第6話 目を覚ましたら、おれをほめてくれるかい?

 ルカと別れてから、むに斎は自分のねぐらに向かった。

「……くせえな」

 周辺の暗がりに、猫の気配がする。

 1匹や2匹ではない。

 10匹以上の猫が、息を殺して潜んでいる。

 むに斎は、立ち止まって考える。

 恐らく、カルデローネの刺客だろう。

 すると、ルカの誘いはやはり嘘だったわけだ。ねぐらに戻らせて、寝入ったところを襲うつもりだったのだろうか。

 むに斎は少し考えて、きびすを返した。

 殺してやってもいいが、へたに全面戦争になるとつまらない。一匹ずつ、幹部を殺し、それからあの相談役を殺し、最後にボスを殺す。雑魚を殺しても仕方がない。

 彼は、彼しか知らない隠れ家に消えた。


 ……。

 翌日。

 一匹の猫の死体が、広尾方面のドブの中で見つかった。

 土井組若頭にして土井きよしの実子、ひろしだ。


デデーン(効果音)

土井組若頭

ひろし 死亡


 むに斎は、土井きよしに呼び出され、土井組の事務所に向かった。

 さすがに土井組の事務所は、戦争直前の厳戒態勢だ。

 恐ろしい数のニャクザが集まっている。

 事務所はなにやら慌ただしく、むに斎は、ひどく待たされた。

「暑いな」

 むに斎が言うと、雌猫が皿に水を汲んできた。

「ごめんなさいね、なにしろ、若頭がああなっちまったんで……」

 むに斎はあいまいに首を振って、水を飲む。

 むに斎にとっては迷惑な話だが、昨晩、殺し屋を仕留められなかったカルデローネが、無理やりにでも戦争を起こそうとしているのだろう。

 しかし、表向き無関係の土井組に直接手を出すのは、周囲の組織から見れば、無謀と見える。愛想を尽かして離反する組織も出るだろう。持久戦になればカルデローネの不利になるはずだ。

 結局、ニャクザとニャフィアの組織の戦いか、と、むに斎はつまらなそうにあくびをする。

 それにしても、だらしがないのは土井組だ。

 殺し屋一匹雇っただけで、油断している。

 自分の身くらい、自分で守ってほしいものだ。


 出された水もあらかた飲み終わったころ、むに斎は奥へ通された。そこにも、異様な数のニャクザが控えている。

 開口一番、土井きよしはこう言った。

「……おれをおどす気か?」

「……は?」

 聞き返すむに斎に、土井は激怒する。

「とぼけるんじゃねえ!」

 一座に緊張が走る。

「昨夜、おれの息子がられた」

 土井が怒りを押し殺しながら言う。

「中原が言うには」

 むに斎は、出口に立つ猫の数を計っている。

「てめえは昨晩、カルデローネのルカに会ったあと、ねぐらに戻らずどこかへ消えた」

 すでに出口は数十匹の猫で固められていた。

「密偵の報告じゃ、ビト・カルデローネは死んじゃいねえ。あいつは生きていて、おれの息子が死んだ」

 無駄だと悟りながら、むに斎が言う。

「おれが、あんたの息子をったとでも? 証拠でもあるんかィ」

「ニャクザが証拠で動くかよ。ルカに会っておいて、生かして帰した時点で、てめえの腹は割れてんだ」

 もはや弁解は不可能と悟り、むに斎は立ち上がる。

 しかし、その足がもつれて、膝を突いた。

「……なんじゃァ、こりゃあ」

 土井が笑う。

「へっ、てめえを殺るのは骨が折れそうだからな。薬を使わせてもらったのよ」

 むに斎の視界が、どろりと溶ける。

「渋谷のカポネからの悪趣味な贈り物だよ。殺鼠剤さっそざいだ。無味無臭で、どんな猫でも水に混ぜりゃあ気づきやしねえ。最近は野良猫狩りに使われてるんだとよ」

 むに斎は、憎しみに満ちた目で土井をにらみながら、倒れた。

外道げどうが……貴様が早く来るように、地獄で閻魔えんま様にお願いしといてやる……ぜ……」


デデーン(効果音)

殺し屋

平田むに斎 死亡


「ビトの野郎を動けねえようにしてくれたのには、感謝してるよ。狡兎こうと死して良狗りょうくらるってやつさ。おいてめえら、準備しやがれ! 戦争だ!」

 土井組の猫たちが、一斉に動き出す。

 恵比寿の大抗争が、こうして幕を開けた。


 ――……。

 土井組の侵攻は、夜を待って行われた。

 目標は、カルデローネ・ファミリー本部だ。

 まず夜陰に乗じ、別動隊が先行して本部の周囲を包囲する。本隊の土井きよし隊が、自ら本部に攻め入り、ビト・カルデローネの首を取る。電撃戦だ。

「……組長オヤジ、包囲完成しやした。カルデローネに動きはありやせん」

 部下が、土井に耳打ちする。

「よおし、てめえら、腹ァくくりやがれ! カチ込みじゃあ!」

 土井の声とともに、50匹からのニャクザが、一斉にカルデローネ・ファミリーの本部事務所に突入する。

 物の壊れる音がする。

 猫の叫び声がする。

 しかし、しばらくして、異様な静けさが訪れた。

「誰もいねえ……こりゃあ、もぬけのからじゃあ!」

 同時に、部隊の後方から、悲鳴が聞こえた。

「て、敵襲! 敵襲じゃ!」

 猫たちが、一気に混乱の渦に呑み込まれる。

「落ち着け! 散るんじゃねえ! 固まれ! 固まれィ!」

 土井は声を枯らして叫びながら、状況を理解し、戦慄した。

 現在、土井組の猫たちは、薄く広く展開し、カルデローネ本部を包囲している。本部から逃走する猫を捕えるためだ。

 しかし、本部は空き城であった。

 そして後方からの急襲。

 恐らく、敵は包囲の外側から、薄い膜に針を刺すように、本隊を狙って攻撃をかけてきている。

 土井の眼に、猫たちを蹴散らすクレメンザの姿が見えた。

 クレメンザが吠える。

「狙いは土井きよし一匹だ! 土井を殺せ!」

 土井の判断は早かった。

 部下たちを置いて、彼は逃げた。

 1分も走れば、外の包囲網に逃げ込める。

 土井が、走る。

 部下を押しのけ、ひたすら走る。

 カルデローネ本部を脱出し、土井組の猫たちが見えたとき、土井は再び恐怖に身をよじった。

 さっきとは別の部隊が、また包囲の外から襲ってきたのだ。

 敵の中に、ルカの姿が見える。

 土井の体から血の気が引いた。

「てめえら、どけ、どけ! あいつらを押し戻せ!」

 叫びながら、部下たちを押しのけ、土井は逃げる。

「土井が逃げるぞ! 野郎、手下を盾にして逃げやがるぞ!」

 イタリア猫たちの叫びが聞こえる。

 土井は、身も世も無く逃げた。

 部下の猫を敵に向かって投げ飛ばし、くそらしながら逃げた。

 そこには、これまで築いてきた組長の威厳など、微塵もなかった。

「ルカ、待機しているジェンコに連絡しますか? うまくいけば土井をれるかも」

 ルカの部下が、土井の逃げてゆく方向を見ながら言う。

 ルカは、静かに答える。

「いや、予定通り、土井の行く先々でちょっかいをかけるだけでいい。できるだけ不様ぶざまに逃げさせろ」

 組長の逃走を目にして戦意を失った土井組の猫たちが、散り散りになって逃げる中、ルカは戦列を離れ、一匹で恵比寿駅に足を向ける。

 ルカが向かったのは、ビトと初めて言葉を交わした、あの路地裏だった。

 数匹の猫たちとジュリアが、そこでビトを守りながら、隠れていた。

 ビトは、ジュリアに抱かれたまま、まだ目を覚まさない。

 眠ったままのビトに、ルカが語りかける。

「ビト、うまくやれたよ。お前のように」

 そして、まだ少年のあどけなさが抜けないその顔を撫でながら言った。

「目を覚ましたら、おれをほめてくれるかい?」

 恵比寿の夜に、猫たちの叫びと血の臭いが満ちた。

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