第43話
「おはよう」
「あら、おはよう」
今日も私は、昇り始めた太陽の光を浴びて目を覚ました。お母さんの作った朝ご飯の良い香りが寝ぼけていた私の頭も目覚めさせ、いつも通りの一日の始まりを教えてくれた。
いただきます、と家族で声を合わせ、朝のテレビを見つつ会話を盛り上げながら、今日も和気藹々と美味しくご飯を食べる事が出来た。ごちそうさま、の挨拶の後、お母さんが食器類を洗っている間に私とお父さんはそれぞれ学校や会社に向かう準備を始めた。どれもいつも通りの日常光景だ。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
「気をつけてな」
私のほうがお父さんより先に家を後にしたのは、なるべく早く学校に行きたかったからである。
いつもの通学路を少し駆け足で歩き、嬉しさに心を弾ませつつ車や自転車に気をつけながら、私は楽しみにしていた場所へと向かった。学校のグランドから少し離れた場所にある、たくさんの動物たちが暮らす飼育小屋だ。
その一角で足を止めた私の視線には、いつも通りの元気な、そして大きな体が横たわっていた。眠そうな目だけど、私が来たことを知ると嬉しそうな鳴き声をあげ、こちらに笑顔を見せてくれた。
「おはようございます、ブタさん」
今日もいつも通り、ブタさん――いや、『イケメンさん』は元気そうだった。
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保健室で寝込むまで元気を失った私と、体調悪化が続いていたブタさん。一体どうすれば元の状態に戻るのか、その答えが『もう一度会う事』であった事を知っていたのは、私の体調を察してくれた保健室の先生だけだった。
私たちも知っていたのかもしれないけれど、互いにその答えから目を背けあっていた。もう二度と会うことは無いと言う想いすら頭によぎっていたほどであった。でも、その裏ではやはりもう一度会いたい、しっかりと話がしたい、その想いも頭の中にあったのかもしれない。飼育小屋の中と外、思いをぶつけ合い、これからも会う事が出来ると言う事実を再確認しあった途端、私もブタさんも一気に気持ちが晴れ、体調もあっという間に回復してしまったのだから。
見違えるほどに元気になった私やブタさんを見て、友達も先生も、お父さんもお母さんも皆驚いていた。事務の先生に至っては、保健室の先生の鮮やかな推理も含めてあまりの驚きように大きく口を開き、そのまましばらく身動きすら取れないほどだった。でも、ブタさんとの秘密の関係を除いて私がその理由を全て話し、迷惑をかけたりわがままを言ったりして申し訳ない、と謝った後は皆納得し、私を許してくれた。そして、ずっと寂しそうな顔ばかりだった、やっぱり笑顔の方が良い、とお父さんやお母さんは優しく私を励ましてくれた。
ずっと学校で苛めを受け、たった一人で学校での時間を過ごさなければならないあの日々が、まるで昨晩の悪夢のように思ってしまう。でも、幸いにもその恐ろしい夢は既に終わっている。科学では永遠に説明が出来ないだろうたくさんの不思議な出来事が私を助け、今の平和な日常へと導いてくれたからだ。
「おっはよー、敦子」
「あ、おはよう……星野さん」
そして、私はこの学校で一人ぼっちでは無くなった。
あの日々の中で、私は初めてこの学校で『友達』と言う存在を得る事が出来たのである。
「でね、昨日ネットにそう書いてたんだけどさー」
「へぇ……」
「敦子も意外だって思うでしょー?」
ブタさんとの新たな日々が始まってしばらく経ってから、隣の席の星野さんは私を苗字の『丸斗』さんではなく、下の名前の『敦子』で呼ぶようになった。せっかく一緒に会話する事ができる仲になったのだから、他人行儀のような苗字読みじゃなくて気兼ねなく話せるようにしよう、と提案してきたからだ。でも私の方はどうしても下の名前で呼ぶことには慣れず、そのまま苗字で話しかけることにした。照れくさいからと言うのもあるけれど、それ以上に下の名前で呼ばれると、どうしても脳裏に下の名前で呼ぶイケメンさんの声が再生されてしまい、色々と複雑な感情を抱いてしまうからである。
忘れるべきか忘れないべきか、イケメンさんの正体が分かった日から色々と悩んだけれど、最終的に私はあの不思議な日々の余韻にこれからもずっと浸り続ける事にした。決して忘れる事のできない、いや絶対に忘れたり消したりしてはいけない、貴重な日々なのだから。
「あ、星野さんに丸斗さん、おはよう」
「見ろ見ろ、俺遅刻しなかったぜー!」
ほっそりとした体の白柳君が私たちに挨拶をし、がっちりとした体格の三神君の発言に星野さんが突っ込みを入れる、これもすっかり私の日常になっていた。性別も考え方も、教室に来る時間も違うけれど、2人ともあの日々の中で知り合う事が出来た、私の大事な友達だ。
遅刻しないのが当然だろう、と言う星野さんの突っ込みが飛ぶ中、スピーカーからチャイムが鳴り、朝のホームルームの始まりが近づいていると言う合図を告げた。言い争いやお喋りもたけなわに、私たちは自分たちの席に戻り、先生を待つ事になった。
「「おはようございます!」」
「よう、お前ら」
ぶっきらぼうだけど、しっかり私達全員を見つめながら挨拶をしてくれる先生の登場で、今日の学校生活――不思議な時間が過ぎた後の、私の日常が始まった。
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何時ものように先生の話す内容を聞き、重要だと思うところはメモを取り、後で確認したいと感じた箇所に線を引く。近くでぐっすりと寝ているクラスメイトがいるのをちらりと見ながら、今日も私は普段どおりに授業を受ける事が出来た。
確かに、国語の古典の文章やややこしい数学の公式など、私が抱く将来の夢とは大きくかけ離れている授業もある。だけど、そのような面倒くさいかもしれない内容も、いつかは夢に向かって進むときの大きな糧になるかもしれない。そう思いながら、長い午前中の勉強の時間を過ごし続けた。
「しっかし、毎度の事だけど敦子は凄いよねー」
「そ、そうかな……」
そんな私を、よく星野さんは褒めてくれた。その日も彼女に誘われ、他のクラスメイトと一緒にご飯を食べている最中に、私の勉強に対する態度を羨ましい、自分には無理だ、と語っていた。
でもそれは、私が星野さんに抱く思いとほぼ同じだった。まだ人と話すとつい恥ずかしがってしまったり、運動も未だに出来なかったり、それに、あまり思い出したくないけれど、体つきもずっと『ブタ子』のままだ。すらりとした外見で気さくで明るく、友達をたくさん持っている星野さんが羨ましい、自分にはあんなの無理だ。私もそう思っていたのだ。
「ずーっと前から頭いい人だなって思ってたけど、ぶっちゃけそれ以上の逸材だったよ」
「そ、そんなに褒められると……」
褒めすぎ禁物、と他のクラスメイトから星野さんに注意が飛ぶまで、私の顔は物凄く火照ってしまっていた。恥ずかしさもあるけれど、自分が羨ましいと想っている人から褒められるというのは、照れくさくも嬉しい事だった。
それを一旦クールダウンするため、私は学校の図書室へと向かうことにした。昼食はこうやって皆と食べる機会がかなり増えたけれど、それ以降の昼休憩は図書室に行って一人で過ごす事が多かった。それが一番自分にとって落ち着くものだ、と言う我がままのような気持ちだけど、幸いな事に今のクラスメイトの人は理解してくれたようだった。
たくさんの本が待機する図書館の本棚を実ながら何時ものように読みたいタイトルを探していると、今まで見た事が無かった1冊の本を見つけた。つい最近発刊されたばかりの、動物の遺伝子に関する専門書だ。今までたくさんそういった本を読んできた私でも触れたことがあまり無いジャンルの内容が書かれていて、図書室の席で読むだけでは中身を理解しきれそうに無かった。これは家に帰ってから寝るまでにじっくり読んだ方が良いかもしれない。そう思い、私はこの本を借りる事にした。
そしてさらりと巻末のページを開いたとき、私の目に飛び込んだのは、この本を手掛けた著者のプロフィールであった。様々な方の学歴や研究内容が書かれている中に、大学教授として遺伝子の研究を行っている、女性の科学者の名前を見つけたのだ。まさにそれは、私の夢そのものの姿だった。
いつか自分も、こんな風に巻末にプロフィールを書くことが出来る日が来るのだろうか。そんな妄想を頭に浮かべながら、私は教室へと戻っていった……。
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