第15話 頂点に立つ者

 並木橋での闘いののち、銀次は、二尋連合会の虚太郎・虚無助の死亡を発表するとともに、山盛組組長就任を正式に宣言した。

 同時に銀次は、二尋連合会に合流していた元山盛組・宇田川組組員に対し、改めて山盛組への合流を勧告し、虚太郎・虚無助体制下での銀次への敵対行為はすべて不問とすることで、渋谷の勢力を統合することに成功する。

 宇田川組跡目とらの死に端を発した長い渋谷抗争は、ここに幕を閉じた。おき太の墓には、虚太郎の巨大な爪が供えられ、渋谷を守った英雄として、猫たちに称えられた。

 飯の代紋のもと、渋谷のニャクザは統一されたのだった。

「何をねむたいこと言うちょるんじゃ!」

 とし蔵以下、新山盛組の幹部がそろう会議の席上で、銀次が怒鳴る。

「六本木をるなら今しかないんじゃ。二尋にひろと組んで甘い汁吸おうとしちょったところじゃけんの、やつらァ、守りの備えが間にうちょらんのじゃ!」

 銀次の声に気圧されて、幹部猫たちは黙り込んでいる。

 とし蔵が、苦い顔で口を開いた。

「誰も言わんから、おれが言うがよ、銀次さん。渋谷は、長い抗争が終わったばかりだぜ。たくさんのニャクザが死んだ。虚太郎と虚無助がばら撒いたマタタビの影響も残ってる。青山のアメショーどもも、表面上は恭順を装っちゃいるが、油断はできねえ。ここは、ひとまず地盤固めをするときじゃねえか」

 その言葉に、銀次は額に血管を浮かび上がらせて怒る。

「渋谷ァった途端に臆病風かィ! ニャクザが命ィ惜しんでどうするんじゃ!」

 とし蔵は、黙っている。

 会議の席に、重苦しい沈黙が訪れた。

「……すまん。今のは、おれの失言じゃ。単騎であの虚太郎を殺ったとし蔵に向ける言葉じゃあなかった。ただ、今、六本木をらんと、必ず後悔することになる。みんな、1日よく考えてくれや」

 銀次は大きく息を吐いて、会議を解散させた。

 猫たちが散っていく。

 席には、銀次ととし蔵だけが残った。

「……銀次の兄貴よ、おれとアンタだけなら、今から六本木に攻め込んだっていい。でも、それじゃあ勝てねえだろう。おれたちは、でかくなっちまったんだよ。自分の足だけじゃあ走れねえくらいに」

 とし蔵が、さとすように言う。

 銀次が乾いた笑いを漏らした。

「そうかもしれん。だけどな、おれァ、欲しいのよ。手に入れれば手に入れるほど、欲しいもんがでかくなる。これァ、おれの業よ。そうでなくっちゃあ、ここまで来れんかった」

 とし蔵は、黙っている。

 銀次が、意を決したように、再び口を開いた。

「とし蔵、おれァ、六本木のほかに、もう一つ欲しいものがあるんじゃ」

「なんだい」

 そう聞くとし蔵の目を覗き込んで、銀次が言う。

「シロよ。あいつが欲しい」

 とし蔵の表情が、電撃を受けたように固まった。

「わかっちょる。あいつは、おれが求めても、おれのものにはならんじゃろう。しかしな、それでもおれァ欲しいんじゃ。おれは、どんなことをしてもあいつを手に入れる。こんなは、その時、おれを許せるか?」

 とし蔵は、答えることができなかった。

 ただ黙って、銀次の燃えるような瞳を見つめていた。

「……とし蔵よ。明日の朝、一匹でここに来てくれや。その時、こんなの腹ァ、聞かせてくれ」

 銀次が、そう言って席を立つ。

 とし蔵が、銀次を引き留めるように言った。

「あんたらしくもねえ。この場で白黒つけねえのか」

「おれァ、こんなが好きじゃけえ。甘くなるのよ」

 銀次はそう言って笑い、街の中に消えていった。

 とし蔵は、しばらくの間、微動だにせず、宙を見つめていた。


 ……。

 その夜、とし蔵は、道玄坂にシロを訪ねた。

「……今日、銀次さんが来たの」

 シロは、張り詰めた表情で、そう言った。

「銀次に、聞いたか」

「ええ、あの人らしいわ。誰より頭が回るくせに、誰よりも不器用なのね」

 シロが、とし蔵の胸に頬を寄せる。

「シロ、おれは……」

 とし蔵は、そのシロを、抱きしめることができなかった。

 シロは、悲し気な瞳で、とし蔵を見て言う。

「私は、明日の朝早く、渋谷を出るわ。私がここにいれば、きっと私があなたたちの裂け目になる。渋谷がまた二つに割れてしまう」

 シロの言葉が、とし蔵の胸に刺さった。

 渋谷を出る。

 生まれ育った、この街を。

 おき太が、すべての思い出が眠っている、この街を。

 言い知れぬ寂しさが募った。

「シロ」

 去ろうとするシロの背中を、とし蔵が抱く。

「逃げよう。おれと一緒に」


 ……。

 二匹の猫が、夜の渋谷を走る。

 彼らは駅を抜け、南へ、ずっと南へと走っていく。

 歩道橋の上からその猫たちを見つめるのは、一匹の猫。

 銀次だ。

 彼は、この街を手に入れたいと望んだ。

 そして今、誰も並ぶ者のない、渋谷の頂点に立った。

 それなのに、今、何もかも失ってしまったような気がする。

 何のために闘ってきたのか。

 埋めようのない虚しさが、胸を潰す。


 にゃーん


 猫の啼き声が闇に溶けた。

 夜の街に向かって吠えながら、銀次は自らに問う。

 明日から、何に心を燃やして生きていこう。


渋谷死闘編 完

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