3 灼落の銃士
人は理解を超えた恐怖に出会うと、それを美しさだと錯覚するらしい。
燃え上がる炎のような赤い髪が揺れ、そしてその飲み込まれそうな黒い瞳は、冷たくも鋭く、真っ直ぐ俺だけを見据えていた。
彼女の周囲にはまるで炎を纏った鳥が飛んでいるように火の粉が舞い、それはこの世のものとは思えないほど、美しかった。まぁ、そもそも俺が元々いた世では、もうないのだけれど。
「まさかこんなところにいるとは、愚か者ですかあなたは」
ついさっきまでの俺だったら、即座にこの場で降伏していたことだろう。
でも今は死ねない理由がある。少なくとも、この子を町まで届けなければならない。恐怖に震える足に鞭打ち、俺は一歩前へ進み、赤髪に近く。
「なあ、少しだけ、俺を殺すのは待ってくれないか、本当に、少しでいいんだ」
そう言い放つ。
「エータ様? ……え? 殺すって……? 一体何が……」
背後では突然の事態を把握できずにいるクリスタが混乱しているようだった。
「…………」
赤髪は感情の読めない顔で少しの間黙って俺を見つめていた。しかし
「……さて、あなたは自分の立場を本当にわかっているのですか?」
そう言うと、不敵に笑い、銃口を俺に向ける。
「猶予なんて、そんなものあなたにはありませんよ。私としたことが、あなた一人に時間をかけすぎてしまいました。もうあなたに残された時間は1秒たりともありません」
覚悟はしていたがまるで話が通じない。そりゃそうだ。俺のことなんか知ったこっちゃないだろう。彼女にとって俺は人間ではなく駆除すべき害虫のようなものなのだから。
それにしても熱い。彼女に近づけば近づくほど、炎に飲み込まれそうになる。
そんな時、背中にいるクリスタが静かに口を開く。
「あの人は……、」
「……クリスタ、あいつを知っているのか?」
「……灼落の銃士」
「え?」
「さっきまで、この町を崩壊させた外来者を追っていた人です」
「やっぱり、か」
こいつがこの事件を引き起こした奴を探していたのだ。
「でも、」
「クリスタ?」
とてもじゃないが背後に振り向ける状況ではない。
赤髪にとって、俺を殺すのは赤子の手をひねるよりも簡単だろう。
「彼女のことは、その前から話で聞いたことがあります。彼女が通った跡は、すべて灼け落ちると言われている悪魔の処刑人と、外来者だけでなく、この世界の住人からも畏怖されている存在」
「……ははっ」
そりゃ、おっかねぇな。そんな恐ろしいやつだったのか、こいつは。はなから勝ち目なんかなさそうだ。
でも、
「……クリスタ、聞きたいことはたくさんあるだろうが。ひとまず、俺の移動速度を極限まで上げてくれないか、あとで全部話す」
お前を町まで送って、そしてそのまま殺されるであろう、その前に。
「…………はい、わかりました」
決心したように俺の背中に触れながらクリスタが呪文を唱えると、先程までとは比べ物にならないほど体が軽くなる。
「……ありがとう。これなら空だって飛べそうだ」
「…………飛べますよ、空」
「…………は?」
「……何を話しているのかは知りませんが、そろそろ諦めてください。《ザザント》」
赤髪が呪文を唱えると、その手に携えた拳銃から爆炎とも形容できる衝撃が発せられる。
————————————————、
……と、その時、自分の体が宙に浮く、というより空に向かって打ち上げられるように飛び上がった。
一瞬の出来事すぎて自分の目で捉えることさえ難しく理解が遅れる。
そしてすぐ、さっきまで自分がいた地面がえぐられ、大きな穴に変わり果てていることに気付く。
————なんですか、これ。
「これは《フーリル》。簡単に言えば重力を操るための術です。今は解説している暇はありません。エータ様が思うように動けると思うので、気合いで乗り切ってください」
俺の背中にクリスタがしがみつく形になっていることに気づき、慌てて落ちないようにその体をおぶる形で支える。
いや、そんなこと言われても、俺空を飛ぶのなんか初体験なんですが……。
「……どういうことです?」
赤髪は、その光景に驚きの顔を浮かべ、突如として起きた自分の想定外の出来事に焦り始めている。
「……! 背中にいる女! その者に手を貸してはなりません、危険です」
赤髪の興味がやっと俺の背中に抱える人間に向けられる。
いやいや! 危険って今の一撃で下手すれば俺もろとも、クリスタも木っ端微塵だったぞ!
「お前、いくらなんでも節操なさすぎだろ!」
「……とにかく今のエータ様に勝機はありません……!! この力を使って、全力で逃げてください!!」
クリスタのその発言に少しだけ違和感が頭をよぎったが、今はそんなことを考えてる場合ではない。
「……お、おう!」
クリスタの言う通り、頭の中でイメージした動きそのままに、自分の体が空中を自由に進んで行く。
障害物のないだだっ広い草原が広がっていたことが幸いして、危なっかしい動きではあるがまっすぐ空を飛べている。
実際超怖いが、背後から迫って来ている女はもっと怖いので飛ぶしかない。
「待ちなさい!!」
しかし赤髪も魔術の使い手、飛んではいないが地面を俺と同じぐらいのスピードで地面を滑るように追ってくる。
「ひいぃ……!!」
いきなり多くの非現実に見舞われて流石に頭が混乱している。
いや異世界だから当たり前なんだけど、それにしても本当に怖い。
異世界転生モノの主人公たちは何でこんな自然にトンデモ世界観を受け入れることができるんだ。
もう少しみんな、戸惑ったりしてもいいと思う。
今までのうのうと日本で平和に過ごしていたのに、いきなり命のやり取りなんか冷静な頭でできるわけがない。ゴキブリと戦うだけで怖かったんだ。
今、空飛んでる俺は、もしなんらかの要因で魔力が切れたりしたら一瞬で地面へ真っ逆さまであり、冗談じゃなく確実にその先に待ってるのは死だ。
どう考えても俺の身には有り余る経験でしかない。
「ひ、ひぃ……!」
「エータ様、落ち着いてください。大丈夫です。前だけを見ていてください。そろそろ町が見えてくるはずです」
クリスタの言葉を受け顔をあげると、前方に大きめな町が見えてくる。
「……こうなったら仕方ありませんね。少し、使いたくはなかった手ですが……《バドルシュラム》」
赤髪がそう唱えると瞬間、目の前にまるで大樹のように大きな火柱が上がり、俺の進行を食い止めてきた。
避けたいと、心の中で念じることで間一髪それを避ける。
振り返ると、赤髪が地面に銃口を向けている。
「……外しましたか。狙いがつけにくいのがこの術の難点なんですよね。マトが大きければこれで一発なのですが……でもまあ、当たらないなら、連射をすればいいだけのことですけどね!」
その言葉とともに、拳銃の引き金を引く。
地面に打ち込まれた術はそのまま地響きとなり、再び火柱となって地面から這い出て俺たちに襲い来る。今度は一気に3発。
「ちくしょうおおおおおおおおおおお!!!!」
必死に上空へと飛び上がる。地面から来るなら上空へ逃げればいいはず。しかしそれの攻撃範囲はあまりに広すぎて安全なところのほうがずっと少ない。
「クリスタ! こっちからなにか
「ごめんなさい……攻撃は……」
そうだ、そうだった。こっちから何かをすることはできない、どうにかして逃げ延びる術はないか思考を張り巡らせていたのもつかの間、突然自分の意思とは反して高度が下がっていく。
「…………ごめんなさい……ちょっと、無理しすぎたみたいです……」
見るからに疲弊した様子のクリスタと、鈍くなる俺の動き。
これって、まさか。
「……こんなところでMP切れかよぉ!!!!」
地面にゆったり落ちてくる俺たちを、いつでも殺せると言わんばかりに優雅にそいつは待っていた。
「ふふ、もう、逃げられないみたいですね。この私からよくもまあ、ちょこまかと逃げ回ってくれましたね」
しかし、その顔は怒りによって歪んでいるようだった。
地面に降り立つしかない俺に拳銃が突きつけられる。
「短い異世界生活でしたが、少しは魔術を体験して、楽しかったですか?」
嫌味らしく、吐きすてる。……もはや、ここまでか……。
もうこの状況を打破できる手段を思いつかない。俺はその場に項垂れる。
「…………何をしているのですか、そこを退きなさい」
?
顔を上げると、赤髪が構える拳銃と俺の間には、ついさっきまで俺の背中にいたクリスタがいつのまにか両手を広げて、立っていた。
「おま、何を」
「エータ様は、殺させません」
「あなた、その人が何者なのかわかっているのですか」
「………………」
クリスタは答えない。
当たり前だ。わかるわけないんだから。
クリスタにとっては突然現れた正体不明の少しだけ親切な男でしかない。
だからこそ力を貸してくれたのだろうけど、でもそれは、本来彼女が行うべきことではない。
「ふっ。……知らないなら、教えてあげましょう、そこでうずくまっているのは、」
嘲笑うかのように赤髪は真実を告げようとする————、
しかし、それを遮るようにクリスタの口から出た言葉は思いもよらないものだった。
「————わかってます!!!!」
——力強く、クリスタは叫ぶ。
「逃げている途中で気づいていました。……エータ様はこの世界の人間じゃないことに。この人の体からは魔力が全く感じられません、それはまるで、……今までに一度も魔法に触れたことすら、ないような、」
「…………では、この世界の住人であるあなたがするべきことは他にあるのでは?」
「……それでも、」
クリスタは、今にも倒れそうなその体を支えるのがやっとで、しかしそれでも力強く、答えた。
「——それでも、……エータ様は殺させませんっ!!!!!!」
「わかっているのですか? あなたがやっているのは、立派な反逆行為ですよ」
「…………罪のない人を殺すことが、本当に正しいことなのでしょうか」
「悪い芽は、確実に摘み取らなければなりません、いずれその人も罪を犯すでしょう」
「……少なくとも、」
そういうとつかの間の沈黙。一呼吸おいてクリスタが続ける。
「少なくとも、あなたが救うことのできなかったあの町で、この方だけは私を救ってくれた。あなたが見捨てた私という同胞を、外来者である、彼が救ってくれた。これはまぎれもない事実です」
「…………っ」
「……違いますか?」
俺は、その光景を前にして、何も言えなかった。
それは違うとも、それはそうだとも、
何も言えなかった。
ただうなだれていることしかできない。
ただ消えていくだけの命だった俺が、異世界に飛ばされて、
それでもやっぱり消えていくしかなかった。……はずだった。
俺は、どこか諦めていた。
あの世界にも、この世界にも、期待なんか少しもしていなかった。
魔法も魔物も、俺からすればゲームや漫画の中だけのもので、それだけで十分だったし、目の前に現れてほしいだなんて頼んだ覚えはない。
でも、俺が望まなくても、
俺がこの世界で生きて行くことを望んでいる人がいる。
正直、その事実に、俺は、戸惑っていた。
現世での記憶が蘇る。
決して、悪い人生ではなかった。
そう、悪い人生ではなかったんだ。
それなりに親に愛されて、それなりに友達もいて、それなりに充実してて、
好きなヤツだって、いたんだ。
だから、それなりに、満足していた。
これが、俺の人生なんだと。
“俺よりも不幸な人がごまんといる“あの世界で、
俺は、それ以上を、望んでいなかった。
それがきっと、あの世界の及第点だった。
だから、若くして死んだことも、すぐに受け入れてしまった。
これ以上を、今以上を、望んで、期待して、失望することだけは、したくなかったから。
——しかし、もしかしたらそれは、及第点ではなく、妥協点だったのかもしれない。
悪い人生ではなかった、
だがそれは、はたして、いい人生と言えるものだったのだろうか?
「でも、だからといって、その男を生かしておくにはリスクが高すぎます」
「そんなことありません!」
「しかし……」
「あなただって、この方を殺すことに多少の疑問を抱いているのではないですか?」
「なっ……!」
初めて、赤髪が狼狽えた。
「あなたにエータ様を殺すチャンスは、もっともっとたくさんあったはずです。あなたほどの力をもってしても、魔法も何も使えない、武器も持っていないエータ様がまだ生きている。これは、普通だったらありえないことです。灼落の銃士と恐れられるあなたでも、彼を殺すことに少なからず躊躇いを感じているたのではありませんか?」
「………………黙れ……」
「いいえ、黙りません」
「……さい……」
「最後まで、エータ様は自分が助かるためではなく、私を守るために飛んでくれました」
「…………る……さい……」
「そんな方が、この世界を、混乱に陥れるなど、ありえません」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!!!!!! 《ジセット》!!!!」
そう叫ぶと、空中にもう一丁の拳銃がみるみる構築され、それを赤髪が掴み取り、逆上する。
力強く、その瞳はクリスタを睨みつけている。
「あなたも立派な反逆罪です。そいつもろともぶっ飛ばしてやる!!」
これはまずい。
俺はとっさに立ち上がりクリスタの腕を引き赤髪から離れる。
「《ザザント》! 《ザザント》! 《ザザント》!」
二つの拳銃から
必死で、必死で、走る。
魔法ではなく、自分の力で。
さっきまでの赤髪なら、とても逃げられるものではなかった。
でも今は冷静さが欠けているらしく、幸福にもその第1波は奇跡的に避けることができた。
いや実際、火の粉は散々かぶって身体中が痛い。
めちゃくちゃ痛い。多分服のどこかは燃えている。
しかし容赦なく、第2波は俺たち二人に襲い来る。
「《バドルシュラム》! 《バドルシュラム》! 《バドルシュラム》!」
それを連発されたら、もう終わりだ。
もう、逃げられない。
景色はスローモションのように、ゆったり進む。
これが、走馬灯ってやつか。
せめてクリスタを守ろうと、その体を抱き寄せて自分を盾にしようとする。
多分、ほとんど意味なんてないだろうけど。
先ほどまでとは比べものにならない地響き、安易にこの草原が焼け野原になる未来が想像できた。
「……《ホールディーエントス》」
クリスタが小さく唱えると、俺たちは光に包まれた。
————————————————————————————————。
………………………………………………。
次に、目を開けた時、辺り一帯は、焼け野原だった。
……生きてる?
隣にいるクリスタは、地面に倒れていて、そして、赤髪もなぜか倒れてる。
「わ、……私も、あの方も、力を使い切ってしまったようです……」
気を付けなければ聞き逃してしまいそうな、小さな声で、クリスタは告げる。
「くっ……、私としたことが……」
倒れている赤髪の声にも、もはや先ほどまでの勢いはなく憔悴しきっていた。
……とりあえず、俺は助かったのか?
「はぁ……、よかった……」
無意識に俺は呟いていた。
……え?
……良かったのか?
そこで、気付いた。
俺は、生きたがっていた。死ぬことを、ためらっている。
こんな世界で、消えることよりも、生き続けることを願っていた。
どうしてかはわからない。ただクリスタがそう願ったからかもしれない。
赤髪にやられっぱなしじゃ嫌だったのかもしれない。
実際は、わからなかったけど、
なにより、
「人生を、やり直したい」
そう、願ってしまっていることに、気づいてしまった。
多分、幾多数多の異世界転生モノの主人公たちが、物語のプロローグでまず初めに願っているはずのその願いを、紆余曲折を経て、今更になって、
俺は願っていた。
「ははっ……」
心の中で、どこか馬鹿にしていた彼らの気持ちが、
今の俺には少し、わかる気がした。
「……らっきーぃ」
突如、第三者の声が響く。
「チャーンスとーーらぁーい♪」
その声の方角に視線を送る。
そこには、黒い禍々しいローブを羽織った男が立っていた
「イヒヒッ。よぉ。そこの赤いの、さっきはよくも俺のことを散々いじめてくれたなぁ?」
「…………クロサキ……、」
赤髪がそいつに向かって消え入る声で放った。
クロサキ。
…………こいつが、クリスタの町を、襲った。
あんな、惨状を引き起こした犯人で、
そして、俺と同じ世界から来た、……外来者。
「こんなとこで、おねんねしちゃってさぁー? お家帰ってお布団で寝ないと、風邪ひいちゃうぜ?」
一歩、一歩、着実にそいつは赤髪の元へ近づく。
「あー、でもそんなの関係ないか? 今ここで、風邪すら引けないように、永遠の眠りにつくんだからなぁ?」
「やめなさ……」
——瞬間、氷の刃が赤髪の頬を切り裂く。
「次は、当てるぜぇ?」
赤髪は、やっとの思いで、上体を起こすが、それが精一杯なようで、魔法なんてとてもじゃないが打てそうにない。
「イヒッ。 じゃあな? 赤いの」
ローブの男は赤髪に向かって手をかざす。
「《ウリス》」
その呪文が唱えられるよりも前に、俺は走り出していた。
本当に、何も、考えずにただ飛び出していた。
クロサキと呼ばれた男の腕から、見たことないほど大きな氷柱のようなものが放たれる。
ここで赤髪を助けてもどうせ殺されるだけなのに、
ここで、この男に赤髪を殺して貰えば、俺は殺されずに助かるはずなのに、
後悔?
いや、そうではない。
俺の体の動きは、微塵も迷いをまとっていなかった。
クリスタが何か言っている気がする。
……すまん聞き取ってる場合じゃないんだ。
赤髪の驚愕の顔を浮かべている。
……俺も自分で自分に驚いてるよ。
そして、そのまま、赤髪の前へ出て、
次の瞬間、
俺の体長と、そう大差ない氷柱が、体に突き刺さる————————————————————
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