第10章第2節:ネノカタスクニ


   A


「神田氏は、ヨミとネノカタスクニを同じものだと考えていたでやんすね」

「うん。同じだと思うよ」

「ヨミに、ネノカタスクニって別名があるのね?」

「僕は、そう考えてる」

「神田氏がヨミとネノカタスクニを同一視している理由は、主に2つだったと思うでやんす。1つめが、スサノオのセリフでやんすね」

「スサノオのセリフって?」

「アシハラノナカツクニに戻ったイザナキは、禊をするんだ。ものすごく穢れた国にいたから──ってね」

「それって、ヨミのことよね?」

「うん。その禊の時に多くの神が生まれるんだ。最後に、左目を洗って右目を洗って鼻を洗う」

「上の方にある目が先で、しかも、左の方が先ね」

「左目を洗って生まれたのがアメテラス。右目を洗った時に生まれたのが、ツキヨミもしくはツクヨミ」

「アマテラスじゃなくてアメテラスなの?」

「僕は、アメテラスだと考えてる」

「あの説にも驚いたでやんすよ。アマテラスと読むのが当然だと思っていたでやんすから」

 ※第1章第2節参照

「鼻を洗ってスサノオが生まれると、イザナキは『生み終わりに3人の貴い子どもを得た』と言う。イザナキはスサノオに、海原を治めるように命じた」

「ところが、でやんす。スサノオは海に行かず、泣きわめいてばかりだったのでやんすよ。山は枯れ、海や川の水が干上がり、悪しき神の声が満ち、あらゆる災いが発生したでやんす」

「スサノオって、すごいのね……」


   B


「泣いている理由をスサノオに訊くと、『亡き母の国・ネノカタスクニ』に行きたいと言ったんだ。すると、イザナキは大怒り」

「亡き母ってことは、イザナミよね?」

「うん。僕は、そう思ってる」

「でも、神田氏。イザナミは、スサノオの誕生には関係していないでやんす。小生、そこが疑問なのでやんす」

「確かに、スサノオはイザナミが産んだ神じゃない。イザナキが鼻を洗った時に生まれた神だ。こういうのを、古事記神話では『成った』という表現をする。普通に『生まれた』とも言うけどね」

「カグツチやイザナミの体に神が生まれたけど、それも?」

「その通りだよ、星崎さん」

「スサノオには母親がいないのでやんす。母親がいないのに、亡き母というのは変でやんす」

「でも、父親の妻となると、それは母と言えるんじゃないかな?」

「イザナキとイザナミは、スサノオ誕生の前に別れているでやんす。オッパイについての言及がない事から、イザナミを幼女とした発想力──。神田氏なら、もっと刺激的な説を唱えるものだと思っていたでやんすよ」

「橘先生としては、こう書いてあるのを期待したのかな?『イザナキは、新たに妻を娶っていたのだ』って」

「素晴らしいでやんす! それなら、母と呼べるでやんす!」

「でも、神田くんは『亡き母=イザナミ』って考えよね?」

「うん。そう考えると、話が通じるからね」

「橘先生の考えは、『イザナキとイザナミが離婚していたから、イザナミはスサノオの母じゃない』なんですね?」

「そうでやんす。小生は、イザナキが新たに娶った妻──後妻と考えるでやんす」

「橘先生は、ヨミとネノカタスクニは別物だと考えるのかな?」

「そうでやんす。そもそも、名前が違うでやんす」

「でも、同じものに複数の呼び名が付いていても不思議じゃないよ。例えば、星崎さんには〈アクエリアス・スターライト〉という異名がある」

「橘先生なら〈パーフェクト〉ね」

「神の中にも、多くの名前を持つ者がいる。オオクニヌシなんか、5コも名前があるくらいだ。オオクニヌシはスサノオの孫の孫の孫で、スサノオの義理の息子になる」

「スサノオの娘と結婚したのね?」

「そうなんだよ。オオクニヌシは、ある木のまたを通ってネノカタスクニに行く。そこでスサノオ親子と会うんだ。オオクニヌシは、スサノオの娘であるスセリビメと一緒に、ヨモツヒラサカを通ってアシハラノナカツクニに戻る。オオクニヌシという名前は、その時にスサノオが付けた名前」

「ヨモツヒラサカは、あのヨモツヒラサカよね? それなら、ネノカタスクニとヨミは同じものなんじゃ……」

「いやいや、星崎氏。ヨモツヒラサカは、ヨミともネノカタスクニとも繋がっているのでやんすよ」

「ヨミとネノカタスクニが別々で、ヨモツヒラサカは両方に繋がっている……? 神田くんの考えは、そもそも、ヨミとネノカタスクニが同じ」

「そうでやんす。神田氏は『亡き母=イザナミ』『ネノカタスクニとアシハラノナカツクニの間にヨモツヒラサカがある』という2点から、『ネノカタスクニ=ヨミ』と考えたのでやんす」

「でも、2つめの理由は今……」

「小生が打ち砕いたでやんす!」

「まあ、2つめの理由はオマケみたいなものだし」

「あまり打撃になっていないでやんすか……!?」

「亡き母がイザナミだというだけで、理由としては十分だからね」


   C


「でも、神田くん。橘先生が言うには……」

「スサノオとイザナミは、親子とは呼べないと思うでやんす」

「そうかな? スサノオが生まれた時点で、イザナキに妻と呼べる存在はイザナミだけ。別れたとは言ってもね。それに、スサノオが生まれたのは、イザナキがイザナミに会いに行った結果だよ」

「それもそうね」

「イザナキとイザナミという男女がいて、スサノオが生まれたわけだ。スサノオがイザナミを『母』と呼ぶのは、それほど不思議なことじゃない。しかも、イザナミは死んでいるから、『亡き母』という表現とも矛盾しない」

「しかし、でやんす。後妻がいたとしたら……」

「もしも後妻だったなら──亡き母がイザナミのことでないのなら、イザナキの反応をどう説明する?」

「イザナキの反応……怒った事でやんすか?」

「イザナキは、スサノオに海に行けと言ったのよね? それなのに、スサノオはネノカタスクニに行きたいと言った……。怒るのも無理ないんじゃないかしら?」

「でも、イザナキの怒りは、ただの怒りじゃなかった。大きな怒りだったんだよ。わざわざ『大』という字を──『大いに』という表現を使っているんだ。『行けと言ったところと違うところに行きたがっているから』という理由だけじゃないと思う」

「『よりによって、ヨミに行きたがったから』……でやんすか?」

「うん。ネノカタスクニとヨミが同じ国なら、イザナキは大いに怒るはずだよ」

「イザナキは確か、ヨミのことを『穢れた国』と言ったわよね?」

「イザナキにとっては、思い出したくもない国だろうね。彼にとっては、尋常じゃないほどに穢れた国なんだから」

「それで禊をするんですものね。スサノオは、その時に生まれた」

「そのスサノオがヨミに行きたいなんて言い出したんだから、イザナキとしては、裏切られた気分だったと思うよ。イザナキは、イザナミと敵対しているんだから。スサノオは、イザナキに敵対すると言ったようなものだ」

「それなら、激怒も当然よね」

「亡き母がイザナミなら、ネノカタスクニとはヨミのことになる。ネノカタスクニとヨミが同じなら、イザナキの激怒も説明可能。──『亡き母はイザナミでネノカタスクニはヨミ』説なら、話が通じるわけだ」

「しかし、神田氏。忘れたでやんすか? ヨモツヒラサカには、岩が置いてあるのでやんすよ──」


   D


「そう言えば……。イザナキが、ヨモツヒラサカのふもとに岩を置いてたわね」

「でも、オオクニヌシがヨモツヒラサカを通った時、岩で塞がれているような描写はないのでやんす」

「ですが、橘先生。それなら、橘先生が言う『ヨモツヒラサカはヨミとネノカタスクニの両方に繋がっている』説でも同じじゃないですか? 岩があるなら、ネノカタスクニからも通れないですよ?」

「ちっちっち、でやんす。岩が塞いでいるのは、ヨミ行きのルートだけなのでやんすよ。ヨモツヒラサカは、岩か何かの中央分離帯のようなもので、2つに分かれているのでやんす」

「そう考えれば、ネノカタスクニからアシハラノナカツクニには行けますね」

「どうでやんすか? 神田氏」

「うーん。まず確認だけど、同じ名前である以上、『ヨミと繋がるヨモツヒラサカ』と『ネノカタスクニと繋がるヨモツヒラサカ』は同じものだと思う」

「小生も、そう思うでやんす」

「ヨモツヒラサカがどこにあるか、星崎さんは覚えてる?」

「ヨモツヒラサカは……出雲だったと思うわ」

「そう。そして、スサノオが降臨した場所──ヤマタノオロチ退治の場所でもあるけど、そこも出雲なんだ」

「ネノカタスクニに行きたかったスサノオが、ヨモツヒラサカがある出雲に降臨したのね」

「スサノオが出雲に降りたのは、ヨモツヒラサカがあったからだろうね。この点からも、ヨミと繋がるヨモツヒラサカは、ネノカタスクニと繋がるヨモツヒラサカと同じものだ。これは確実だと思う」

「それが2つのルートに分かれていると考えても、矛盾はしないはずでやんす」

「でもね、橘先生。ネノカタスクニがヨミじゃないなら、ヨモツヒラサカがヨモツヒラサカである意味がないんだよ」

「どういうこと?」

「さっきも言ったように、『ヨモツ』は『ヨミの』って意味だと思う」

「そっか。ヨモツヒラサカって名前なら、繋がっているのがヨミじゃないと変ってことね」

「……!」

「ネノカタスクニと繋がっているなら、例えばだけど、『ネノヒラサカ』とかでいいんだよ。ヨモツヒラサカが、ヨミとネノカタスクニという別々の国に繋がっている必要もない」

「ヨミと繋がるヨモツヒラサカと、ネノカタスクニと繋がるネノヒラサカ。別々でもいいものね」

「そういうこと。橘先生はヨモツヒラサカを2つに分けたけど、そもそも、別々でいいんだよ」

「で、でも、神田氏。ヨミ=ネノカタスクニなら──ヨモツヒラサカの道が1本だけなら、オオクニヌシはヨモツヒラサカを通れないでやんす。あそこには、岩があるでやんすよ!」

「どかせばいいだけだよ」

「どかすって、岩をでやんすか?」

「あの岩は、ものすごく大きくて重い岩だろうけど、動かせないものでもない。イザナキは動かしたんだしね」

「でも、そんなに簡単にどかせる岩じゃないわよね? そうじゃないと、置いた意味がないわ」

「そうでやんす。簡単にどかせるなら、イザナミが部下を使ってどかしてるでやんすよ。あの岩は、神でもある特別な岩でやんす。名前が付けられているくらいでやんすから」

「そうだったの?」

「さっきは説明を省略したけど、確かに、名前が付いてるね。あの桃にも付いてる」

「坂のふもとにあった桃ね?」

「うん。桃も岩も、神のようなものだ。その岩で、イザナキはアシハラノナカツクニとヨミとを分断しようとした。スサノオがヨミに行きたいと言うのは、その分断を解除するようなもの」

「イザナキが許すはずがないわね」

「だから激怒する。スサノオなら、岩をどかせるはずだよ。数多くいる神の中でも、強い力を持つような神だし」

「……確かに、500人がかりで引く程度の岩では、スサノオを足止めできなかったでやんす」

「そうだったの?」

「スサノオは、オオクニヌシに閉じ込められてたんだ。寝ている時にね」

「寝首をかかれなかっただけマシでやんす。スサノオは、オオクニヌシを殺そうとしてたのでやんすから」

「『娘はやらん!』的な?」

「まあ、そういう感じだろうね」

(私が結婚する時、パパは何て言うのかしら? ……あと、お兄ちゃんは何て言うのかしら……)

「ついでに、これは僕の説なんだけど。アシハラノナカツクニと繋がる国は、分断されても再結合するんだよ」

「神田氏が論文に書いた内容でやんすね。しかし、神田氏。あの説は、ヨミとネノカタスクニが別物なら成立しないでやんす」

「それなら、ヨミとネノカタスクニが同じだという証明を続けないとダメか」

「まだ、他にも証拠があるのね?」

「どんな証拠でやんすか?」

「その前に確認なんだけど。結局のところ、争点は『亡き母がイザナミなのか』だと思う。イザナミなら、ネノカタスクニはヨミってことになる。橘先生も、それはいいかな?」

「いいでやんすよ。小生はイザナミじゃないと考えるから、ネノカタスクニとヨミは別物だと考えたでやんす」

「橘先生の考えだと、亡き母は後妻でしたよね?」

「その通りでやんすよ、星崎氏」

「だったら、亡き母が後妻じゃないと証明すれば、亡き母はイザナミということで納得してくれるかな?」

「いいでやんすよ。──ここは、こう言っておくでやんす。『やれるものなら、やってみろ!』でやんす!」


   E


「イザナキには、後妻を娶る理由がないんだよ」

「そ、そうか……! でやんす……!」

「あの……どういうこと? 話が見えないんだけど……」

「……イザナキはすでに、子どもを生み終わってるのでやんす。本人が、そう言ってるのでやんすから。人じゃなくて神でやんすけど」

「そう言えば、『最後に3人の貴い子どもを~』とか言ってたわね。でも……。子どもを生み終われば、結婚しないの?」

「古事記神話では、結婚と子どもの誕生はセットになっているからね。ある意味、子どもを生むために結婚している」

「だから、子どもを生み終わったイザナキには結婚する理由がないのね」

「後妻を娶っていたなら、さすがに名前くらいは出てくるだろうしね。後妻がネノカタスクニの出身だとしたら、どうしてアシハラノナカツクニに来たのかも不明。ついでに、これも僕の考えになるんだけど──」

「『イザナキ』と『ニニギ・ホオリ・ウカヤフキアエズ』には、妻が1人だけという共通点がある──。でやんすね」

「逆に、スサノオとオオクニヌシは、複数の妻を持ったんだ」

「神田くんは、時代を3つに分けてたわよね? 1つめと3つめの時代では、妻が1人だったってこと?」

「僕の考えではね」

「イザナキが後妻を娶る……そういう話はない気がするでやんす。小生の負けでやんす……!」

「まあ、でも……」

「どうかしたの?」

「後妻じゃなくて『育ての親』だとしたら、微妙なんだけどね。どっちみち、その女性がネノカタスクニからアシハラノナカツクニに来た理由は不明だけど」

「……いや、神田氏。小生、目が覚めたでやんすよ。亡き母は、イザナミだったのでやんす」

「ヨミとネノカタスクニは同じってことで決着かしら?」

「ここではね。僕たちはプロの研究者じゃなくて、マンガ家だし。……マンガの打ち合わせ、全然してないけど……」

「そうね……」

「まだタイトルも決まってないのに……」

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