第7話 おれにも、家族ができたような気分だよ
3年が経った。
カルデローネ本部襲撃失敗以降、土井組の威信は凋落の一途を辿り、組長土井きよしは引退を表明。土井組は解散を余儀なくされた。
一方、カルデローネ・ファミリーは土井組傘下から離脱したニャクザ組織を吸収し、ついに恵比寿を統一するに至った。
「……名前は決まったのか?」
ルカが聞く。
ビトは、少し照れくさそうに答える。
「ああ。長男がヴァージル、長女がヴァネッサ、次男がミケーレだ」
子猫の鳴き声が聞こえる。
ルカは微笑んで言う。
「ヴァージルか。詩人みたいな名前だな」
「ジュリアの意見だよ。おれはもっと勇ましい名前にしたかったんだが」
笑う二匹に、部下の猫が近づく。
「コンシリエーレ、ドン・ジェンコがご相談に」
ルカがうなずく。
ビトが、ルカの肩を抱いて言う。
「ルカ、ありがとう。きみがいなければ、ファミリーはここまで大きくならなかった」
ルカは首を振る。
「おれは、おれにできることをしているだけだよ」
しかしビトの言葉は真実である。
土井組の襲撃を退けてから、ファミリーの中でのルカの位置は、名実ともにナンバー2として確立された。
ともすれば恐怖の対象となりかねないビトの鋭い知性に対し、ルカは硬軟を織り交ぜた交渉を得意とする。土井組の崩壊とともにファミリーが急成長を遂げた背景には、ルカのこの力があった。
ルカは、ビトと別れると、別室でジェンコと面会する。
「やあ、ジェンコ。奥方のご病気はもう大丈夫なのか?」
ジェンコが、ルカに深々と頭を下げた。
「コンシリエーレ、ありがとうございます。いただいた薬のおかげで、もうだいぶ回復しました。もうすぐ歩けるようになるでしょう」
「それはよかった。それで、相談とは?」
ジェンコは周囲を見渡してから、ルカのそばに寄り、耳元に口を近づけて言う。
「渋谷のカポネが接触を図ってきました。マタタビの流通ルートを開いてほしいと」
ルカがうなずく。
「そろそろ来るとは思っていた。一応、ビトの判断を仰ごう。ただ、ビトが承知するとは思えないな」
「ええ。ただ、断ればやつら、どういう手段に出るか」
ルカは少し考えて、ジェンコに指示する。
「交渉の余地があるように臭わせて、時間を稼ぐんだ。その間に、体制を整える」
ジェンコはうなずきながらも、少し迷った様子を見せた。
「どうした。何か気になることでも?」
「ええ、コンシリエーレ。これは、あなただから申し上げます。あなたになら、友人を誹謗する意図でないことがお分かりいただけると信じて」
ジェンコの声に、緊張が感じられる。
「もちろんだ、ジェンコ。きみは自分の保身や栄達のために他を誹るような猫ではないことを、おれは良く知っている」
「ありがとうございます。実は……テシオが独断で、カポネとマタタビの取り引きを進めているという噂があるのです。確たる情報ではありません。ただ、複数の部下たちから、テシオの縄張りで見たことのない種類のマタタビが出回っているのを見たという報告が上がっています」
「……ジェンコ、よく知らせてくれた。これは内密に、おれからビトに伝えよう。このことはまだ、誰にも言わないように」
「もちろんです、コンシリエーレ。ご配慮に感謝いたします」
ジェンコは、再び深く頭を下げると、自分の縄張りへと帰っていく。
ビトが、ルカに声をかける。
「ジェンコは何と?」
「ああ、明日また相談させてくれ。今日はジュリアの誕生日だろう? 早く行かないと遅れてしまうぞ」
ルカの言葉に、ビトがうなずく。
「わかった。しかし、子どもたちの世話まで頼んでしまって申し訳ない」
「いいんだ、ビト。きみが安らげる時間は多くない。それに、きみの子どもたちを預かれるのは、おれだけだろう?」
ルカが笑う。
「ああ、その通りだ。遅くならないように戻るよ」
「ゆっくり楽しんでくるといい」
ビトは、ルカに手を振って、本部を出た。
――。
夜、ルカはビトの私室で、子どもたちを寝かしつけていた。
「ヴァージル、ヴァネッサ、ミケーレ。きみたちの内の誰かが、やがてファミリーを継ぐんだろうか。それまでに、血なまぐさい闘いは終わっているといいんだが」
子猫たちの寝顔を見ながら、ルカはひとりごちる。
その時、表で何か物の落ちる音がした。
「ブラージ、どうした?」
ルカが、部下に問いかける。
応えはない。
「ブラージ?」
重ねて声をかける。
沈黙に、ルカの緊張が高まる。
ルカは、静かに戸を開け、外の様子を探る。
暗がりの中で、倒れている猫の姿があった。
「ブラージ……」
近づくと、その猫は首をねじり折られ、息絶えていた。
デデーン(効果音)
カルデローネ・ファミリー
ブラージ 死亡
同時に、ルカは危険を感じ、飛び退いた。
恐ろしいほど太い腕が、ルカのいた場所に振り下ろされる。
「チッ……」
暗闇から、猫の巨体が現れた。
潰れた片目。
波打つ太鼓腹。
汚れた牙。
「……ビトに、聞いたことがあるぜ。てめえは、カポネのお抱えの暗殺者だろう。なんて言ったかな。たしか、カッショ・ゲロ」
ルカの言葉に下卑た笑いを浮かべて、口からひどい臭いの息を吐き出しながら、フェロが言う。
「
「あいにく、ここにはいねえよ」
言いながら、ルカはフェロを子猫たちから引き離すべく、部屋からじりじりと距離を取る。
「おめえのことも、カポネから聞いてるぜ。コンシリエーレ・ルカ」
「そうかい。光栄だね」
ルカはゆっくりと、フェロを誘導する。
逃げるふりをして、こいつを引き付けよう。
ルカがそう考えたとき、子猫の鳴き声が響いた。
フェロが、陰惨な笑みを浮かべる。
「そういえば、最近、ビト・カルデローネに子どもが生まれたって聞いたぜ」
部屋に向かおうとするフェロに、ルカが跳びかかる。
「行かせねえよ」
組みつこうとするルカを、フェロの爪が襲う。
ルカの顔から、血が流れた。
「おれは専門家だぜ。おめえ一匹で、かなう相手じゃねえよ」
フェロが笑う。
ルカは、血をぬぐいながら、静かに言った。
「ああ、おれは覚悟を決めたよ」
フェロの爪が、再びルカを襲う。
ルカは、避けなかった。
ルカの腹に、深く、汚れた爪が突き立てられた。
「……て、てめえ!」
ルカはフェロの腕を、がっしりと掴んで離さない。
「子どもたちが、お前の汚い顔を見ることはない。おれと一緒に、お前はここで死ぬからな」
ルカの爪が光った。
カッショ・フェロの右目が縦に切り裂かれる。
「ひぎぃ――!」
フェロの悲鳴が響いた。
「この野郎! 放しやがれ!」
フェロが、ルカを殴る。
ルカの腹からおびただしい量の血が流れ、池をつくっても、ルカはフェロの腕を放さない。
騒ぎを聞きつけて、集まる猫たちの声がする。
「くたばれ! くたばれ! くたばれ! くたばれ!」
フェロは絶叫しながら、ルカを叩きつける。
何度も、何度も。
ルカの白い毛が、血の赤に染まっていく。
「いたぞ、ここだ!」
ファミリーの猫たちが駆けつけたとき、やっとほんのわずか、ルカの力が緩んだ。
「ちくしょう――!」
フェロは、ルカの腕を振りほどくと、一目散に逃げた。
猫たちが、ルカに駆け寄る。
「コンシリエーレ!」
かすれる声で、ルカが言う。
「血を、きれいに拭いておいてくれ……子猫たちが、怖がらないように」
それから、うつろな目で宙を見つめながら、ルカはつぶやいた。
「ビト、お前に会えてよかった。おれにも、家族ができたような気分だよ……」
デデーン(効果音)
カルデローネ・ファミリー
ルカ 死亡
猫たちの慟哭が、闇に響いた。
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