7 欠落の日々

「おい、待てって」


 俺は早足で歩くルビアの肩を掴み、動きを止める。


「……なんですか」



「何でそんなこと黙ってたんだよ?」

「何で王女様が危険を冒して戦っているんですか?」


 俺とクリスタがほぼ同時にルビアに言い寄る。


「あぁもう!!!! 一度に質問しないでください! さっきも言った通り、どうでもいいでしょうそんなこと!」


「どうでもいいわけないじゃないですか。だってあなたは一国のお姫様ですよ? しかもこの世界を統べるような大きな国の」


 クリスタがルビアの前に立ちはだかる。



「…………————うのが、」




「……え?」


 こらえるように呟いた言葉はあまりにも小さすぎて俺らの耳には届かない。



「……そういうのが、いやなんですよ!」



 突然の怒号に俺もクリスタも息を飲む。


 ルビアは一瞬後悔したような表情すると、観念したように語り始める。


「……2年前まで、私は城の中が自分の知る全ての世界でした。……いや、城の中どころか、自分に与えられた部屋だけが私の知る世界の殆どでした。物語に出てくる街も海も森も、全ては私の知らない未知の世界でしかなかった」


 おそらくそれは、想像することしかできないが満たされているとは到底言えない日々だったのだろう。


「2年前、15歳になった頃、やっとその軟禁から解放された私が見たもの全ては新しかった。花も木も物語の中にしか存在しない幻だったんですから。そんな風に新しい世界に触れることに歓喜した私は同時に、——触れるべきではないものにすら触れてしまった」


「触れるべきでは、ないもの……」


「……想像はできるんじゃないですか? 娘を15年も軟禁する王が、まともなはずがないと」


「…………」


「小さな村に住んでいたクリスタは知らないかもしれませんが、アステリアが周りの国の人々に何て呼ばれていると思います?」


「え、すごく大きい王国だとしか……」



「……喰街魔都エリアイーター



「エリアイって……え?」


「街を喰らう魔の都、なんて、初めて考えた人はよほどこの国に恨みがあったんでしょうね」


「街を喰らうってどういうことだよ」


「数十年前まで、アステリアは小さな王国だったそうです。それが私の父、今の王が即位した瞬間から一変した。瞬く間のうちに領土を広げ、数年で国土は10倍になった」


「そんな、……そんなことができるなんて考えられない」


「ただし、この世界にはそれができてしまうものが存在します」


「……まさか、」


 俺は、自分の体を、心臓を強く意識する。

 それが強大な奇跡によってこの世界に繋ぎとめられていることを思い出す。


「そうです、それまで、国同士で譲り合い、時には奪い合っていた万象の樹ユグドラシルの実を……いや万象の樹ユグドラシル、そのものをアステリアは独占したんです。


 どんな武器よりも、どんな魔法よりも強力すぎるそれは、その瞬間からアステリアを繁栄させるためだけの道具と化した」


「そんな……、信じられない」


 思わず後ずさりをしながらクリスタがつぶやく。


「どうしてそんなことができたのか、生まれる前でしたし、さっぱりわかりませんが。しかし、まぎれもない事実です。もちろんアステリアは非難された。——しかし、誰も抗うことはできなかった。我が国の後ろ盾はそれほどに甚大過ぎた。その後は、……まあ、想像できますよね。支持率0の大国、アステリアの誕生です」


「…………」


 うまく言葉が出てこない。うまい言葉なんて生前のあの世界でも唱えた記憶などないが、これほどまで自分の口下手を恨んだのは初めてかもしれない。


「どうしました? エータ。私の血筋の汚れに恐れを抱きましたか?」


 ルビアの顔に一瞬湧いた笑み……、それは高揚でも嘲笑でもない、多分、自虐の笑みだった。


「…………でもそれをお前は許されるわけべきことではないと、思っているんだな?」


 彼女はそれを汚れと呼んだ。自分の親を、国を、汚れと呼んだ。


「そうですね。まあ、フェアではないですね。……でも、私はその汚れを滅ぼす力も、癒す力も、浄化する力もありません」


「それは……っ……」


「……だから外来者駆除を行っているんですか?」


 ずっと黙っていたクリスタがようやく口を開く。ルビアはその問いに無言で肯定し、


「私と王が唯一一致する利害はそれだけですからね。私に力などありません。だから強いものに従うしかない。弱いものは、強いものに支配されることが仕事ですから」



ルビアは、自分の父親であるはずの男を「王」と呼ぶ。



「…………」


 どれだけ思考を回転させても言葉は出てこない。


「さあ、無駄話は終わりです。日が暮れてしまいますのでさっさと用事を済ませますよ」


 俺は、勝手にルビアが血筋を隠すことを、照れの一種だと勘違いしていた。でもそれは大いなる間違いでしかなく、そして現実はあまりにも無情だった。


「……でも、……さ」


「……無駄話は終わりと言ったはずです。口を動かすよりも先に足を動かしてください」


 発言を止められた。でも俺は心の奥底でそれに安堵する。語彙も気遣いも、そして知識も、自分にはなにもかも足りなかった。


 気まずい雰囲気は続いたまま、俺たちの歩みばかりは続く。



「ああもう! だからこんな話をするのは嫌だったんですよ。エータもクリスタも、普通にしてください!」


「そんなことをいっても……」


 クリスタが弱々しく言葉を漏らす。


「だからこれは私の問題であり、そして私の罪です。あなた方がどうこう思うべき事柄ではありません、私たちは、そこまで互いを尊重しあい、そして保護しあうような間柄ではないはずですが」


 冷たく、まるで、俺の命を奪い取ろうとしたあの時のような冷淡な言葉を吐く。


「…………」


 クリスタは再び黙る。だが、




「——じゃあ、いつか、……いつかお前と俺たちが”そんな間柄”になれた日が来たとしたら、その時は、俺たちが口を出していいんだな」




「…………」



 ルビアは、俺の予想外の発言に驚きを隠せず、表情を崩す。


「……………………………………そうですね」


 長い沈黙の後、答える。


「……全く、これっぽっちも、微塵も、想像ができませんが、そんな時が来たとしたら、……私は抗うことなどできないでしょうね」


「じゃあ、とりあえずまあ、今はこの話は終わらせてやるよ! な? クリスタ」


「え……? あ、えっと、そうですね……。私、頑張りますね」


「別のことを頑張って欲しいのですが、まあ、とりあえず、今は目先のことを処理してください」


 そういい、先を進んで行くルビアに、戸惑いと、そしてまた少しの別の感情が湧き上がっていることに、その時の俺には到底気づくことなど出来なかった。



「で、結局今はどこに向かっているんだ?」


 やけに広大なその街を延々と歩かされ耐えきれずルビアに尋ねる。


「……私としても誠に不本意ですがアステリア城です。一応エータはこれから城の憲兵あつかいになるので、形式上色々手続きをするためです」


 そういって大きなため息をつくルビア。


「それに、そのみすぼらしい格好をどうにかしないと」


 そういうと半目で俺を見てくるルビア。


 ああ、この俺のジャージの話か……。というかジャージそのものじゃなくてボロボロなことに文句を言っているとしたら、お前がやったんだぞとしかいいようがないんだが……。やべっ、思い出したら鳥肌が……。



「さて、それはそれとして」


 街中を歩いていると、ルビアが再び口を開く。


「私の身の上話もしたのに、未だに何もかも黙っている気ですか、クリスタ」


「…………」


 謎多き少女、クリスタは困り果て俺の方を向く。いや、そんな目で見られても。


「……言いたくもないことは……、その、詮索する必要はないんじゃないか……?」


「そうですね、じゃあ、私も詮索されたくないことはこれ以上詮索してもらわないようにしましょうか」


「えっと、あのその……」


 見るからにクリスタは焦っている。


「そうですか、私たちは信頼する仲間になるのは諦めて、ただの同僚を目指しますか」


 その卑怯すぎる”俺たちの信頼”という人質は、クリスタには、効果はてき面だったらしく、


「…………わかりました。わかりましたってば! 私に分かることは話します」


 めずらしく、やけくそのようにクリスタはそう答えた。


 なんか、ルビアが意地悪をしているみたいだな、いや、事実そうなのかもしれない。



「まず、最初に断っておくと、ルビアが一番知りたがっている私の正体、については私は答えることができません」


「……何故です?」


 俺は背景と化し、2人の会話を聞くのみ。っていうか、なんかおっかなくてこの空気に入っていけねえ。


「それは、私自身、正直わかっていないからです」


「一体どういうことですか」


「少し、語弊がありますけど、簡単に答えるとしたら、——記憶喪失。とでもいいましょうか」


「え……?」


「自分が、何者なのか、わからない、ということですか」


「いえ、私は孤児のクリスタ・ウィズ・フルールド、であることはわかるのです。家名はペリドルさんのをいただきました」


「では、どういう」




「……ある、一定の期間の記憶がないのです」




「一定の期間?」


 おもわず、俺も聞き返す。


「はい、幼少期、読み書きもできないほどのころペリドルさんに拾われ、育てられた記憶はあります。それからしばらく何事もなく日々は続いていくのですが、5年前からから2年前まで、つまり13歳から16歳までの約3年間の記憶が私の中からすっぽり消えているんです。あの万象の樹ユグドラシルの実も、あの呪文ホールディーエントスその空白の時間に手に入れたものらしく……」





「ええええええええええええええええええええ!?!?!?!?!?!?!?!」





「びっくりするじゃないですか、……なんですかエータ」


 突然大声をあげた俺にルビアから非難の声が浴びせられる。


「……あ、いや、ごめん。クリスタって、年上だったのか、とびっくりして……」


「しかもそっちですか……」


「え……? エータ様、年下なんですか……?」


「あなたも! そんなこと本当にどうでもいいでしょ」




「いやそんなことないだろっ!」「そんなことないですっ!」




 ほぼ同時に、俺とクリスタが叫ぶ。


 いや、定説では、クリスタみたいなのは年下ヒロインだろ……。


「はあ……あなたたちは……。いろんな意味で頭が痛くなってきました……とにかくっ! そんなことは置いといてちゃんと説明してください!」


 どうでもいいわけなんかないぞ。いや、そりゃルビアよりは年上に見えると思っていたが、まさか俺よりも年上だったとは……。



 いやああああ、見る目が変っちゃうよおおお!!!!!



「……なぜかひどく傷ついてるエータはほっといて、説明の続きを」


「………………ペリドルさんは何かを知っているようでしたかが、ずっと気にしなくていいと言っていて、結局何も聞けずに……」


「……そうですか」


「13歳の、って言っても拾われた日を誕生日としているだけですが、私の主観的には、13歳になったと思ったら次の瞬間が16歳だった。みたいな感覚です。

 でも、明らかにその3年の積み重ねは存在しているらしく、知識も魔法も成長していて、経験に取り残され記憶だけが消え去っていた。とでもいいましょうか」



「うーん、嘘は、……ついていなそうなので、真実なのでしょうが、それだと疑問は払拭させられませんね。……まあ、もしかしたらいつかひょっこり思い出すかもしれませんし、気長に待ちますか」


「…………すみません」


「いや、いいですよ。ごめんなさい、無理やり聞いたりしてしまって」


「いえ、さすがにそろそろ厳しいな、とはおもっていたので」







「…………で、エータはそろそろ立ち直ったらどうですか……」


 あまりにも衝撃的な事実に俺はそれからしばらく放心状態だった。


 「年上……、お、お姉さん……。ああ……」



「声、届いてないみたいですね……」



「はーーーーーぁ…………」



 誰かの、ながい、ながいため息が漏れる。

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