第11章第1節:ワタツミの宮


   A


「神田氏。ヨミの次は、ワタツミの宮が気になるでやんす」

「(ヨミの時に『まず』って言ってたけど……)今度はワタツミの宮か」

「ワダツミなら聞いたことあるけど、それのことかしら?」

「ワタツミは海の神だね。イザナキとイザナミの息子でもある。漢字では『綿』って書くから、『ワダ』じゃなくて『ワタ』になるんだ」

「綿って、あの綿? コットン?」

「うん。でも、漢字の意味は関係ないだろうね。音を表すための表記──表音文字と考えていいよ」

「わかったわ」

「ワタツミの宮は、いわゆる『ウミサチ・ヤマサチ』の話に出てくるんだ」

「浦島太郎のモデルとされる話の1つでやんす。ワタツミの宮は、竜宮城のモデルでやんすね」

「でも、ワタツミの宮があるのは海中じゃないしな……」

「いやいや、神田氏。ワタツミの宮は、海中にあるはずでやんす」

「『日本書紀』だと海中にあるって話があるけど、『古事記』と『日本書紀』は別物だからね。『古事記』だと、ワタツミの宮があるのは海中じゃないと思う」

「そんなバカなでやんす」

(また、2人の意見が分かれてるわね)


   B


「ウミサチ・ヤマサチって、どういうお話なの?」

「ウミサチとヤマサチは兄弟なんだ。アメテラスの孫であるニニギとコノハナノサクヤビメの息子で、火の中で生まれた」

「火の中で出産したの?」

「うん。その時に生まれた3人兄弟の内、1人めがホデリ。3人めがホオリ。この2人が、ウミサチビコとヤマサチビコなんだ」

「2人めは?」

「名前が出てくるくらいで、何の話もないでやんす。モブキャラでやんすよ。ツクヨミも、『古事記』だと出番らしい出番がないでやんす」

「兄弟の真ん中が活躍しないのも、古事記神話の特徴かな。最初と最後とかは、出番が多くなるんだけど」

「真ん中は損でやんすね」

「で、成長した後の話になるけど。〈ウミサチ〉ホデリは、釣りが得意だった。一方の〈ヤマサチ〉ホオリは、狩りが得意」

「それぞれ、海と山が仕事場なのね」

「でも、ある時。ホオリが道具の交換を提案したんだ。兄に何度も断られたけど、最終的に、道具を交換」

「ところが、でやんす。魚は1匹も釣れないばかりか、兄が大事にしていた釣り針を失くしちゃったのでやんすよ」

「それじゃ、怒られちゃうんじゃ……」

「代わりの釣り針をいくら用意しても、兄は許してくれなかった。『あの釣り針を持って来い!』みたいな感じで」

「釣り針なんて、探しようがないわ。だって、海の中でしょ?」

「確かに、無茶な話だよね。それで、ホオリは海辺で泣いちゃうんだ。そこにシオツチって言う神がやって来て、協力してくれることになった」

「釣り針探しを?」

「『釣り針探しを協力してくれる相手のところまで送ってくれる』のでやんすよ」

「シオツチは、小さな船を作って、ホオリを乗せたんだ。その船を押すと、潮の流れに乗って、ホオリはワタツミの宮まで行けた」

「ワタツミの宮に行くのは、ヤマサチの方だったのね」

「そういうことでやんす」

「船を押したってことは、海に潜ったわけじゃないの?」

「僕は、そう思うんだけど……」

「いやいや、『古事記』には『海中』と書いてあるのでやんすよ」

「え? それなら、海に潜ったことに……?」

「そうなんだよね」

「『そうなんだよね』って、神田くんの考えとは違うわよね?」

「僕も最初は、ワタツミの宮は海中にあると思ってたんだ。浦島太郎のモデルになった話だというのは知ってたから。ワタツミの宮も、竜宮城みたいに海中に存在すると思ってた。星崎さんは、1発で見抜いたけど……」

「私? 何か見抜いたかしら……?」

「シオツチは、船を押した。下にじゃなく、水平方向にね。僕は、最初は『船はその後、海に潜ったんだ』と潜水艦みたいなイメージを持っていたけど……。星崎さんは違った」

「えっと……何か照れるわ」

「ワタツミの宮は、『海中にある宮』じゃない。『周囲を海に囲まれた宮』なんだ」

「満潮の時のモン・サン・ミッシェルみたいな感じ?」

「うん。そんな感じ」

「しかし、神田氏。『海中』と書いてあるのは、どう説明するのでやんすか?」

「言葉の綾みたいなものだよ」

「言葉の綾……でやんすか?」

「うん。まず、古事記神話の内容を確認をしておこうか」


   C


「ワタツミの娘──トヨタマビメと結婚したホオリは、ワタツミの宮で3年過ごしたんだ。針探しのことなんか、すっかり忘れてね。それを思い出した時、ホオリは憂鬱な気分になる」

「気になったトヨタマビメがワタツミに相談すると、ワタツミがホオリに協力してくれたでやんす」

「元々、そのためにワタツミの宮に行ったんですものね」

「釣り針が見つかって、ホオリはアシハラノナカツクニに戻ることにした。最速で送り届けることができるサメに乗って、帰ることになったんだ」

「ワタツミは、そのサメに言ったのでやんす。『海中を渡る時には~』と!」

「それって、つまり……」

「ワタツミの宮は、海中にあるはずでやんす! 海上にあるなら、わざわざ海に潜る必要はないでやんすよ」

「確かに、そうよね……」

「それとも、神田氏。『サメだから、海を潜った方が速い』とでも言うつもりでやんすか?」

「僕はサメには詳しくないからなあ」

「だったら、どう説明するでやんすか? はっきりと『海中』と書いてあるのでやんすよ」

「さっきも言ったけど、言葉の綾みたいなものだよ」

「言葉の綾って、どういうこと?」

「2つのアプローチがあると思うんだけどね。──ワタツミのセリフは『もしも海の中を渡る時は、怖がらせることのないように』って感じなんだ」

「『もしも』ってことは……」

「星崎さんは気付いたみたいだね」

「『もしも海の中に潜ることがあるなら、その時は怖がらせないように』ってことじゃないかしら? 基本は、潜らないで泳ぐのね」

「そ、そんなバカな……! でやんす」

「ワタツミの宮が海中にあると思って読んでいれば、気にならないところだと思う」

「……神田氏は、アプローチは2つあると言ったでやんすね」

「もう1つのアプローチは、『海中』という表現についてだね。確かに、古事記神話には『海中』と書いてある。でも、それは『かいちゅう』とは読まないんだよ」

「そうか……! でやんす」

「どういうこと?『海中』は『かいちゅう』としか読まないわよね?」

「……音読みしないのでやんすよ。あれは、訓読みするのでやんす。『海の中』なのでやんす!」

「『海中』も『海の中』も同じ意味なんじゃ……?」

「ここで言う『海の中』は、『周囲を海に囲まれた』ぐらいの意味だと考えて欲しいんだ。『海のド真ん中』と言った方が、わかりやすいかな」

「ワタツミの宮は、海のド真ん中にあったのでやんすね……!」

「『かいちゅう』と読んでしまうと、海中をイメージしちゃうからね。『海の中』でも海中をイメージしがちだけど」

「神田くんは、あえて『海のド真ん中』と意訳して考えたわけね」

「そういうこと。1つめのアプローチでも2つめのアプローチでも、ワタツミの宮は海中じゃなくて海上にあると言えるんだよ」

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