第10話 なあ、どんな夢だと思う?
渋谷の外れ、池尻大橋付近。忘れられたようにひっそりと建つ廃ビルの一室に、10匹ほどの猫たちが集まっていた。
部屋の奥で、集まった猫たちを
酔ったように、焦点の定まらない目。
口の
「あぁ~……あんたがあの、なんだっけ?」
葉巻を咥えてよだれを垂らしたまま、黒猫が言う。
黒猫の前に立つ大柄なぶち猫は、恐怖からか、細かく震えながら、その呼びかけに答えた。
「……テシオです」
黒猫がうなずく。
「そうそう、ドン・テシオ。はじめまして、おれがカポネだ」
黒猫は、そう名乗った。
そう、彼こそは、マタタビの流通を独占する猫。
そして、ニャクザたちが恐怖する、渋谷の支配者。
マタタビ王カポネである。
「ドン・カポネ、実は以前お会いしたことが……」
テシオの言葉に、カポネは面倒くさそうに首を振る。
「最近は、昔のことが思い出せなくてね。ところで」
突然、ぎろりとカポネの目が見開かれた。
「おれはよぉ~、ビト・カルデローネをブチ殺せるって聞いたから、てめえの話に乗ってやったんだろうがぁ~……てめえ、このおれを舐めてんのか? ビトは生きてて、しかもこの渋谷に潜んでやがるって話だ。どうなってんだ、あぁ~?」
テシオは、滝のような汗を流しながら、がたがたと震えている。
カポネは葉巻を外し、テシオの顔に煙を吹き付けて言う。
「土井組をぶっつぶしてのし上がってきたマフィアの頭が、ビト・カルデローネって名前だと聞いてからおれはよぉ~……毎晩、夢を見るんだ」
カポネがテシオの耳元でそっとささやく。
「なあ、どんな夢だと思う?」
テシオは、震えたまま立ち尽くしている。
カポネがテシオの肩に顎を乗せる。
「なあ~、黙ってねえでなんか言えよぉ~、どんな夢だと思うって聞いてんだろぉ~?」
カポネのよだれが、テシオの肩を濡らした。
テシオは、なんとか声を絞り出して言った。
「わ、わかりません、どんな夢でしょう、ドン?」
「野郎がおれを殺しに来る夢に決まってんだろうがッ!」
叫んで、カポネがテシオの耳に噛みつく。
テシオは慌てて振り払おうとする。
カポネは狂ったように噛みついたまま放さない。
その様子を、周囲の猫たちは微動だにせず見ている。
誰も声を発しない。
顔をしかめる者すらいない。
彼らにとってこれは、異常事態ではないのだ。
こんなことが、ここでは常に起こっているのだ。
テシオは命の危険を感じながら、首を振る。
やがて、ぶちりという音とともに、テシオの耳が半分ちぎれた。
カポネは耳のかけらを吐き出すと、急にテシオを気遣うように言う。
「おいおい、血が出てるぜ? 大丈夫か? 誰か手当してやれよ」
「だ、大丈夫です、ドン。お気遣いなく……」
テシオは耳をおさえながら、かろうじて答えた。
「そうか。ならいいや」
カポネは再び葉巻を咥えて、うつろな目で言う。
「ルカを殺させといて、今さら何事も無くファミリーに戻れるなんて思うなよ。てめえはいつか必ずビトに殺される」
テシオは目に涙を浮かべながら言った。
「助けてください、ドン。私にできることなら、なんでも……」
カポネが笑う。
「てめえは恵比寿を荒らせるだけ荒らせ。後のこたぁ考えんな。ビトの野郎はおれが
テシオは頭を下げ、逃げるようにビルを出た。
カポネは、側近に何事かをささやき、げらげらと笑う。
「やつがまだ生きてるってことは、ビトのケツがまだ青いってことだ。やつは部下を殺すことに慣れてねえ。ニャフィアの世界じゃ、それが命取りだってことを教えてやるぜ」
そこまで言って、カポネの笑いがぴたりと止んだ。
場の空気が張り詰める。
「でもよぉ~、教わったときには死んじまうんだよなぁ~……かわいそうだなぁビトぉ~……」
カポネはそう言って、涙をぼろぼろとこぼして泣き始めた。
演技をしているようには見えない。
カポネは、果たして正気なのだろうか?
もしかすると、彼はもう狂ってしまっているのかもしれない。
赤子のような泣き声が、廃ビルに響き続けた。
渋谷がにわかに騒がしくなった。
再開発が進む渋谷駅周辺では、流れ者の猫たちが、山盛よしおのもとに集まり、山盛組を結成。彼らはカポネの支配に従わず、ファミリーの餌場を荒らしている。
また、カポネの恐怖政治に不満をもつ一部のニャクザが、ファミリーから離脱し、宇田川組の傘下に集まって来た。
しかし、ここに及んでなお、カポネの牙城は強固であった。
「……ビト、あんたが言うようにやっちゃあおるがよ、困ったことがあるんじゃ」
山盛がそう言って、ビトの耳に口を寄せる。
「どうやら、マタタビの流通が止まっていねえようだ。とは言っても、青山からの流入は、組の若い者に見張らせとるがの、間違いなく途絶えちょる。どこか別のルートがあるんかのう」
そんな中、渋谷に潜伏するビトに面会を求める者があった。
その猫は、頭から尻尾まで黒かった。だが、よく見れば、それはビトと同じように、人間のスプレーで染められたものであることがわかる。
「……ビト、久しぶりだな」
ビトは、その猫の方を抱いて言う。
「クレメンザ、まさかきみ自ら来るとは」
クレメンザは変わらぬ忠誠を示すように、ビトの手を取ってキスをすると、険しい表情で恵比寿の現状を告げた。
「テシオの野郎が、牙を剥き始めた。あんたの不在をいいことに、ジェンコの縄張りを侵食してやがる」
ビトは軽く眉を寄せると、クレメンザに聞いた。
「ジェンコはどうしている?」
「ジェンコは徹底的に争いを避けてる。そのおかげで、でかい内紛にはなっていない。だが、このままじゃいずれ、恵比寿はテシオのものになっちまうぜ。一度、あんたが恵比寿に戻ることはできないのか?」
クレメンザの表情には、明らかな焦りが見られた。
ビトは、クレメンザの瞳を見つめて言う。
「いいか、クレメンザ。これはカポネの組織とおれたちの組織との、いわば我慢比べだ。奴らのケツにも火がつき始めているが、まだその火は弱い。おれが今ここを離れたら、一気に潰されてしまうだろう。そうなれば、おれたちにもう勝ち目はない」
そう言いながら、ビトの目は、いつものように勝利を確信しているようにしか見えなかった。
うなずくクレメンザに、ビトが言う。
「クレメンザ、ひとつ頼みがある。これを用意してくれ」
クレメンザは、ビトから渡された紙片を見ると、もう一度うなずき、渋谷の闇に消えていった。
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