第5話

 でもどこか聞いたことのある少女の声だな、と思いつつ振り返ると、

「君は……九乗真梨奈!」

「あなたは……白海朔夜!」

 二人の声がシンクロした。

「何をしてるんだこんなところで」

「私は監視者センチネルなんだから普通じゃない。あなたこそこんなところで何をしてるのよ」

「そうか……。俺はこの世界の構造を知っておこうと思って探索を」

「ちょっと来て」

 サクヤの言葉を遮って、マリナが早足に俺の手を引く。

 いきなりで抵抗することもできず、されるままになっていると、平民エリアに入ったマリナはサクヤを連れて昨日のレストランに入店した。

「何するんだよいきなり!」

 店員によって席に通されるなり不満を爆発させた。

「あのままあそこにいたらあなた、《革命者アプセッター》だと勘違いされて襲われるわよ!」

「えっ? 何もしなければ襲われることなんて……」

「何甘いこと言ってるのよ! あそこは監視者センチネルの居住区よ。そんなところ来るような貧民プロレタリアは《革命者》しかいないのよ。だからあそこにいることが監視者に目撃されたら無差別で襲撃されるのよ」

 声を潜めながらも口調を荒らげる彼女の様子から、サクヤの行動が軽率だったことを理解した。

「ならここも危ないんじゃ……」

「少なくともここは大丈夫よ。貧民の中でもまだ金銭的に余裕のある人たちは平民エリアに来て買い物をしたり、こうしてレストランに来たりすることもあるからそういった場所ではいきなり襲撃されることはないわよ」

 マリナの口調が戻り、その事実を知って胸を撫で下ろす。だがそれも束の間、

「だからと言って平民エリアなら襲われることはない訳でもないわ。平民エリアでも貧民に強い反感を持っている人もいる。そんな人たちが感情のままに強襲する可能性もゼロではないわ」

 サクヤは自然と窓の外を見ていた。こうして人々が行き交っている街の様子を見ると、とてもそんな人がいるとは思えない。

 それでもここは元いた日本ではない。だから絶対や常識は通じない。そう自分に言い聞かせて気を引き締め直す。

「そういやさ、あの城は何なんだ? 城の割には門番みたいなのがいなかったけど」

 声のトーンを落とし、サクヤはここに連れてこられる前の疑問を投げかける。すると、マリナも急に表情を引き締めた。

「あそこは言わば、富豪ウエルスの家よ。昨日言い忘れてたけど富豪というのはこの世界に一人しか存在しないの。だからちゃんと中の警備はいるわ。それも普通の監視者より遥かに強いのがね」

「そんなにガードも強くて富豪は何をしてるんだ?」

 次から次へと浮かんでくる素朴な疑問を訊く。

「何もしないわ」

「えっ?」

「起きて、食べて、寝て。住民に税金を払わせてそのお金で一日中遊んで暮らしてる本当に下衆なやつよ」

 サクヤは無性に腹が立った。ここに来る前に見たのは貧困に苦しみ、怯えながら家とも呼べない場所で生活する人々。怯えていたのは恐らく、さっきマリナが言っていた平民コモンが貧民や凶族ブランクを襲うこともあるということが事実だからに違いない。

 貧しい人たちがいる一方で悠々自適に生活する富豪が許せない。

 その後にマリナが告げる衝撃の事実が少年の怒りに追い討ちを掛ける。

「昨日はあえて言わなかったのだけど……多分あなたの妹さんを連れていったのはその富豪よ」

「なっ……!」

 サクヤにとってそれは願ってもいない収穫だった。だが、その喜びよりも富豪への強い憎悪が生まれた。

 それと同時に彼は机を強く叩きつけて立ち上がっていた。

「どこに行くのよ?」

「メグを連れ戻しに行く」

「待ちなさい! あなたの気持ちも分からなくはないけど、今行ったところであなたに何ができるの!?」

 初めて声を荒げた赤髪の少女に圧倒されてサクヤはその場で竦む。

 だが、彼女の言う通りでもある。サクヤはまだこの世界に来て僅か二日しか経っていない。まだこの世界に馴染めず、何も分からない状態の少年にできることなんて正直皆無だ。

 …………でも。

「俺の妹なんだ。だから」

 その時、ちょうどサクヤの言葉を遮るように店の外から叫び声が聞こえた。

「《革命者》だ!」

 店の窓から見える街の様子が急に慌ただしくなる。

 その様子にマリナも表情を引き締めて出て行った。

「ち、ちょっと!」

 慌てて水を飲み干し、寂しい懐でギリギリ会計を済ませるとすぐにその後を追う。

 店を出ると、そこにマリナは立っていた。彼女の視線は貧民エリアのある方角を向いている。その表情は横からであったものの諦念が浮かんでいた。

「どうするんだ?」

「はぁ。今度は一人じゃないわね……面倒だけど大丈夫よ」

 現れたのは四人の二十代程の男だ。胸の階級章はサクヤと同じ黒一色。武器は剣を持っている。

 しかし、マリナの発した声には精神的な余裕があり、どこか倦怠するような響きを持っていた。そんな彼女とは対照的にサクヤは不安を抱きながら固唾を呑む。

 マリナは抜剣して四人の進行方向に立ち塞がった。

「お前は監視者か。ちょうどいい。お前を倒す!」

 四人が足を止めてその中の一人がマリナを挑発気味に宣言した。

 だが、当の彼女はそんな挑発には目もくれず、さらには四人を見ることもなくただ黙って小さく溜め息をつく。

 それがさらに四人をヒートアップさせた。

「監視者だから油断してたら痛い目に合うぞ!」

 いかにも雑魚キャラの言いそうなセリフを口にした男は早くも限界を迎えたらしく、剣を握り締めて走り出した。その後に残りの三人も続く。

 サクヤは心臓の鼓動を速めてただ見守ることしかできない。

 少女は今日も鎧を着用しているとは言え、彼女よりも遥かに屈強そうな男四人が同時に襲いかかる。

 先頭の男から振り下ろされる剣を身を傾けて躱し、その背後から続く二人目、三人目、四人目と、連続して繰り出される攻撃を最小限の動きだけで避けていく。

 一方の男集団四人は至って真剣だ。見るからに相手は年端もいかない少女だということぐらい彼らも分かっているはずだが容赦は一切ない。

 しかし、それをマリナは難なく避け続け、むしろ男たちの方が体力を奪われていた。

 それでも尚リーダーの男がマリナを鋭く睨んで戦意を見せる。

 マリナはもう一度ため息をついた。

我は闇を払う光なりアイ・アム・ア・ウィナー

 隣にいるサクヤぐらいにしか聞こえない大きさで呟いた刹那、彼女に不思議な力が宿ったのを感じた。何と言えばいいだろうか……。そう、オーラ。赤っぽいオーラが彼女の周りに漂っているのだ。

 目を閉じて集中するマリナに四人の男が迫る。そのうちのリーダーらしき男だけは少し三人と離れているが、彼らには警戒心など微塵もない。

 彼女まで後数歩まで男たちが接近したところでマリナはカッと目を開き剣を薙いだ。あまりにもその動作が速過ぎて、サクヤには軌道の残像だけが見えた。

 前にいた三人の男の手から剣が宙に舞う。当人の男たちは何が起こったか分からずポカンとしていた。恐る恐る視線を落として手に剣が収まっていないことを確認した直後、彼らの真横に剣が突き刺さる。

 真っ先に状況を把握したのは、流石というべきかリーダーと思わしき男だった。彼だけはまだ剣を手に持っていて、実力が及ばない悔しさからか、もしくは恐怖からか手が震えている。

「く、くそおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 そんな状態でありながらもリーダーの男はマリナに向かって走り出した。

 一方、ここまでマリナは不思議な赤いオーラを身に纏ってから表情一つ動かさない。戦闘開始時に集中力を高めていたが、それは集中しているからだろうか。

 そんな彼女が初めて足を動かした。迫ってくる男を迎え撃つように足を運ぶと今度は彼女から一閃する。またしてもサクヤにはその残像しか見えなかった。

 男の足が止まり、目が大きく開かれる。彼が震えながら目だけで下を見ると、マリナによって首に剣が当てられていた。あまりの恐ろしさに男は剣を落とし、乾いた金属音が街に響く。

 ――すごい。

 サクヤはマリナの強さに戦慄した。襲われても微動だにしない精神力。残像しか見えないほどの剣の速さ。どこをとっても彼女は俺なんかとは違う次元にいる。そう実感させられた。

 しばらくその緊迫の状況が続いたが、マリナが男の首から剣を離した。それで我に返った男らは、

「う、うわあああぁぁぁああああ!」

 練習でもしていたのかと疑ってしまうほど俊敏な動きで身を翻して見えなくなった。

 周囲の視線がマリナに集まるが、彼女は気にせず剣を収めて俺の前に戻ってきた。

 彼女なら、メグを助けられるのではないか。俺はそう思った。

「場所を変えましょうか」

 それだけ言うとマリナはサクヤの前を通り過ぎた。

 店の中にいた人々も表に出てきてギャラリーはかなり増えている。しかも、そのギャラリーたちがヒソヒソと話している声がサクヤたちにまで届いているのだ。確かにこの場ではまともに話せそうもない。

 この華奢な身体のどこにあんな力があるのだろう。前を行くマリナの背中を見て、ふとそんなことを考えた。

 彼女は自分より遥かに力が強いであろう男四人を一瞬で蹴散らしたのだ。普通なら絶対に考えられない。これは異世界ならではこそ成せる業だろう。だが、それだけではない気がするのも否定できない。いくら異世界と言えども自分の筋力や実力が奔騰するわけではないはずだ。だから彼女自身もかなりの実力はあることになる。

 思考を巡らせていると、人の少ないちょっとした広場でマリナが立ち止まって振り返った。どうやらここで話の続きをするらしい。

「聞きたいことは分かるわ。あの力のことでしょう?」

 マリナは手頃なベンチに腰掛けながら切り出した。聞きたくないと言えば当然嘘になるため、無言で彼女の隣に座って促す。

「あれはね、私が夢で使っていた力なの」

「夢?」

 予想の斜め上を行く答えにサクヤは目を丸くする。

「ええ。私もね、家族を殺されたのよ。多分、あなたと同じ夢の中で」

 衝撃の告白にサクヤは言葉を失った。淡々とただ事実を告げるように言いのけたが、その裏にはきっと、複雑な感情が渦巻いているのだろう。

 だから彼はあまりそのことについて追及はしなかった。

「それで、目が覚めたら私が使っていたこの剣が家にあって、握った瞬間に夢の時の記憶が鮮明に蘇ったの。それで試しに真似てみたらできたってわけ」

 その答えにサクヤは拍子抜けする。彼女の能力が努力の賜物だと思っていたばかりに一瞬理解が追いつかなかった。

 でも、さっきの彼女の力も、他の誰でもない彼女自身の力だ。

 もしかしたらマリナならメグを救えるかもしれない。サクヤは再びそう思った。だから頼む。

「メグを、俺の妹を助けるのに手を貸してくれないか?」

 唐突な頼みにマリナは黙り込む。

「いきなりなのは分かってる。でも、俺は君の力を貸して欲しい。俺一人ではどうしようもないんだ。だから頼む」

 深々と頭を下げた。他に当てはない。サクヤの今の唯一の希望は目の前の少女なのだ。

「頭を上げて。私にそこまでされる義理はないわ」

 そんな彼の様子を見かねたマリナがようやく口を開いた。

「じ、じゃあ……」

「ごめんなさい。私にはできないわ」

「どうして!?」

「今の私の力でも富豪には及ばないわ」

「そんなこと……」

 そんなことはない。そう言い切りたかったができなかった。マリナの力はすごいと思った。今も思う。だがサクヤは富豪の強さを知らないのだ。だから彼女の言うことが正しいのかもしれない。

 でも、諦められるはずがない。何としてもメグを助け出したいから。

「そんなことやってみなければ分からない!」

「分かるわよ!」

 マリナが声を荒らげた。今まで穏やかだったためにサクヤは少し怯んでしまう。

 しかし彼女はすぐに落ち着きを取り戻す。

「ごめんなさい。でも私の言ったことは確かよ。それに、あなたは焦っている。今のままじゃ絶対に勝てない」

 ――俺が……焦っている? メグが連れ去られたんだ。そんなの当然だ。メグの命が懸かっているのだから。逆に焦らないやつなんかいるのか? 

 サクヤは疑問を抱くが、マリナは至って真面目なトーンだ。何も自分は焦ってなどいない。

 結局最後までサクヤは彼女の言葉の真意が理解できなかった。

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