに少しボロ臭い社があり、そこに銀色のコインが置かれていた。ここに放置されていただろうに、コインに錆はない。そしてそのコインには、中心に星の形と、そこから出た一本の曲線という不思議な模様がある。

 マリナはこれを一体どうするんだろう。

 ささやかな疑問を抱きながらサクヤはマリナの待つレストランへの帰路を辿った。


「お疲れ様ー」

 帰っきたサクヤを迎えたマリナはすごく上機嫌だった。彼女は今口に何かを含んでいる。

「えっ、と、何食べてるんだ?」

「見て分からない? パフェよ。パフェ。ここのパフェ美味しいのよ~」

 至福そうにパフェを食べるマリナにサクヤは拍子抜けした。これまでの彼女とは全く違う一面を見せ、キャラが完全に変わってしまっている。

 このままだとマリナのペースに持っていかれてしまうので、咳払いを一つ入れてから本題に入る。

「で、君の言ってたコインっていうのはこれか?」

 懐から取ってきたばかりのコインを取り出す。するとマリナはパフェを食べる手を止めてコインを受け取った。

「ええ、これで合ってるわ」

 コインを念入りに見て彼女は満足そうに頷いた。それでサクヤは先程からどうしても気になっていることを聞いてみる。

「そのコインをどうするんだ?」

「それはね……」

 マリナは焦らしてから、何かを取り出した。テーブルの上に出されたのは、取ってきたばかりの物と全く同じ柄のコイン。それも、五枚もある。

「私コレクションしてるのよ。こうすれば……」

 マリナはコイン一枚一枚をテーブル上に円形に並べ始めた。

「ほら、繋がったでしょ」

 確かに、こうして並べるとコインの曲線が繋がり、大きな一つの円を描いている。しかし、完成するにはまだ何枚か足りない。

「私、これを全部集めるのが夢なの」

 無邪気にマリナはそう笑ってみせた。

「ちょっと待て、これって君でも取りに行けただろ」

「ええ。あそこのモンスターなんて多分最低レベルの弱さよ」

 ってことはもしかして……。

「俺、利用された……?」

「まあいいじゃない。私もあなたに協力するんだから」

 サクヤはがっくりと肩を落とした。対照的にマリナは幸せそうにコインを見つめながらパフェを口に運んでいる。

 こうしてサクヤはちょっとした徒労と引き換えに強力な仲間を得た。


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