第6話
大きくなったら、大好きな生き物を研究する大学教授になる。
そんな夢を見つけてからと言うもの、私は学校での勉強に熱が入り始めた。今までも学校の授業が終わったら予習や復習をして、家に帰ったら真面目に宿題をやったりしていたけど、それは自分が『ブタ子』であるということから逃げるため、闇雲に目の前の教材に取り組んでいたものだった。目標も何も無く、様々な公式や文章をわらを掴むように握っていただけだったのかもしれない。
でも、あの日を境に私は変わった。教科書の内容が、まるで私の中に色々な知識を語りかけるようにどんどん入ってくるようになったのだ。
「あー、ブタ子が勉強してるー♪」
「うわキモっ!ブタが人間に近づくなんてー♪」
いつもの通り、休憩時間になると同じクラスの女子生徒の集団が私のことをからかい続けていた。でも、不思議なことにいくら悪口を言われてもそれが頭の中にこびりつくことは無かった。右耳から入ったからかいの言葉や悪口は、左の耳からあっという間に抜け出ていった。そして頭の中に残るのは、目の前にある教科書やノートに書かれた今日の授業の内容や、図書館で借りた生き物の本の中身だけだった。
「おいブタ子、無視するなっつーの!」
「人間様が命令しようとしてるんだよ!」
私が全然相手をしないことに気づいた女子生徒たちが、次第に苛立ちの言葉を投げかけてきた。それでも私のほうはそちらの悪口が全く耳に入らなくなっていた。多分そのまま相手は私の元に近づいて、一発殴るか蹴るかをしたかったらしい。ただ、その時にタイミング良く次の授業のチャイムが鳴り、私は何とか耐え抜くことができた。
「ちっ……覚えてなさい、ブタ子」
捨て台詞を残したまま、女子生徒たちも席に戻って行った。私よりも遠い場所なので、幸い授業中に色々ちょっかいを出されることも無かった。
でも、その次の日、私を待っていたのは、もっと酷い方法のいじめだった。
授業の間にあるほんの僅かな休憩時間に私は少しだけ席を外し、教室の近くにある女子トイレに向かった。そして用を済ませて帰ってきたとき、机の上においてあったはずのものが、その姿を変えてしまっていた。
「え……」
そこにあったのは、つい数分前までちゃんとした『ノート』だった。授業の内容をしっかりと書き留め、テストや今後の授業のために勉強するために重要なアイテムだった。でも、そのときの私の目に飛び込んできたのは、誰かの手によってボロボロに破れ、引き裂かれ、机の上に散らばっていた紙くずだけだった。僅かに残ったノートの欠片も、ブタの顔のような、正直言ってかなり下手な絵が描かれ、そこにはこんな言葉が記されていた。
『ブ タ 子 専 用 餌』
一体誰がこんなことをやったのか、言われなくても私は分かっていた。張本人たちは私が涙を潤ませながら見つめるのを知ってくすくす笑っていた。他のクラスメイトは、それを見て全員とも知らない振りを決め込んでいた。仕方ないかもしれない、私の味方をしただけで、自分もこのようないじめの対象になることを、あの女子生徒は体で示したからだ。
結局、私は今回も彼女の仕打ちに屈するしかなかった。
でも幸いなことに、授業で絶対に必要になる『教科書』だけは何の被害も受けず、机の中に入っていた。
無くなったものは、また取り戻せる。ノートが無くても、教科書とちゃんとした勉強の方法があれば、しっかりとその分は挽回できる。あの時、事務の先生から聞き、図書館のイケメンさんに励まされた言葉を、私は少しずつ思い出していた。
「……うん、そうだよね……」
そして、私は再び立ち上がった。心の中にある夢――大学教授になって、色々な生き物をいっぱい研究する――が、私にとって大きな原動力になっていった。
長い休憩の間は学校の図書室で色々な生き物の本を読み、家では復習や宿題をこなしたり借りてきた本を読み直す。日が経つにつれ、それらの中身が今までよりもずっと分かりやすく感じるようになってきた。今まで引っかかっていた文章や公式、そして専門用語も、少し考える時間があればおおまかに理解することができるようになってきたのだ。『夢』を持たなかった頃には味わうことのできなかった話かもしれない。
「へぇ、だいぶすらすらと……」
「そ、そうなんです……どんどん色々なことが分かってきて……」
そして、図書館に行く度にイケメンさんと会う事もお馴染みになってきた。私の身の上話を楽しそうに聞いては、彼はいつも優しく美しい笑顔を見せてくれた。
「いいなー、俺なんてそう言うことすら無かったから」
「そう……なんですか?」
「まぁなー、君みたいな努力家じゃないし」
そんなこと無いですよ、とつい否定の言葉が出てしまったが、私はイケメンさんの励ましがとても嬉しかった。学校でどんな酷い目に遭っても、彼に会えばそのような事はすぐに忘れてしまうほどだったかもしれない。
だけどそのせいだろうか、私はどうしてもイケメンさんに、自分が学校で受けている仕打ちを相談することは出来なかった。その笑顔を崩したくない、と言う思いもあったかもしれないし、こうやって楽しくお喋りする時間に、そんな暗い話題を持ち込みたくない、と決め込んでいたからかもしれない。それほど、私にとってこの時間は特別だった。
でも、そんな甘い考えは、現実の前では通用しなかった。
この時の私はまだ気づいていなかった。女子生徒たちから私への憎悪の目が、より鋭くなっていたことを。
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