第28話
「ただいまー」
「あ、お帰り」「お帰りなさい」
誰にも内緒のデートから帰ってきた私を迎えたのは、いつも通りに優しい言葉をかけてくれたお父さんとお母さんだった。そして挨拶と同時に、私の鼻に心地よい、そしてお腹を刺激しそうな匂いが漂ってきた。今日の夕食が何なのか、お母さんが口に言わなくても、私には一発で大好きな『カレーライス』であることが分かった。
「お昼ごはん、カレーじゃなかったでしょ?」
「うん、大丈夫だよ」
もう少しで完成する、と聞いた私は、早速準備に取り掛かることにした。しっかりと手を洗い、喉を洗浄して、いつも家で着ている部屋着用のジャージを身につける。いつも通りの流れの中でベッドに腰掛けながら、私はあの時イケメンさんとのやり取りを思い返していた。
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太陽もだいぶ西に傾き、そろそろ互いに『家』へ帰る時間になった時、イケメンさんは私にこう言った。今日の言葉は、あくまでも自分自身の考えであって、『私』の意見ではない、と。一瞬何を言っているのか理解できなかった私だけど、すぐにそれが、そのまま意見を鵜呑みにしないように、と言う忠告であることに気がついた。
「今回の俺の意見は、結構暴論だったかもしれないからな……」
「そ、そんな事は……無いと思います……」
「サンキュ、そう言ってくれて嬉しい。
だけど、あまりそう言う事を言い過ぎるとなぁ……」
今回のように『命を食べる』と言う問題は、昔からずっと争われてきたもの。何千年経っても正確な答えが導き出せない以上はこの時間だけで正確な答えが導き出せるわけが無いし、一人が納得してもそれに納得しない人は数多いだろう。だからこそ、他人の意見をそのまま信じきるのではなく、自分の中でしっかりとした考えをつくり、それに嘘をつかないで欲しい。今のところ、それがたった一つの解決法だろう、と。
どこか先生のようなイケメンさんの言葉は、私の心に大きく響いた。しかしそれは、今までの感動や感銘と言うよりは、どこか不安で、寂しいような気持ちだった。確かに人の意見にばかり左右されるというのは良くないことと言うのは分かる。でも、今までずっと私を導いてくれたイケメンさんから、自分を頼りにしないで欲しいという意見を聞いてしまうと、頭の中に最悪の未来がちらりと覗いてしまうのだ。
イケメンさんが、私の元から永遠に離れてしまう、と言う。
「……お、おい!どうしたんだよ急に……」
気づいたとき、私はイケメンさんの体に抱きついていた。ずっと離れないで欲しい、私の傍にいて欲しい、その願いを体が正直に表してしまったのだろう。自分がしていることに気づいた私もあっという間に顔を真っ赤にし、意外に大胆なところがあるんだな、と愉快そうな笑顔のイケメンさんに頭を撫でられてしまった。
ようやく落ち着いた私は、先程のイケメンさんの忠告に、自分の意見を返した。頭の中で考え、自分の中で結論付けた内容だ。
イケメンさんの話を全面的に信じる、と言うのも、私自身の考えとして認めてくれるのか、と。
「勿論さ!」
明るい声が、私の耳に返ってきた。
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私の心を安らかにさせてくれるその声を頭の中で思い返していると、カレーが完成した、と言うお母さんの声が聞こえてきた。思い出に浸るのは一旦中止、私はほんの少し先にある未来を堪能する事にした。
「「「いただきまーす!」」」
家族3人が揃って、目の前の食事に手をつける前に挨拶をする。何気ないこのやり取りだけど、その中にはとてつもなく大きな感謝の意志が秘められている。今日のデートの中で、イケメンさんから教えられ、私の考えとして認識した言葉だ。
お母さんの特製のカレーの中には、人参やジャガイモ、ブロッコリーなどの野菜、ホタテやエビ、イカなどの魚介類がふんだんに含まれている。今日は鶏や牛、そしてブタなどの肉は含まれていなかったけれど、これらの動物たちと同様、カレーの中にはたくさんの命の糧が眠っている。それらは全て、私たち家族に与えられた『恩』なのかもしれない。そして、それらに感謝の意図を示すのは――。
「『いただきます』って、凄い言葉だよね……」
ふと出た私の言葉を聞いたお父さんとお母さんは笑いながらも話に乗ってくれた。からかい半分の笑顔だったというお父さんはお母さんに注意されてしまったけれど、しっかりと理由を聞いた後はお父さんも納得し、気になる話をしてくれた。
最近、お父さんの通う会社で『いただきます』と言う言葉を言わない人がちらほらいると言う。一度何故挨拶をしないのか、と尋ねたところ、その人からはこんな答えが返ってきたというのだ。自分たちは金を払って美味しいご飯を食べている『お客様』、わざわざ挨拶をする必要はないんじゃないのか、と。
「まぁ、そんな考えの人がいるの……酷いわねぇ」
「でも、あまり強く言うと考えを強制してしまう訳だからな……」
イケメンさんと同じ言葉を、お父さんも言っていた。相手がそう思う以上、深追いすることは出来ない。意見を強制的に相手に押し付けてしまうと、礼儀でも何でもなくなってしまう、はっきりとした考えをお父さんは示していた。そして、それも踏まえたうえで、私は両親から褒められた。
「ちゃんと自分の考えを持つのはいいことだと思うぞ」
「ほんとほんと。ちなみに、お母さんも同じ意見だからね」
ちょうどその時、食卓から見えるテレビに映されていたニュース番組で、まさに今の私たちの夕食時の話題を知っているかのような内容が流され始めた。海外で、野菜のみを食べるという所謂『ベジタリアン』が増えている、と言うものだ。野菜は健康にも美容にも良いと言う事もあるが、それ以上に動物を食べるのは可哀想だ、申し訳ない、と言う事で、肉を口にしない人が多くなっているらしい。確かにそういう人たちの気持ちも、私はとても分かる。きっと一緒に飼育小屋を訪れているクラスメイトも、同じように動物を食べることに躊躇する思いを抱いているだろう。
でも、その後にニュース番組で流されたのは、それらによって困っている人たちの内容だった。
野菜を食べるのは、確かに健康に非常に良い。でも、野菜「だけ」になってしまうと、たんぱく質など、肉類からたっぷり取ることのできる栄養分を得る事が出来なくなってしまう。そのため、栄養不足で病気になってしまう人がその国では少しづつ増えていると言うのだ。そして、その栄養を補うためにサプリメントを飲んでいる人も多い、と解説者の人はテレビの向こうから私たちに伝えてきた。
「……サプリメントか」
「でも、サプリメントって動物の骨とかも使ってるわよね……」
どんなに嫌がっていても、結局は動物たちを口に入れないと生きていけない。可哀想だけど、地球に生きている以上は仕方が無いことだ、とお父さんは言った。その言葉に頷くお母さんの横で、私はイケメンさんの言葉をもう一度思い返した。動物を食べる食べないは、遥か昔からずっと続いていた人間の疑問、そう簡単に答えは導き出せない。だから、自分の中でしっかりとした考えを持つ必要がある、それが現時点でたった一つの解決法――。
「お、お母さん……」
「ん、どうしたの?」
つい口に出てしまった言葉にお母さんが反応した。本当はここで言うつもりは無かったけれど、偶然生まれたこのチャンスを活かさないわけにはいかない。私ははっきりと、両親に自分の意志を伝えた。豚肉を使った料理をしても、自分は大丈夫。しっかりと『いただきます』『ごちそうさま』と言う、ブタたちからの恩を感謝する言葉を伝えるから、と。
お母さんからの返事は、了承の言葉だった。やはり、私が気にしているかどうか、とても不安だったらしい。でも、こうやってはっきりと意見を伝えてくれた事に、もう一度私は感謝されてしまった。ちょっと大げさすぎる、と一瞬思ってしまったけれど、今までずっと私が学校で受けてきたことを必死に隠し続けていたのを考えると、お父さんやお母さんがこのような反応をするのも、仕方ないかもしれない。
そして、家族3人の食事は終わった。
勿論、締めの言葉は一緒に声を合わせての『ごちそうさま』だった。
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