幕間 サナトリウムの焦燥
——何人もの人間を、この手で殺してきた。
だから、自分が死ぬときは間違いなく、地獄へ行くと思っていた。
……いや、本当は天国や地獄などといった所謂『死後の世界』があるなんて俺は信じてなどいなかった。
しかし、それでも、俺は地獄へ行かなければいけないと思っていたのだ。
誰かが座らなければいけない椅子がそこにはあって、
いつかそこにお前が座るのだと、そう教えられて生きてきた。
俺は、なんの疑問も抱かず、その世界一醜い椅子取りゲームに興じていた。
そして勝ち取った頃には、周りには誰もいなくなっていた。
その先に待っていたのは————、
…………いや、何も待ってなどいなかったのだ。
電子音、白い壁、そして死。
そこはそれらで満たされていて、それ以外、何もなかった。
俺は日々1人、また1人と、人間の命を奪っていく。
自分の両手を切り落としてしまいたいと、何度も思った。
努力はした、できる事だって、例えできない事だってしようとした。
膨大な時間を費やして得た知識も、技術も、
それらがどれだけ束になろうと、
結局、いつも届かなかった。
——もしも魔法が使えれば、
そんな馬鹿らしい事を考えてないと自分が保てなかった。
————————————————————————————————
目の前には、青い髪の女が立っていた。いや、浮いていた。
「…………は?」
「私の名は、女神ジエル」
その空間には何もなかった。文字通り、何も。
——壁すらも。
どれだけ目を凝らしても果ては見えず、俺とジエルと名乗るその女だけが、その空間の全てだった。
「……………………」
「あなたは、死にました」
何を言っているのか、全く理解ができなかった。
「戸惑うのも無理はありません。あなたは過労による急死でしたので、その自覚が著しく欠けていると判断します」
「…………俺が、死んだ?」
「はい」
「……なら、ここは死後の世界ってか」
そんなアホな話あるか、どうせ夢だ。
「あなた方のいう死後の世界とは少し違うものですけど、……まあこの空間に特に意味はないので、どうぞお好きなように解釈していただいてかまいません」
その女の声は冷たく、確かに音として発せられそして会話をしているはずなのにまるでコピー用紙に印刷された文字を読んでいるような気分になる。
「俺は、どうなるんだ」
「あなたには、今から異世界へ転生してもらいます」
「……は?」
「そこで第二の人生を歩んでいただきます」
流石に、その返しは想定していなかった。
「ちょ、ちょっとまってくれ、異世界ってなんだ」
「残念ながらその質問に答える時間はもう残されてはいません」
「お、おい!!!」
「——どうか、あなたに————」
目の前の景色が暗転していく。
「幸運が————ありますよ——う————に——————」
————————————————————————————————
目を覚ましたのは、見知らぬ森の中だった。
そこには排気ガスの匂いもエンジンの音も雑踏も何一つ存在せず、存在する樹木も全く身に覚えのないもので、すぐに元いた世界とは全く別の所なのだと理解した。
「グルルル……」
ふいに背後から、人間のものではない唸り声が聞こえた。
振り返ると、俺の体長とそう大差ない犬……いや、おそらくこれは犬ではないのだろう。大きな狼のような生物が、そこにはいた。
「グギャバァ……!!」
思考する暇さえ与えずそいつは飛びかかってくる。間一髪のとこで避けるが、まるで猛獣のような大きなその爪によって二の腕を裂かれる。
「ぐ、ああぁ……っ!」
痛い。痛い。痛い。痛い。
まるで肌が灼かれたような信じられないほどの激痛が走る。
こりゃ夢じゃないな、と俺はどこか他人事のように思っていた。
死んだら異世界に飛ばされる。『異世界転生』
流石の俺でも知っている。俺の担当患者だった1人の少年が毎日病室で読んでいた大きな分厚い小説がそんな内容なのだと聞いていた。それが流行っているということも。
死んだら天国よりも異世界に行きたいと、その少年は笑顔で、そう言っていた。
まさか本気ではないのだろうが、自分の命がもうすぐ燃え尽きるというのに、その少年はその物語を読んで笑っていた。
その世界では、魔法が使えて、勇者にもなれて、そして何より夢があるのだと。
少年がのぞみ望んだ異世界転生は何故か願ってもなかった俺に起きて、そして今まさに終わろうとしている。
それなのに、俺はまさかこんな獣の餌になるためだけに、異世界に転生したのか。
「は、はは……」
現実を受け止めきれずに乾いた笑いを出すしかない。
「《ケルー》!」
呪文のような人間の声が森に響いた瞬間、俺に飛びかかってきていた獣が突然後ろに吹き飛ばされる。
「あなた、大丈夫?!」
女性の声が背後から響く。
しかし、俺の意識はそこで途切れる。
見知らぬ木製の天井だった。
「目、醒めた?」
えらい美人がそこにはいた。
透き通るような金色の髪、吸い込まれそうな大きな目。
白を基調とした修道服を来ていて、まるで天使のようにも見えた。
歳はざっとみて20代だろうか。
「…………」
言葉が出てこなかった。
「……やっぱりまだ意識が混濁しているのかしら。安静にしていてね」
返答のない姿を見てそう判断したのか俺の寝ているベッドから彼女が離れようとする。
「……ま、まって、くれ」
どうにか俺は声を出し、彼女を呼び止める。
「ん? どうしたの?」
「君が、……助けてくれたの、か?」
「ええ。いきなり森で魔物に襲われている人を見捨てるほど、私は非道にはなれないわ」
笑いながら、彼女は答える。
「えっと、その、あり、がとう……」
「どういたしまして、気分はどう?」
「あ、ああ、大丈夫だ…………ん?」
記憶が正しければ俺は致命傷になりかねない傷を負ったはずなのに、腕が少しも痛くない。
「……なんだこれ」
シャツの袖は見るも無残に裂かれているが、その下の肌には傷ひとつない。縫ったようなあとさえも。
「…………やっぱり、あなたはあっちの世界の人だったのね」
俺の反応を見て彼女は納得したように言う。
「え?」
「安心して。この街にいれば安全……って、そこらへんの事情もわかってなかったりする?」
何を言っているのか、全く理解できず俺が答えられずにいると、懇切丁寧に今俺が置かれているであろう状況を説明してくれた。
この世界は異世界からの転生者が後を立たずそのせいで生活が脅かされていて、それに見かねた王都が異世界転生者を駆除して回っている。つまり異世界から来た人間は皆お尋ね者なこと。
この街は、その乱暴な政策が納得できない人たちが暮らしていて。そしてやがて転生者を匿う街になったこと。
そして、彼女、パームはこの街の
「それは、随分世話になってしまったみたいだな」
「困った時はお互い様。気にしないで」
「……これは魔法なのか?」
俺は二の腕を見ながら尋ねる。
「え? ああそう……、ね」
どこか歯切れが悪そうにパームが答える。
「すごいな……魔法ってのは」
「…………そんなこと、ない。運が良かっただけ」
「そんなことないぞ。俺はあっちの世界で医者だったんだがこんな綺麗に傷を————」
「————そ、それは本当!?!?!?!?」
今まで物静かだった彼女がいきなり身を乗り出してくる。
目と鼻の先に彼女の顔があり、とてもいい匂いがした。……じゃなくて!
「ちょ、ちょっとまて! いきなりどうしたんだ」
「ご、ごめんなさい……。イシャ、というものの噂は転生者のみんなから聞いていて……、とても憧れていたというか、一度会ってみたかったの」
「な、なんでまた……、魔法が使えたらなんでもできるんだからそんなものに憧れる余地なんか……」
「……やっぱり、あなたも同じことを言うのね……えっと、」
そこでやっと自分が名乗っていないことに気づく。
「俺は来須だ。
「クルスさん……魔法は、何も万能なんかじゃないの。魔法には人間を『治す』ことはできない。治すのはあくまでその人のそもそもの生命力で、魔法はそれを増幅させてるにしか過ぎないの。治癒魔法なんて呼ばれ方をされてても、そんなものただの手助けに過ぎない。あなた、自分がどれくらい眠っていたと思う?」
「……1日、とかか?」
彼女は無言で首を振る。
「一週間、あなたは眠り続けてたの」
「……一週間、だと?」
「私の使える魔法では、それが限界なの。……ううん、他の治癒師も大体はそんなもの。あくまで傷を塞いでるのはあなたの生命力だから」
……なるほど。魔法は俺たちが思っているほど、万能ではないと言うことか。
「怪我をした人たちを診てると転生者のみんなは何故か一瞬で傷が塞がったりすると思い込んでて、私はその期待には答えられなくて……重症だとまず助からないし」
そりゃそうか。そんな夢みたいなこと、異世界でも無理なものは無理だ。
「イシャって、魔法も使わずに傷を塞いだり、病気を消したりするんでしょう? だから、本当にすごいなぁって」
——でも、
「……やっぱりそんなことないと、俺は思う」
「え?」
「確かに、俺たち医者は魔法に頼らずに人を治しているのかもしれない。俺たちの世界では魔法がなかったからこそ、自分たちの生き延びる術を模索してきた」
「やっぱり、それはすごいことよ」
「でもな、それでもどうしようもないことだってあるんだよ」
そうだ、いつだって救うことも出来ず、至らなかった。
「魔法は手助けをしているだけだとお前は言っているが、実のところそれが一番俺たちにとっては難しいんだよ。……いくら身体にメスを入れても、傷を縫い合わせても、薬を投与しても、最善を尽くしても、それを繰り返せば繰り返すほど、心が疲弊して、そして身体が弱まって、そして、最後には手の施しようがなくなるんだ。それはもう本人にすらどうしようも出来なくて…………俺は、何人もの人間を、殺してきた」
俺の話をまばたきもせずに聞いてくれているパーム。
「だから、やっぱり魔法は素晴らしいものだと思う」
「……そんなこと言わないで」
「い、いや、俺は心からそう思って」
「そうじゃなくて」
——俺は生涯、この瞬間を忘れることはないだろう。
「私もずっとずっと、同じようなことを考えていた。何人も自分の力不足で目の前で死んでいくのを見てきた。……でも今あなたに出会えて、確信した」
この人に会うために、俺はこの世界に生まれなおしたのだと、——確信した。
「あなたは人を殺してなんか、いない」
この人は、多くの人を救ってきたのだろう。そんなの手に取るようにわかってしまう。
「あなたは人を救えなかったのではない、ましてや至らなかったのではない」
その優しさで、俺が今まさに救われたのだから。
——パームは、俺の顔をまっすぐみて、
「あなたは、ただ、"戦い続けた"だけ。勝ち目のない戦いでも、逃げることさえ選ばず、ただそこに立ち続けたの」
そう、言い切った。
「やっぱり、それはとてもとても、偉大なことだと、私は思う」
「…………は、はは……」
笑うしかなかった。
そうでもしないと、すぐにでも泣き崩れてしまいそうだったから。
「そんな人の何が至らないものですか! 何が救えないものですか! ——そんなわけ、ないでしょう!!」
この言葉に出会うために、俺は何年も戦ってきて、
「馬鹿なこといわないで!!!!」
そして、この言葉のために戦い続けられるんだ。
「……なあ、パーム」
「……へ? な、なに?」
「俺も、ここで働かせてくれないか」
彼女は一瞬、驚いた顔をした後、すぐに笑顔になって、
「何言ってるの……こちらから、お願いしたいぐらいだわ!」
俺の手を取った。
◆◆◆◆◆◆◆
「んん……?」
少女が、目を覚ます。
「ここ、は……?」
また、長い時間がかかってしまった。
でも、間に合った。
「気分は、どう?」
俺の隣で彼女が少女に語りかける。
あの時と同じように。
「え、あ、の……えっと」
自分の置かれている状況がわからず、戸惑っている。
気持ちは痛いほどわかる。俺もそうだったから。
「私は、………………あっ! る、ルビアは!!」
1人では、不可能だっただろう。
たとえ何人いても、簡単ではなかっただろう。
でも、彼女となら、成し遂げられた。
「赤い髪の彼女なら無事だよ、……君のおかげでな」
「そうですか。……よかった」
とりあえず今日1日は安静にするよう言い渡して少女を寝かせる。
「ね、大丈夫って言ったでしょ?」
病室を俺と一緒にでた彼女が得意げに言う。
俺の命の恩人である彼女は、
俺の一番近くで今でも笑っている。
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