第44話
「今日は特に伝える事もない。掃除をした後、部活だのなんだの励むんだな」
ぶっきらぼうだけど的確で簡潔ないつも通りの先生の言葉を合図に、今日の全ての授業は終わった。
午後の授業も何事も無く無事に乗り切った私が楽しみに待っていたのは、まさにこの授業が終わった後の時間であった。また今日も、様々な動物たちが待っている飼育小屋の掃除に向かう事ができるからだ。勿論、一番会いたい動物は、飼育小屋の一番大きな空間で日々のんびりと暮らしている、大きな体につぶらな瞳のブタさんだ。
「……俺たちってなんでか飼育小屋ばかり任されるよなー」
「私は気にしてないよー。動物好きだもーん」
「僕もかな。丸斗さんよりは詳しくないから、専門的な接し方は分からないけど……」
「わ、私もそこまで専門的な事は……」
三神君たちの言う通り、私を含めたこのクラスの四人は、何故か頻繁に飼育小屋の掃除を任される事が多かった。動物の餌を準備したり、飼育小屋の中を掃除したり、水が汚れていたらすぐに取り替えると言う、一見簡単そうだけど意外と大変な掃除だ。もしかしたら、私たちに任せたほうが何かと都合が良い、と言う先生の考えだったのかもしれない。でも、星野さんや白柳君は、教室などの掃除よりも正直楽しいかもしれない、と言った事があったし、面倒臭がり屋の三神君もその意見に大いに賛成していた。勿論私も、飼育小屋に定期的に向かう事ができるのは何よりの幸せであった。
事務の先生からいつものようにこれから動物たちが食べる分のご飯を渡してもらい、私たちは校舎の傍にある飼育小屋へと向かった。いつものようにニワトリたちがせわしなく動き回り、小鳥は突然の来客に飛び回り、カメはのんびりと水場の傍で佇んでいた。
「今日はいつもより楽かもしれないね。床も汚くないし……」
「いつもこうだと俺たちも面倒じゃなくて済むんだけどなー。って、動物たちに分かる訳無いか」
「当たり前だっつーの」
「ま、まぁ……そうかもしれない……かな?」
その言葉が分かるはずがないと断言されてしまった『動物』との交流、そしてたくさんの会話で人生を良い方向に変えてもらった私は、皆のやり取りに少しどぎまぎしながら回答をしてしまった。一瞬自分が変なことを言ったと思われるかもしれない、と心配したけれど、幸いそのような事は無く、順調に飼育小屋の掃除は進んでいった。
そして、小さい動物たちの部屋の掃除が終わった後、私たちはいよいよブタさんが一頭でのんびり暮らす、大きな部屋の方へと移動した。聞きなれた声がやって来たのを知ったのか、ブタさんは私たちの姿を見ると飼育小屋の後ろへ歩き、掃除をしやすいようにしてくれた。見慣れた光景だけど、やはりブタさんは頭が良い動物だと言う事をいつも私や友達は実感させられていた。
「おりゃー!ここも手っ取り早く済ませるぜ……ってうわっ!」
「だ、大丈夫……!?」
「調子に乗るからだよー全く」
「いいじゃねーかよこれくらいー」
「あんたいつもそればっかじゃん!」
星野さんと三神君は、度々このような言い争いを私たちの前で披露したり、私の目の前で色々な出来事がきっかけで口論をしたりしていた。でも、そこには昔の私が経験したような憎しみや悲しみは一切無く、それどころか別のクラスメイト曰く、まるで『恋人の痴話喧嘩』のような感じだ、とまで言われるほどであった。ただ私にはあまりそのような実感は湧かなかったし、同じく飼育担当の白柳君もあまりそういった話題に興味は無さそうな様子であった。もしかしたら、他人の『恋』の邪魔をしてはいけない、なんて事を私は心の奥底で思っていたのかもしれない。
そんな友達のやり取りを交えながらも、私たちは無事ブタさんの部屋の掃除も終わらせることが出来た。最後は、これまたいつものようにブタさんに美味しいご飯を食べてもらう時間だ。今回は私ではなく、白柳君の長く綺麗な手から、ブタさんへと野菜が渡された。
「美味しそうに食べてるね」
「本当だね、とても美味しそう……」
でも、私はブタさんがただ一心不乱に食べ物にありついている訳ではない事を知っていた。白柳君からご飯を貰っている間も、ブタさんの視線は度々『恋人』の方を向き、その表情が穏やかである事を確認しては優しく目を細めていたからだ。
人間のイケメンの姿になることが出来なくなっても、ブタさんは私と同じように日常の暮らしを楽しんでいるようだった。
そして何事も無く、飼育小屋の掃除は完了した。三神君のズボンのお尻は濡れてしまったけれど。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「今日もお疲れー」
様々な形で時間を過ごすために一旦別れた友達を見送る私に声をかけたのは、事務の先生だった。
「どうだい、もうだいぶ落ち着いたかな?」
「す、すいません……ずっと心配させてしまって……」
ブタさんの正体を知ってしまい、彼共々混乱と衝撃で頭も体も乱れ続けた結果心の具合が悪くなり、ずっと学校を休んでしまった時期があった事を、事務の先生はずっと覚え、心配してくれていた。確かに今は何事も無く平穏無事な日々を過ごすことができるようになり、ブタさんともいつも通り、いや今まで以上に仲良くする事が出来る私だけど、いつ同じような事がおきてしまうのか、と先生は不安だったのかもしれない。
でも、逆に不安になってしまった私に対して事務の先生は気にするな、といつも通り気さくに答えてくれた。学校の建物や動物たちと同じように、生徒の平和な学園生活を見守るのも自分の仕事であり、この学校での生きがいだ、と。
「それに、生徒の夢も私はたっぷり応援したいからね。最近どうかな?」
「あ、はい。お陰さまで……まだまだ未熟ですが……」
「それでいいんだよ。まだ若いからねー。私みたいにおじさんになってからじゃね……たはは」
とは言いつつも、先生の言葉からはどこか若さのようなものが溢れているように私は感じた。
「……それにしてもなぁ……」
「……どうしたんですか?」
新たな話題に反応した私に返ってきたのは、意外な、そして少しドキッとするような言葉だった。あの飼育小屋のブタは、普通のブタとはどこか違う、不思議な存在のように感じる、と。
「え、どういう事ですか……?」
「いや、別に深い意味じゃないよ。ただ、何となく私たちが『飼っている』動物とはどこか違う気がする、ってね」
「……?」
この学校にいるほとんどの人たち――私の担任の先生や私の友達なども含んで――は、あの飼育小屋に住む動物たちを自分たちの手で『飼っている』、言葉は乱暴だけど言い換えれば自分たちより立場が下のように捉えている事が多い、と事務の先生は言った。言葉の通じない、ただ自分たちの与えた餌を美味しそうに食べる彼ら動物たちを見ればそう思うのは仕方ないだろう、と言うフォローも加えながら。
でも、元々非常に頭の良い動物であると言う科学的な事実を含めたとしても、あのブタに関しては、むしろ自分たちが彼に『飼われている』のかもしれない――意味の分からないような先生の言葉だけど、私はその意味がすぐに理解できた。なにせ私は、ずっとあのブタさん――いや、彼のもう一つの姿であったイケメンさんに、様々な形でずっと面倒を見てもらっていたのだから。勿論その事は誰にも伝えていないし、何か特別な繋がりがあるのかもしれない、と言う所までは感づかれたかもしれないけど、『恋人同士』だという事はずっと内緒のままである。でも、私はそれが先生にばれたのかもしれないと思い、再び顔が赤くなってしまった。
「あ、あれ……何かあったのかい?」
「い、いえ、な、何でもありません!」
それは失礼、と事務の先生は明るい笑顔を見せてくれた。
そう、イケメンさんと同じぐらいに、私は事務の先生にもたくさん応援してもらい、夢を見つけてそこに向かう道しるべを作ってくれた大事な人なのだ。そしてきっと、これからはブタさん以上に様々な形でお世話になってしまうかもしれない。
そろそろ用事がある場所へ向かう必要がある、という事で、この日の先生との話はこれで終わりになった。ありがとうございました、と礼を言い、私はもう一度、今回の話題の種になった人――いや、動物へと会いに行った。
「……今日もお疲れ様でした、ブタさん」
飼育小屋の近くに再びやって来た私の言葉を聞きたがるように、ブタさんは傍へと歩み寄ってきた。
その姿形には、もうあの時のイケメンさんの面影は全く無いように見える。言葉も話せないし、口から出るのは濁ったような聞きなれたブタの声だけだ。それでも、じっと私を見つめるブタさんの優しげな瞳には、あの時と全く同じ、私の心を癒し、そして私自身が言葉や心を紡ぐ手伝いをしてくれる不思議な力が宿っているように見えた。
「ブタさんの事、事務の先生も不思議に思っていましたよ。
あ、でも大丈夫です。私たちの秘密は、誰にもばれていませんから……」
その言葉に、ブタさんは一声だけ反応してくれた。安心したかのような、明るい声色で。
確かに、動物を過剰に擬人化し、人間の常識を当てはめすぎると言うのは、動物を自らの言いなりにする悪い事かもしれないし、科学的に見てもナンセンスなことだ。でも、その科学の世界には様々な例外がつきものである、と言う事実もある。そう、このブタさんのように。
普段ならもっといろいろと話せるかもしれないけれど、この日は全てがいつも通りに穏やかに過ぎていった事もあり、一言二言話した後は静かに互いに見つめあう時間になった。もう何も言葉を通じ合わせる事はできないけれど、身振り手振り、そして目や表情などで意思を伝え合うことならまだ出来る。
今日も明日も、これからも、出来る限り私は『イケメンさん』と一緒の時間を過ごして、様々な事を語り合いたい。そして、ずっと『恋人』で居続けたい。
「じゃ、また明日会いましょう」
さよなら、と手を振る私に高らかなブタの声をあげる彼――イケメンさんも、同じ気持ちだったのかもしれない。
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家に帰り、お母さんやお父さんと一緒にご飯を食べ、テレビも見たい気分を抑えながら多めに渡されてしまった宿題をこなし、そしてお風呂に入って今日の体の疲れをたっぷりと流した後、私は今日借りた遺伝子に関する専門書をじっくりと読み進める時間をようやく得る事が出来た。
遺伝子配列に頼らない遺伝情報の研究の最前線、一度崩壊した遺伝子の復元について、動物の遺伝子研究と進化の関係――どれも普通の本には滅多に掲載されない、とても難しい内容だ。でも、イケメンさんと語り合ったあの図書館で見つけた様々な本の知識のお陰で、私はそれらの内容を興味深く、そして楽しみながら読む事が出来た。まるで宝の地図を片手に進む冒険家のように、私の知らない未知の内容がこの本には詰まっていたのだ。
そして、その中の項目に、あの女性科学者の人の名前もしっかり載っていた。正直、その内容が私にとっては一番難しく、何十分もかけてその場所を何度も読み直す事態になってしまった。結局そのせいですっかり眠くなってしまい、続きは明日に回す事を決めた。
「ふわぁ……」
目を擦ってあくびをしながら、私はもう一度本を見つめながら思った。読者を悩ませてしまうような最先端の難しい内容を、いつか私も書籍にまとめる事になるのだろうか、と。
まだ夢に向かっての勉強は始まったばかり、これからどうなっていくかは分からない。きっとお父さんもお母さんも、事務の先生も、そしてブタさん――イケメンさんも同じだろう。でも、こう言う難しい研究でも自分の物にして、十数ページにも及ぶ文章に纏めてしまう力を持つ、そんな大学教授になりたい、と言う思いがより強くなったのは確かだ。
この人のように、私もなりたい。いや、なってみせる。
そんな事を考えながら、私は静かにベッドの中で夢の世界へと赴いた……。
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