第8話 マタタビのにおいがする
「ルカの件について、渋谷への報復行為は一切許さない」
ビト・カルデローネの言葉に、集まった三人の幹部たちは、一様に沈黙した。
ファミリーのナンバー2が殺されたのだ。報復しなくては、外の組織はもちろん、傘下の組織からも侮られる。それはビトにもわかっているはずだった。
幹部たちは、押し黙っている。
誰も反論をしない。
ビトが加えて言った。
「テシオ、きみに仕事を任せる。カポネとどうにかして連絡をつけて、手打ちの条件を交渉してくれ」
「……手打ち……ですか?」
テシオは、驚いて聞き返す。
「そうだ。1か月待とう。カポネが受け容れられる条件を探ってくれ」
それからビトは立ち上がり、全員に告げた。
「伝達は以上だ。しばらくは一匹での行動を避けてくれ。今日は集まってくれてありがとう」
テシオとジェンコは、ビトの前脚にキスをして、本部を去る。
クレメンザだけが、動かずに残った。
「何かあるかい、ドン・クレメンザ」
ビトの問いに、クレメンザは困惑を隠さずに言う。
「ビト、わかっていると思うが、言わせてくれ。あんたの私室の場所を知っているのは、死んだルカと、おれたち幹部だけだ。誰かが裏切っているのは間違いない。今日、全面戦争を訴えるやつがいたら、そいつが裏切り者だと思っておれは来た。戦争に乗じて、いちばんいいタイミングで裏切ろうってわけだ。だが、誰も何も言わない。あんたはどう考えてるんだ? 手打ちなんて、本気で言ってるわけじゃあないんだろう? おれにも、教えることはできないのか?」
クレメンザの肩に手を当てて、ビトが答える。
「クレメンザ、おれはきみを信じている。だから教えよう。おれは、渋谷に行く」
クレメンザの表情に、ますます困惑の色が濃くなる。
「行って、どうする?」
「いつも通りにやる。それしか言えない」
クレメンザは、言葉を詰まらせ、苦しそうに息を吐いた。
それから、うなだれて、ぽつりと言う。
「おれにできることは、ないのか?」
「おれを信じて待つんだ。必ず勝つ」
クレメンザは、出会ったときのように、ビトの瞳を見た。その瞳には、あの時と変わらない炎が灯っていた。
――。
ビトが渋谷の地に立ったのは、4年ぶりのことだった。
あの頃とは、街の様子も変わっている。
渋谷駅周辺では、大規模な再開発が開始され、暗渠となっていた渋谷川が、駅前にその暗い姿を晒していた。
「マタタビのにおいがするな」
ビトは、部下も連れず、一匹で渋谷に潜入している。
その毛の色が、黒い。
人間の使う髪染めスプレーを使って、毛色を変えているのだ。
「覚えちょれよこんボケェ! こんなの
ひどい訛りの罵倒を吐きながら、一匹の猫が、ビトの前に転がり出る。
小柄で、痩せぎすではあるが、鋭い目をしたサバトラの猫だ。
一瞬、二匹の視線が交差した。
サバトラは、ビトの瞳を真っ直ぐに見据えている。
ビトは、その猫の瞳に、自分と同じ炎が宿っているのを見た。
「待てやこのど外道が!」
裏路地から、数匹のニャクザが、サバトラを追ってきた。
サバトラが、風のように走り去る。
「……あの猫は?」
追ってきたニャクザにビトが聞く。
「ああん?」
ニャクザが、ビトにすごむ。
ビトは、いつも通りの顔で、ニャクザの目を見返す。
ニャクザの背に、言い知れぬ寒気が走った。
「いや……ありゃあ、よしおっつうチンピラですよ。最近、広島から流れてきてね」
ビトのイタリア訛りに、カポネの組織の猫だとでも思ったのだろう。ニャクザは急に態度を改めて言う。
「流れ者か」
「ええ、広島からってのは珍しいけども、最近多いんですわ。どこも再開発で、餌場を失くした野郎が流れてくるんで」
ビトはそこまで聞くと、ニャクザに軽く頭を下げ、街に向かって歩き出した。
クロス交差点で、一匹の猫と入れ違う。
その瞬間、ビトがつぶやく。
「よしおという猫の居場所を調べろ」
行き違う猫が、静かにうなずき、消えた。
――……。
その夜、よしおはねぐらで傷を舐めていた。
「まったく、やれんのう。カポネのボケがのさばりおって、どがあずしてやらにゃあ……」
その独り言に、答える声がする。
「やれるさ」
よしおが身構えると、ねぐらにビトが入り込んできた。
よしおは、鋭い目でビトを睨みながら言う。
「わりゃあ、何者じゃ」
「ビト。ビト・カルデローネだ」
聞いて、よしおの顔が強張る。
「……恵比寿のゴッドファーザーかい。こがぁな若い猫だとは知らんかったわい」
「疑わないのか」
ビトの問いに、よしおが笑う。
「ただの猫じゃあねえのは見りゃあわかるわい。むしろ納得したっちゅうもんじゃ」
言うと、よしおは警戒を解いてどかりと座り直す。
「それで、カルデローネ・ファミリーのボスが、わしに何の用じゃ。カポネの
ビトは少し首を傾げて聞く。
「どうすれば
よしおは、呆れ顔で答える。
「そりゃあ、やつの兵隊がおらんようになったら、できるじゃろうがのう」
「なら兵隊を消す方法を考えよう」
ビトは真顔で言う。
よしおは、ビトをまじまじと見つめて、ごくりと唾を呑み込んだ。
「こんなは、本気であのカポネを
「友だちを殺されたんだ」
ビトの答えに、よしおがうなずく。
「よっしゃ……ほんならわしも腹ァくくるけんのう。明日の夜、宇田川町の青空駐車場に来てくれや。言うとったるが、わしがカポネにこんなを売ることもあり得るけえ、覚悟して来いや」
その言葉に、ビトが笑う。
「わかった、必ず行こう」
そう言って、ビトはねぐらから消えた。
渋谷の夜に、よしおの笑い声が響いた。
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