第15話
「こんにちは、ブタさん」
今日も授業が終わり、飼育小屋の当番は私に全て託された。いつもの事だと気にしないまま、たった一人で動物たちに餌をやり、中に溜まった様々なゴミを取り除いた。そして、最後に残った仕事として、私はこの学校で飼育されている一番大きな動物である『ブタさん』の元を訪れた。
先生から貰った野菜を、ブタさんはその日も美味しそうに頬張っていた。普段ならそこで満足そうに一声鳴き、そこからくつろぎの姿勢に入るのだが、今日は違った。たっぷりとご飯を食べた後なのに、ブタさんはじっと私の顔を見つめ続けていたのだ。ご飯が足りなかったのかな、と私は一瞬思ったけれど、どうもそれとは違うということが少しづつ分かってきた。そのつぶらな瞳から、まるで私の事を気遣ってくれるような視線を投げかけられている、そんな気がしたのだ。
「……やっぱり、分かっちゃうんだね」
頭の良い動物の一員であるブタさんに、私は自分の心が見抜かれてしまったように感じた。
明日、私たちのクラスはテスト本番を迎える。今までの勉強の成果を全て活かし、先生が作った問題を解いて自分の努力の結晶を作り出すのだ。全然勉強しなければ、当然その結晶の形は歪で崩れやすいものになってしまう。でも、今の私は頑張ってその結晶をとても綺麗で頑丈なものに仕上げたかった。大学の教授になる、と言う夢に近づくための第一歩を、華やかな形で踏み出したかったのだ。
でも、いくら勉強を続け、完璧な状態を得たとしても心配と言うのはどうしても心に出てしまうものだ。
「気分転換で来たのに、緊張しちゃうなんて……」
大好きなブタさんや動物たちの目の前なのに、やっぱり私は駄目だな、と呟いた時、ブタさんが今までに聞いた事の無い声で鳴いた。普段の優しい声とは違う、鋭く何かを否定するように心に響く声だった。それはまるで、ネガティブな気分に沈み込みかけた私を救うように聞こえた。
「……そうだよね、頑張らないとね」
傍目から見ると、ブタさんの声や仕草を私が都合よく感じ取っているようにも見えたかもしれない。確かに、いくら頭が良いといってもブタさんは人間の言葉は話せないし、私も相手がどういう気分なのか正確にはわからなかった。それでも、私には目の前にいる桃色の肌を持つ大きな動物が、落ち込みそうな心を支えてくれる大事な存在に思えていた。
『ブタさん』、そしてイケメンさんが、私が『ブタ子』から変わるきっかけを作ってくれたのだから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、次の日。
「それでは、テストを始めます」
担当の先生の声を合図に、教室の中は一斉にシャープペンシルや鉛筆の音で埋め尽くされた。
テストの前の休憩時間は、もう少しで本番と言うことで、例の女子生徒たちも私に直接向かったり話しかけたりすることはせず、自分の席に座ったり友人の席に集まったりしながら勉強を続けていた。ただ、それでも時々ちらりと私のほうを見ながら、友人が集まっている様子が一人ぼっちの私と比べてどんなに幸せか、見せびらかすような嘲りの笑みを何度も浮かべていた。
ただ、私の方はそのようなことに構っている状態ではなかった。ブタさんにもイケメンさんにも励まされたのに、本番が近くなったせいでどうしても緊張してしまい、必死になって教科書やノートを見返し続けたからだ。今まで勉強した成果を本当に出せるのかと言う不安な気持ちがぬぐえないまま、私はテストに臨むことになった。
それからの時間は、私にとってはまさに永遠とも、はたまた一瞬とも感じてしまいそうなものだった。
プリントに書かれた問題を必死になって解き続ける中で、私の中から時間の感覚が消えたような気がするほどだった。それほど、今回のテストはこれまでと比べ物にならないほどに集中し続けていたのだ。途中で問題を解き終えても、その後に何度も念を入れて見直しを行い続け、終わりのチャイムか先生の指示が入るまで、ずっと私は目の前の壁に立ち向かい続けていた。
僅かながらの休憩時間も、私にとっては心休まる時ではなかった。今回の結果はどうだったのか、と言う事も心配だったけれど、次は果たして大丈夫なのかと言う不安が、私を勉強に駆り立てていた。
「あれー、ブタ子が勉強してるー♪」
「ブタの癖に必死になって、可愛いよねー」
「何をやっても人間に勝てるわけないのにー♪」
得意科目と言うことからか、例の女子生徒たちは皆でのんびり語り合いながら、敢えて私に聞こえるように悪口を言い続けていた。でも、その言葉が耳に障ったのは標的になった私ではなく、その周りで真面目に勉強をしていた、別のクラスメイトたちだったようだ。彼らから冷たく鋭い視線を一身に浴びてしまった彼女たちは、不満そうな顔をしながらすごすごと席に戻り、つまらなさそうに次のテスト科目の教科書に目を通していた。
今までずっといじめに巻き込まれることを恐れ、見て見ぬ振りを続けていたであろう私のクラスメイトたちが、少しづつ彼女たちへの不満の感情を露にし始めていたことに、私はまだ気づいていなかったのかもしれない。
そして、再び永遠にも一瞬にも感じるテスト本番の時間が、私たちを過ぎていった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ただいま……」
家に帰ってきた私に、お母さんはいつもより元気が無いような声だ、と言った。テストの結果が良くなかったのか、と言うお母さんの推測に、私は否定の意味をこめて首を横に振った。
正直に言うと、私は今回のテストに今までに無いような気持ちを感じていた。問題用紙へ必死に書き記し、何度も念を入れて見直しを行った回答に、妙な自信を得ていたのだ。単語で表すと、『手応え』と言うものなのかもしれない。でも、逆に私はその感触が怖かった。まるで足が宙に浮きそうな気持ちになっていることが、逆に恐ろしいことが起きないだろうか、と言う不安の気持ちに変わってしまったのである。
「多分……出来たかもしれないし、出来なかったかもしれない」
その気持ちを言葉に表すと、とても曖昧なものになってしまった。
でも、お母さんはそんな私の気持ちを察してくれたように笑顔を見せてくれた。そして私に言った。
「『成せば成る、成さねば成らぬ』よ。
今までたっぷり頑張ったんでしょ?だったら結果は良い事に決まってるわよ」
最初、私はその励ましの言葉を素直に受け取ることが出来なかった。本当にそんな結果になるのか、途中で失敗していたらどうしよう、そんな下向きな意見を言ってしまった私を、お母さんはもう一度励ましてくれた。過去の事を直すなんて、タイムマシンでもない限りは無理。でも、失敗を未来で償うことは出来る、と。
「まだまだ若いんだから、失敗したら何度でもリベンジすればいいのよ」
その言葉を聞いた私の脳内で、少し前の光景が再生され始めた。
イケメンさんに後押しされる形で、事務の先生に相談したときも、私は同じように失敗を恐れる言葉を言ってしまった。その時、先生は自信の昔話を題材に、私を励ましてくれた。一度失敗をしたときは、それを悔やむよりも、失敗を繰り返さないようにたっぷりと勉強をし続ければ、挽回することが出来る、と。そしてその時に先生はお母さんと一緒の事を言っていた。
君はまだ若い、焦る必要は無い、と。
「……ありがとう、お母さん」
私の口から、自然にお母さんへの感謝の言葉が漏れた。
確かに『ブタ子』だった私をここまで変えてくれたのは、ブタさんやイケメンさんの力も大きい。でも、事務の先生やお父さん、お母さんといった協力者がいてこそ、今の私がいる。その事を改めて感じていた時には、今回のテストの結果への不安はすっかり吹き飛んでしまっていた。
そして、ここで塞ぎこんでばかりはいられない理由がもう一つあった。テストが行われるのは今日だけではない、明日に行われる教科もいくつかあるのだ。すぐに荷物を片付け、服を着替えた後、私は再び自分の部屋で教科書やノートの見直しに没頭し始めた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます