第2章

 家に着いてすぐに俺は部屋に向かい、布団に倒れ込んだ。ものすごく疲れたので、もう今日は動きたくないです。

 俺は布団の上で『大』の字になっている。これが意外とリラックスできるのだ。足をそろえるよりもくつろげるのでオススメです。是非やってみてください。

 今日は本当に色々なことがあった。朝山あさやま先生からの説教を食らったり、あやが意味深なことを言ったり。そして、『幸せ』を求めることの難しさを感じたり。

 兄妹の『幸せ』というものは、どこから得られるのだろうか。

 俺が彩の兄として生まれてしまった以上、兄妹という関係は決して壊れることはない。つまり、無理に距離を置いたつもりであっても、離れられる距離には限度がある。

 逆に考えると、それは距離を近づけるのにはそんなに努力を必要としない、ということだ。

 距離感を保つのは難しい。それは今日、俺が辿り着いた結論だ。つまり、距離感というのは絶えず変化するものなのではないかと俺は考える。

 会話をすれば自分が承認されたように思われて、自然と距離は縮まる。だが、言葉によっては心が傷つき、距離が遠ざかる。

 会話という要素だけでもこんなに距離は変動するのだ。他の要素が組み合わされば、より複雑さを増すだろう。

 では、兄妹において『幸せ』と呼べる距離感は一体何なのだろうか。そもそも『幸せ』は距離感によって規定されるものなのだろうか。

 兄妹において、と限定的で特殊なパターンであるから、考えることが難しい。ならば、まずはより一般的に、つまり友達における『幸せ』について考え、それをふるいにかけて、兄妹に当てはまる部分だけを取り出せば何かしら得られるものはあるのではなかろうか。

 世の中には『親友』というものがある。非常に親しい友達という意味だ。では『友達』というのは何だろうか。辞書で調べると、お互いに心を許し合って、対等に交わっている人、と出てくる。

 心を許すというのは、お互いに違うところはあるけれども、それを受け入れ合うことによって可能になるとよく言われる。

 そうすると、普通に考えれば、『友達』よりも『親友』の方がお互いの距離は短いだろう。別に俺はこれには異議はない。

 だが、俺は『友達』の距離感でも十分に近づきすぎているのではないかと思う。友達の縁を切る、というのはそのことが原因だと俺は考える。

 友達になって、お互いの違いを許し合った気になっていても、当然相手の全部を知ることなどできはしないし、誤って認識していることもあるだろう。

 その知らなかった相手の姿、もしくは誤って認識していた相手の姿と、本当の相手の姿の違いを感じ、また、相手が自分に知られていなかったことからみぞが生まれてしまうのだろう。

 ここで、大きく距離が離れてしまう。けれども、心のどこかでは相手のことが残っており、それを覆い隠すために、強制的に自分から距離を置くために、縁を切るという行為をする。

 『友達』という距離にいたつもりでも、実際にはそんなに近い距離ではなかったことから生じた結末である。つまり、自分が、相手が、正しく距離を認識できなかったということである。

 『友達』という距離よりも離れた場合、自分は周りに対する距離を意識することが自然と多くなる。だから、距離の誤認は少ない。

 『友達』という距離では、お互いに完全に心を許し合っているとお互いに勘違いするために、自分たちは『友達』の距離に滞在し続けられると思い込み、距離を意識することはほぼなくなる。ここから、実際の距離と思っている距離のズレが生じる。

 『友達』よりもさらに近い距離の『親友』では、さらに距離を意識する回数が減るため、距離のズレはさらに大きなものとなる。

 つまり、距離が近ければ近いほど、距離の誤認が悪化し、それが原因でお互いに離れやすくなるのではないだろうか。

 このことを、兄妹について考えてみる。

 兄妹において『親友』や『友達』といったような概念は存在しない。

 だから、距離感を言葉では上手く表現できないだろうし、実際に距離感を把握はあく

「お兄ちゃーん」

 ちょうどいい感じに思考を巡らせていたときに、俺の部屋のドアが勢いよく開かれて現れた猫耳美少女。何とも素晴らしいタイミングですね。俺、布団の上で『大』になっちゃってるし。

 そんな俺の姿を彩は不思議そうな顔をして見つめている。俺はどうすればいいのかわからないので寝たフリでやり過ごそうとする。ちょっと無理な気もするが。

「あれ?お兄ちゃん寝てる?」

 彩は俺の部屋にずしずしと入ってきたので、俺は完全に目を閉じてたぬき寝入りをする。

 俺の頬をつんつんとつついているような感触。おそらく俺が本当に寝ているのか確かめているのだろう。めっちゃ起きてるけどな。

「よし、記念撮影~♪」

 一体、何の記念なのかは謎だが、スマホのシャッター音が鳴った。おそらく俺の寝顔もどきを撮ったのだろう。

 つーか、実際自分の寝顔って案外知らないもんだよな。ひょっとこみたいな顔で寝ている可能性も無きにしもあらず。いや、ないか。

「あ、これはお兄ちゃんのために買った猫耳を試すチャンスかも!」

 そんなものいつの間に買ってきたんだよ…。お金の使い道を激しく間違ってないか。お金というのはお菓子と漫画に費やすものだと大昔から相場が決まってるだろ。

 俺の頭皮の触覚情報によると、頭に猫耳らしきものが装着されたようだ。そして、またカシャッと音が鳴る。俺の顔写真は裏で売買でもされてるんだろうか。俺が裏世界で有名になっちゃったらどうするんだよ。ト●ロ並みに都市伝説生まれちゃうんじゃね?

「あ~、もうこれ最高!お兄ちゃん可愛すぎ!」

 彩はそう言って、また何枚が写メっているようだ。スクリーン中の2次元の女の子の好感度がMAXになった時の俺の反応みたいできもいぞ。

 2次元の女の子は慣れてくると性格によって攻略法がだいたいわかるようになる。だから、色んなキャラの好感度を上げてハーレム形成したいのが俺の願望。でも、だいたい1回のストーリーで1人しか攻略はできないよな。一夫多妻制のようなゲーム出ないかなあ。

「…お兄ちゃん、本当に寝てる…よね?」

 いや、脳が非常に活性化状態で起きておりますが。つーか、今まで確信できてないのに俺を使って撮影会してたのかよ。

 ゴソゴソという物音の後、金属のチャリンと何かが外れるような音がした。彩は一体何をしているのだろうか。

 その後、下半身が徐々に涼しさを感じるようになった。ん?これってまさか…。

「何やってるんだお前!!」

 俺は思わず上半身を起こして軽く怒鳴る。そこには俺の下ろされた制服のズボンと丸出しになったパンツ。そのパンツの膨らみを布団の上で女の子座りしながらながめていた彩がいた。彩ってこんなに変態だったっけ…。

「え!?いや、これは、そのぉ…」

 めちゃくちゃ焦っている彩。まさか俺が起きているとは思っていなかったのだろう。俺と目を合わせてないし。

「というか、お兄ちゃん起きてたの!?」

「ああ」

「あ~、どうしよう~、恥ずかしい~」

 彩は両手で自分の顔を覆った。そんなに恥ずかしいならやるなって話じゃないのだろうか。

 俺はその間に布団の端に座り、俺の頭に装着されたままの猫耳を外し、下げられたズボンを元通りに穿く。そのまま寝たフリを続けていたら結構やばい領域まで到達していたかもしれないと思うと恐ろしい。

「で?何しに来たんだ?」

 彩は自分の手の指の間に隙間すきまを作り、こちらの様子をうかがっているようだ。

「怒ってないの…?」

「ああ、怒ってないから大丈夫だ」

 俺がそう言うと、彩は安心したのか、顔を覆っていた両手を顔から離した。

 ちなみに俺の本音は、意味がわからなさ過ぎてどこを怒れば良いのかもわからねーよ、という感じである。だって、血の繋がった妹が兄のズボン下げて急所のある山を観察してるんだぜ?この行動の意味わからない以上、どうしようもないだろ。まあ、幸いにもパンツは脱がされなかったのでなまではなかったのだが。

「じゃあ、お願い事1つしてもいい?」

「内容にもよるな」

 下半身裸になってくれとかだったら、まじでぶっ飛ばす。妹だとしてもこれは容赦ようしゃなしだ。

「次の日曜日に、彩にゃんと一緒に買い物に行って欲しいんだけど…」

「彩1人じゃダメなのか?」

「ダメ!!」

「何で?」

「…」

 まさかの理由なし?俺には人権無いから従え的な?いつから俺は彩の下部しもべになったんだ?

「とにかく、お兄ちゃんと一緒じゃなきゃ嫌なの!」

 何その妹モノのテンプレみたいな台詞は。俺はリアル人生で妹ルートを攻略するつもりはねーぞ。俺はあくまで兄妹としての幸福を求めたいだけだ。

「お兄ちゃんは日曜日に何か予定でもあるの?」

「いや、特には何もないけど…」

「じゃあ、何でお兄ちゃんは『彩にゃんと行きたくないよ~』って顔してるの?」

 やっぱり彩は何故か俺のことをよく理解している。まるで俺の思考回路を読みとっているかのようだ。全く油断はできない。

「いや、兄妹で買い物に出掛けるのはどうかと思ってな」

「兄妹で買い物するのっておかしいことなのかな…」

 彩が呟いたその一言に、俺は重要な裏の意味が含まれているように感じた。世間の兄妹の在り方に関する考え方が、実際の兄妹を縛り続けている。そういうことが、彩にとっては精神的に苦痛なのだろう。

 兄妹の在り方はあくまで自分たちで決めることだと俺は思う。だから、世間の観念に拘束される必要はどこにも無い。

「別に変なことじゃないと俺は思うけどな。世間の考えに従わなきゃいけない、なんていう義務は無いんだから」

「そっか…、そうだよね。よし、じゃあ次の日曜日、買い物に行こうね。絶対に約束だよ!」

 そう言って彩が顔に浮かべた自然な笑顔は、もの凄く爽やかな笑顔であった。

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