第4章 イケメンさんとテスト・後
第17話
「あ、おはよう」
「お、おはよう……」
少し早めに学校に来て教室に入った私に、挨拶の声が届いた。私の近くの席にいるクラスメイトだ。少し緊張してしまったけれど、私もしっかりと挨拶を返すことが出来た。
例の女子生徒たちが風邪をひいて学校を欠席した数日間を境に、クラスの中の空気も少しづつ変わり始めていた。
今までずっとクラスメイトは私を見ても話しかけることは無く、授業中など仕方が無いとき以外は私に近づくことすらなかった。その原因はたった一つ、彼女たちが行っているいじめの対象に自分が巻き込まれてしまうのを避けようとしていたからだ。彼女が標的としている『ブタ子』と馴れ馴れしく接しでもすれば、あっという間に同じ扱いにされ、悲惨な苛めの被害者になってしまう。自分の身を守るために、ずっと見てみぬ振りをし続けてきたのだろう。
でも、ほんの少しだけれど、あの日を境にクラスの皆が私に色々な話を持ちかけるようになっていた。
「テストどうだった?」
「う、うん……どうかな……」
何気ない会話だけれど、クラスメイトはこの私を話の輪に入れてくれた。正直に少しだけ自信はあると答えると、クラスメイトはこう返した。頭が良いから、きっと大丈夫だよ、と。
自分で言うのもあれだけれど、先生によってはテストを返すとき、点数が良かった人の名前を挙がる時があった。その時に、私の名前がよく紹介されていた。ただ毎回例の女子生徒たちも名前が挙がり、授業が終わる度に私よりも高い点数を見せびらかしては楽しんでいた。どうせブタ子はいくら練習してもブタ子のままだ、とずっと私は自分を卑下させられ続けてきたという訳だ。
でも、見てくれる人はしっかりと見てくれていた。このクラスメイトのように。
ありがとう、と返事をした直後だった。
「あー、今日朝練の調子良くなかったねー」
「体がまだ鈍ってる感じ……って、ブタ子じゃーん、おはよー♪」
楽しい時間は、終わりを迎えてしまった。
あの女子生徒たちの恐ろしさはクラスメイトもしっかり承知していたようで、すぐに私から目を反らし、見て見ぬ振りを決め込んでしまった。そして残された私――太った内気な眼鏡の『ブタ子』――は、今日も女子生徒の標的にされ始めた。
「ブタ子ー、テストどうだったー?」
「間違えて食べたりなんかしてないよねー」
「あはは、ブタって何でも食べるから不安だよねー♪」
だけど、私はクラスメイトの行動を憎んだり恨んだりする気持ちは起きなかった。
私の状況のように見てみぬ振りが苛めを助長させるなんて言う話はよく聞くし、そのような例は数え切れないほどある。でも、もし私が彼女――話しかけてくれたクラスメイトの女子――の立場になったとしたら、きっと小心者の私は同じ事をしていただろう。たった一人の生徒が誰かのを止めようと動き出しても、すぐに標的が自分に回ってくる事くらい予想できてしまうからだ。私と同じような酷い目に遭う人も、動物も、そしてブタさんも、一切見たくなかった。
やがて他のクラスメイトも教室に集まり、朝のホームルーム開始のチャイムが鳴った。
今朝の先生の話題のメインは、やはりテストの返却についてだった。今日辺りからいくつかの教科の採点が終わり、戻ってくると言うのだ。でも、先生はそれとは別に重大な事を話し始めた。
「最近、不審者がこの辺りをうろついているようです。
みんなも聞いたかもしれないけれど……」
怪しい中年の男が、学校の近くをうろついていたのが目撃されたと言う話らしい。私も少し前にお母さんから注意するように伝えられていたけれど、何度聞いても明らかに不審すぎる姿だ。場合によっては集団登校もあるかもしれない、だから登下校の際は十分注意して欲しい、と先生は言った。誰かと一緒に帰るのが一番だ、と私にお構い無しの言葉も加えながら。
案の定、女子生徒たちは私にこの話をしつこく持ちかけてきた。
「ブタ子は大丈夫だよねー」
「うんうん、こんなブタ、誰が襲う?」
「食べても不味そうだもんね、あはは♪」
いつも通りの光景、いつも通りの笑い声、そしていつも通りの『ブタ子』。例えクラスメイトが私に近づき始めたとしても、そこには厚く、越えることの出来ない壁がそびえ立ち続けていた。
でも、その巨大な壁が、よりにもよって今日から崩れ落ち始める事になったとは、誰も考えていなかっただろう。
「それじゃ、この間のテスト返すぞー」
1時間目の授業の前に、先生は私たち生徒にこう言った。とうとうあの時のテストが戻ってくるのだ。一瞬ざわついた教室だがすぐに静まり返り、名前を呼ばれた生徒は軽く返事をしつつ先生の元に向かい、勉強の成果を得点と言う形でまざまざと見せ付けられた。やはりあの女子生徒は成績が良いと先生に褒められていたが、一方で成績が悪いせいで先生に注意されてしまう人もいた。
もしそのような事になっていたらどうしよう、そう考えていたとき、先生が私の名前を呼んだ。緊張のあまり声が小さくなってしまったけれど、足を引っ掛けられたりなどをされる事無く、私は教卓のそばへ向かうことが出来た。そして、回答用紙を受け取った私の顔をしっかり見つめながら先生は言った。
「お前、よく頑張ったな!凄いぞ」
途端に教室が再びざわついたのが分かった。突然褒められたことで恥ずかしくなってしまった私は、慌てたように自分の席へ戻った。
でも、先生の言葉は本当に正しかった。
「ブタ子、点数どれくらいだったー?」
テストの回答をメインに行った授業が終わると、例によって女子生徒は私の周りに集まり、からかいの道具にしようとしていた。先生に褒められたとは言え、どうせ自分たちより下に決まっているだろう、という言葉を聞いた私は、とっさに自分の回答用紙を隠そうとしたが、無駄な徒労に終わってしまい、すぐに取り上げられてしまった。彼女たちはそのまま思いっきり笑い飛ばそうとしたのかもしれない。
でも、彼女たちに広がったのは、愕然とした表情だった。
「う……嘘!?」
「ブタ子!あんたいつカンニングしたの!?」
そんな事なんてしていない、と言う私の言葉は、嫉妬に燃える女子生徒の罵声にかき消されてしまった。
幸い、すぐに再びチャイムが鳴り、2時間目の授業が始まった。苛立ちを抑え切れなかったのか、彼女たちは自分の椅子を乱暴に引き、大きな音を立てて座り込んだ。
そして私の手元には、しわくちゃになってしまった回答用紙が残された。クラスどころか学年でたった一人と言う、ギリギリ90点台の得点が書かれた一枚の紙が……。
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