第1章
10分程職員室で朝山先生に尋問された後、俺たちは購買で売れ残っていたパンやおにぎり、飲み物を買って屋上のベンチで昼食を
屋上に来ている人々は俺たちの方をちらっと見ては「あの人たち何か怖い…」とか「破局するんじゃない?」とか言って避けている。だから俺たちは兄妹ですよ。
俺たちはおそらく負のオーラを出していたと思う。もやもやと周囲に黒いのが見えるやつな。お葬式の雰囲気に似ているだろうか。
何故こんな状況になっているのかというと、朝山先生が俺たちに笑顔で恐ろしい言葉を発しながら説教をしてきたからだ。俺は一貫して無罪を主張したが、全く相手にされなかった。あの人は死神の化身なんじゃなかろうか。
「お兄ちゃん、何かごめん…」
「たしかに彩も悪かったが、俺の話を聞いてくれなかった朝山先生も悪かったと思う。授業中に相手をしてやってくれという指示出したの朝山先生だろうに…」
「あの先生怖すぎだよ。彩にゃん『はい』って頷くことしかできなかったよ」
反省。朝山先生には逆らわない方が良い。これ、ものすごく大事だからね。テストに出てくるよ。
「あ、そうだ、お兄ちゃん。これから毎日昼休みには彩にゃんと一緒にご飯をニャンニャンしてねっ!」
彩は表情をぱあっと明るくし、俺の方を見て軽く近づいてからそう言った。お兄ちゃん、彩の切り替えの早さにびっくりだよ。さっきまでのお葬式ムードはどこへ行ってしまったのか。今頃宇宙空間を
「それくらいならいいよ」
「うにゃっ?やけにあっさりと
気付いていて気付いていないフリをしていやがったのか。どういう思考回路をしているのだろうか。相変わらず、俺には彩の考えていることがイマイチ良くわからない。まあ、だからこそ今の距離感を保てているっていうのもあるが。
「もう朝山先生の説教を食らいたくないしな。どうせ俺が拒否してこの場をやり過ごしても、彩がまた俺を授業中に呼び出す可能性は完全には否定しきれないし」
あの先生の説教に比べたら彩と一緒に食事を摂ることなんて軽く思えてきてしまったのだ。実際、軽いわけではないのだが、朝山先生の説教が言葉にできないくらい恐ろしかったし。まじトラウマになったらどうするんだよ。夢に出てきたらもう怖くてたぶん寝れません。
「妹と一緒に居ることよりも朝山先生の説教から逃れる方が大事なのかー。ふーん。そんなお兄ちゃんは、妹とニャンニャンできなかったら死んじゃう体にしちゃうんだから」
字面的にはただの変態だろ。公共の場で恥もなくよく言えたものだ。俺だったらオーバーヒートとかになっているんじゃないかな。反動で俺の特功ががくっと下がっちゃう。
「あのな、人間関係というのは干渉しすぎないというのが常識なんだよ。干渉しすぎたら磁石の同極同士を近づけたときのように離れてしまうものなんだ。だから、俺は今のこの状況で満足しているし、一番幸せなんじゃないかって思ってる」
「…それでもさ、彩にゃんはね、お兄ちゃんに近づきたい。お兄ちゃんを知りたい。お兄ちゃんを支配したい」
ちょっと待て。今さらりと変なこと口走ったぞ。ものすごい身の危険しか感じないんだが。
「兄妹として、強い
妹は、彩は、一体何を考えているのだろうか。どうなろうとしているのだろうか。俺にはさっぱりわからない。
俺は干渉しすぎることが悪いことだとは思ってはいない。実際、それで強い絆が生まれることがあるのかもしれない。だが、そんなのは100人いたらせいぜい1人くらいしか成功しないものだと俺は思う。
場合によっては自分が勝手に相手に対して親近感を抱いているだけかもしれない。そんなの相手にとってみると迷惑なのは明らかである。それが原因で仲が悪い、という状態になることもあるだろう。
では、ある程度の距離を保っている場合はどうか。ふと距離感を感じてしまうときはあるだろう。だが、プライバシーは確実に守られる。自分の自由を確保できるのだ。他人に振り回されることもなく、自らの
だから、俺は過度の干渉は嫌いなのだ。
「絆っていうのはな、そう簡単に得られるものじゃないんだよ。昨日まで『ずっと仲良しだよ』とか言っていた奴らが、翌日になって『あいつとは縁を切った』とか平気で言ってるんだぞ。それのどこが絆だと言うんだ」
「兄妹にその話は通用しないんじゃないかな…」
お兄ちゃん頑張って演説してるのにそんなこと言われると悲しくなっちゃう。
「まあいいや。お兄ちゃんは変わらなくても、彩にゃんが変わればいいだけだし」
そう簡単に変われるのなら、世の中みんな苦労しないで生きていけると思うのだがな。だいたい考え方とか中学からそんなに変わっていない気がする。あれ?俺って中学から成長してる?
「お兄ちゃん」
「ん?何だ?」
「お兄ちゃんは気づいていないのかもしれないけど、お兄ちゃんを心配している人だっているんだよ?」
誰だよ、それ。心配されるほど俺と近しい距離の人間はいないと思うのだが。というか、そうなるように俺は努力しているのだ。
彩はベンチを立ってうーんと背伸びをする。そして、俺の方へくるりと振り向いてから軽く前屈みになってこう言った。
「彩にゃんは教室に戻るからね♪」
何でその一言を言うために俺に顔を近づけたのだろうか。理解ができない。やはり、彩は何を考えているのか俺には理解できそうにもない。死ぬまで理解できない気がしてきた。
俺は自分が手に持っていたサンドイッチの袋とベンチに置かれた彩が食べたおにぎりの袋、俺と彩の2人分のペットボトルを手に持ち、ベンチを立って近くのゴミ箱にそれらを捨てた。
彩が言っていた『俺を心配している人』がやはり気になってしまう。そいつは一体誰なのだろうか。そいつは俺に対して親近感を抱いているのだろう。俺がそいつを相手にしていないとしても、実際そうなってしまっている。
俺はこのとき初めて気づいた。自分と相手がお互いに思っている距離感は必ずしも同じではないということに。つまり、それは絶対安全の距離を維持することの難しさを示していた。
俺が相手に対してある程度の距離を保っていると思い込んでいても、相手は近づいてきているのかもしれないのだ。しかも、実際の距離感、自分が思っている距離感、相手が思っている距離感を知り、それらを考慮して新たな距離を制定し直さなければいけなくなる。
その3つのうち、自分が思っている距離感以外の2つは知ることさえ難しい。そして、3つとも常時変化し続けるものなのだろう。
ならば、維持するためには継続的に距離の更新をしなければならないのだ。やはり、そう簡単には幸せは手に入れることができないのだろうか。
◇ ◇ ◇
午後の授業は耳に入らず、ずっと幸せを手に入れるためにはどうしたら良いのか、を考えていたらあっさりと終わってしまった。まだ結論出てないんですけど。
スマホの通知を見ると、LIMEで彩から「玄関で待ってるよ~♡♡♡」と送られてきていた。ハート多すぎだろ。バカップルみたいじゃねえか。まあ、兄妹でしかないけどな。彩はバカだが。
LIMEで送られてきたように、彩は玄関の扉の近くで待っていた。俺の姿を見つけたからって手を大きく振らなくてもいいから。ただでさえ猫耳付けてて目立ってるのに。ちょっと俺今あの人に近づきたくない。俺まで頭おかしいとか思われたくない。
「お兄ちゃん、こっち~」
俺が軽く目を逸らしたところ、彩が大声で俺を呼び始めた。ちょっとまじで恥ずかしいあの子。そんな子に育てた覚えはありません!
ほら、周りの奴らめっちゃ見てるよ。下校時間ってこともあって人多いし。「あれのお兄ちゃんって誰なんだろ。ぷークスクス」とか聞こえてきてるから。まじ逃げたい。
「お兄ちゃん、早く~!!」
無視してたら尚更ビックボリュームになりやがった。ちょっとあそこまで行くとただの不審者。妹だけど警察の味方しちゃいたくなってくるくらい。
ということで彩の横を気づかないフリをして通り過ぎよう作戦決行。灯台下暗しってね。
彩が右側をチラ見したので、その隙に彩の左側を素早く通り抜けようとしたとき、右手首をがっしりと
「ななな何でおおお俺に気がついちゃったりしちゃったんだよ!?」
「お兄ちゃんの考えていることなんて妹の彩にゃんには丸わかりだよ?」
何で無駄に爽やかな笑顔でさらっと俺に向かって恐ろしいこと言ってるんだよ。普通は笑顔で助けになるような言葉を掛けるもんだろうが。目に見えない上に生き物でもない愛と勇気だけを友達とか言っちゃってる奴のようにな。天然キャラと似たようなものを感じるんだが。
「お兄ちゃんは彩にゃんから一生逃れられないんだから」
怖い怖い怖い。ホラー映画よりも怖い。やっぱり女性はこの世の中では強すぎると思いました。
「俺ちょっとトイレ…」
「だーかーらー。お兄ちゃんが逃げようとしても無駄なんだって。お兄ちゃんには必ず彩にゃんがいないと死んじゃう日が訪れるんだから」
妹がいないくらいで死んじゃう兄とかちょっとあれだろ。メンタル弱すぎるだろ。だからと言って強ければ良いというものでもない気はするが。
「わかったわかった、今日だけだぞ」
こういうこと言っちゃう俺もなかなか手遅れなのかもしれない。俺の言葉を聞いた彩は表情を明るくし、ちょっと俺の心を揺さぶってしまう。
こういう彩の子供っぽい一面を見てしまうと、何故なのか、守りたいと思ってしまう。兄としての使命なのだろうか。
だが、守ろうとする行為は距離感を縮める行動の1つである。そう考えると、長い目で見れば守らない方が幸せなのではないか、と思ったりもする。
仮に守ろうとしてその場では守れたとしても、将来的に距離を近づけすぎたがために反発し、最終的には離れてしまうこともあるのではないか。それでは結局、何を守りたかったのかが
だから、本当に守るというのは、その場
ならば関係を維持するためには、衝動的に行動するのではなく、今現在の自分の気持ちを覆って接しなければならないという結論に
思っているよりも、『幸せ』というものは、自分たちから非常に遠いところにあるらしい。
「じゃあ帰ろう?お兄ちゃん」
俺の右手首を掴んだまま、猫耳美少女は歩き出す。俺はそんな妹の後ろ姿を見ながら、兄妹の『幸せ』の在り方を考えていた。
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