画家になりたかったサイクロプス
サイクロプスは山の中で一人で暮らしていた。
魚を取ったり木の実を取ったりして暮らしていた。珍しい色の虫を集めたりもしていた。
ある日、サイクロプスは一人の画家に出会った。
出会った、と言っても画家はサイクロプスの姿を見てイーゼルも絵筆も荷物も置いて逃げていってしまっただけなのだが。
サイクロプスは画家の残していった筆を手にとり、キャンバスを撫でてみた。
クリーム色のキャンバスに鮮やかな赤が塗り込められた。
心が震えた。
世界が変わった。
サイクロプスは毎日絵を描いた。画家の残したいくつかの風景画を手本に一生懸命に絵を描いた。
だけどまったく駄目だった。描けば描くほど手本から遠ざかる。
描いた絵は描いた先から壊した。
こんなんじゃない。こんなんじゃ駄目だ。
それでもどうしても絵が描きたくて、サイクロプスはいくつもいくつも描いた。
およそ一〇〇枚ほど描いた頃にサイクロプスは魔術師と出会った。
街で画材ばかり盗むのはお前かと魔術師は尋ねた。
たしかに俺だが盗んじゃいない。替わりに魚や木の実や珍しい色の虫をあげたとサイクロプスは答えた。
画材は高価なので魚や木の実では釣り合わないのだが、それをサイクロプスに解らせるのは難しそうだと魔術師は思った。
魔術師は少し考えて、じゃあ絵を見せてくれないかと尋ねた。
サイクロプスは驚いた。本当に驚いた。
なんだか恥ずかしいようなこそばゆいような気持ちになった。自分の描いた絵を誰かに見せるなんて考えたこともなかった。
サイクロプスは魔術師に絵を見せた。
まだ書きかけなんだと照れながら見せた。
魔術師は絵に多少造詣があった。
こりゃひどい、と魔術師は言った。
サイクロプスの絵には、立体感というものがまるでなかった。
ああそうか。魔術師はサイクロプスに種を明かす。
人間は目が二つある。だから遠いものと近いものの区別がつく。遠近感を知らぬ単眼のお前には絵など描けない。
サイクロプスは嘆いた。嘆き続けた。一〇〇年嘆いた。
そんなサイクロプスの洞窟に、また別の魔術師がやってきた。
砕かれたキャンバスの山に魔術師は尋ねる。
君は絵を描けるのかい?
サイクロプスは答える。
俺は絵が描けない。目がひとつしかないから絵は絶対に描けない。
そんなことはないよ、と魔術師は言った。
魔術の世界にはこんなことばがある。
『ないということはあるということ』
無と有は表裏一体。
目がひとつしかない君じゃなきゃ描けない絵がきっとあるよ。そしてまだそれを君は見つけていないんだ。
ああ、そうか。サイクロプスは立ち上がる。一〇〇年ぶりに絵の具を溶く。イーゼルを立ててキャンバスを掛ける。
一〇〇年ぶりに絵筆を取る。
手が震えていた。
まるで初めて赤を塗ったときのように。
サイクロプスは思う。俺はこの気持ちを絵にするんだ。
サイクロプスは描いた。遠近感のない絵を嬉しそうに描いた。
手の届きそうな太陽を描いた
小さな樹と大きな花を描いた。
小さな滝と大きな羽虫を描いた。
見たままに。思うままに。
でもサイクロプスは寿命だった。もしかしたら嘆いているうちに寿命を減らしてしまったのかもしれない。
サイクロプスは死ぬまでに四枚だけ絵を完成させた。
それだけ描いてサイクロプスは死んだ。
それからまた一〇〇年ぐらい経った。
骨になったサイクロプスの横にあった四枚の絵を、旅人が街に持ち帰った。好事家に二束三文で買い叩かれ、旅人は貧乏なままだった。
サイクロプスの描いた絵はその経緯の面白さから人の手を渡り続けた。
いま、四枚の絵のうちの一枚が小さな美術館に飾られている。
隅っこに。ひっそりと。
誰もが前を通り過ぎる。立ち止まる人はほとんどいない。
この絵が評価を受けるのは一〇〇年後かもしれないし、ずっとずっと評価されないままかもしれない。もしかしたら今日、大いに評価されるかもしれない。
でも、この絵はここに飾られていて、誰かに見てもらえる可能性がある。
それでいいじゃない?
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