…
茉莉の怒りが、満たされない自尊心にあることは、想像できる。
〜♪
着信メロディが鳴り響き、携帯の表示画面が、梢と映されていた。
僕は梢の声を想像し、溜め息をついた。
「ごめん、ちょっと」茉莉に目配せをし、携帯を手にして、リビングを後にする。
寝室に入ると、着信ボタンを押した。
「もしもし」
「こんばんは。今、何してた?」
微笑むような物言いに、胸がチクリと傷んだ。
「うん、とね、テレビ見てた」咄嗟につく嘘を、梢は見破れないだろう。
「そうなんだ。私はね、今、仕事が終ったところ。今日、考えていたんだけど、マシュマロの乗ったチョコレートピザが食べられるお店があって、そこに行きたいと思ったんだ。明日、裕二、休みでしょう?だから、十一時に表参道駅で待ち合わせでもいい?」
嬉しそうにはにかむ表情を、容易に想像できた。
「うん、いいよ」二つ返事で、丁寧に返す。
「でも、甘いもの好きじゃないかな?」
「チョコレートとマシュマロのピザだろう。組み合わせは相当甘そうだけど、梢が食べたいっていうなら、そこにしよう」
「違うところにする?」
「ううん。大丈夫」
「じゃあ、そこで決まり」
いつも、自分の意見を押し付けるのではなく、必ず、反応を伺おうとする。それは、相手を配慮するという大人ならではの気遣いである。
だけど……。
たまに、そのやり取りを面倒に感じることもあった。
煩わしさというか、なんというか、面倒くさいと感じることがあった。
でもそれは、茉莉と比べているせいではないかと、薄々気づいていた。
「ああ。楽しみにしてる」
「私も。愛してるよ、ゆうくん」
「俺も愛してるよ。おやすみ」
「おやすみ」
携帯を切ったところで、リビングで何かを物色しているであろう茉莉を想像し、すぐさまリビングへと戻った。
茉莉は案の定、棚にある本に手をかけ、瞬時に、その手を引っ込めた。
「彼女から?」
「あぁ」
「まだお熱いようで」
「まあ」
「この本さ、まだ、置いてあったんだね」
手に持っていたのは、君に読む物語と書かれた小説だった。昔、茉莉と二人で書店に行った時に、漫画と共にカゴに放り込まれていたものだった。
「読んでないけど」
「じゃあ、捨てちゃう」
「どうぞどうぞ」
「なによ、どうぞって」
顔を合わせて、笑った。こんな風に笑ったのは、久しぶりにおもえた。
「私が今まで何をしてきたか、聞きたい?」
茉莉は、口元に笑みをこぼした。
「聞かせてよ」
「何、その反応」
「どうぞどうぞ」
茉莉は急に腕を上にあげて、肩を鳴らした。
女子にしてはその態度はガサツというかなんというか下品な行為なのに、茉莉がすると、とてもそうは見えず、寧ろ清々しく見えた。
「私ね、すれ違うカップルなんかを見て、ああ大変ねえと思ったりしていたの。あんな風に笑い合っているけど、お互い譲れないものがあって、それを誤魔化して微笑みあってるのねぇって。それに、一人で歩いているミニスカートの女子高生を見てる、変態の男から少女達を守ってあげなくちゃ、なんて思ったり。自分って、なんて気味悪いんだろうっておもうと、笑えてくるのよ。それでも、そんな風にして、生きてきたの。でも、だんだん、自分ひとりだけが、この世界に取り残されているような気がしてきた。仕事はしているけど、必要最低限しか周りとは話さないし、休日は、そんな気味悪いことをしているでしょう。まるで、周りが高速で回転していて、自分だけ、スローモーションで、その景色を見ているようだったの。そのうち、こうして、どんどん年をとっていくんじゃないかって思って、怖くなった。嫉妬とか、そういうことはしたくなかったし、そんな感情は一切湧かないの。人を羨んだって、しょうがないじゃない。幸せの影には、絶望もあるし、孤独も隠されているんだってことを、知っているから。私は一人でいることに幸福を感じていた。そのうち、裕二は何をしているのだろう、って思ったの。ふとした拍子にね。一年を過ぎてから、ふと、自分に尽くしてくれた裕二を思い出すようになっていったの。不思議なことに、私が今まであれだけ嫌悪していた裕二の記憶は、あとかたもなくすっかりと抜けおちていて、あたたかい視線とか、貰ったプレゼントとか、二人で笑い合った記憶とか、幸せな時の記憶しか、覚えていないのよ。裕二との記憶をおもいだすうちに、感傷に浸るようになった。失恋の曲も響いて聞こえて、ああ大人ってこういうことなんだって思ったりして」笑って言う茉莉の目は、悲しげに見えた。
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