第14話 渋谷のてっぺんに

 とし蔵を囲む猫たちが、唸り声を上げる。

 狂ったように牙を剥き出し、犬のような声を出している。

 抑えの利かなくなるほどの狂暴性。

 恐らく、彼らに与えられているマタタビは、普通のものではない。

 一匹の猫が、耐えきれなくなったように、虚太郎の指示を待たず突進した。

 とし蔵の腕に、力が込もる。

 その腕で、襲い掛かる猫を横なぎになぐりつける。

 めきょ、という奇妙な音とともに、猫が倒れた。

 マタタビの力で痛みを忘れた猫は、それでもすぐに立ち上がろうとするが、その脚が、奇妙な方向に折れ曲がり、立つことができない。

 一撃で、骨が破壊されていた。


デデーン(効果音)

二尋連合会 組員

たれ蔵 重症


「病んでさえいなけりゃあ」

 とし蔵が、自らの拳に向かって吐き出すように言う。

「こんなやつらに、おき太が負けるはずがねえ」

 虚太郎の顔から、笑みが消えた。

 とし蔵が吠える。

「かかって来い、てめえらが本当ならどうなるはずだったのか、教えてやろうじゃねえか」

 咆哮が、空気を震わせる。

 虚太郎が、憎しみを込めて叫んだ。

「殺せ!」

 猫たちが、一斉にとし蔵に襲い掛かる。

 爪で引っ掻かれ、牙で噛みつかれても、とし蔵は怯まない。

 その腕が一度振るわれるたびに、猫が一匹ずつ破壊される。


デデーン(効果音)

二尋連合会 組員

さだとし みん やまと しらたき ともや 死亡

けん よみぞう ぺろり かじもど みやもと 重症


 とし蔵は、今、一匹の鬼であった。

 怒りも、悲しみも、腹の底にわだかまった虚しさも、すべてが今、純粋な力となって、放出されている。

 ただ力だけが、今、彼のすべてだった。

 猫たちに組み付かれながら、なおも止まらないとし蔵に向かって、虚太郎がその巨大な腕を振り下ろす。

「死ね!」

 組み付いた猫たちもろとも、叩き潰そうという打撃だった。

 とし蔵は、猫たちとともに、その打撃をまともに受けた。


デデーン(効果音)

二尋連合会 組員

さばぞう あら 死亡

ねじきち らん 重症


 虚太郎が、その巨大な腕を引く。

 瞬間、下から鋭い拳が飛び、虚太郎の腹に突き刺さる。

「……この野郎」

 苦痛に顔をゆがめながら、憎しみのこもった目で、虚太郎がとし蔵を見返す。

 そこからは、とし蔵と虚太郎の一騎打ちであった。

 もはや、二匹のほかに、立っている猫はいない。

 激しい打撃の応酬が続いた。

 互いに一歩も退かない。

 ただ、拳が肉を打つ音だけが、地下に響いている。


 ……。

 どれだけの時間が経っただろう。

 それは実際のところ、10分に満たない間のことだったのかもしれない。しかし、永遠とも思える、ながい闘いだった。

 とし蔵が、何十発目かの拳を、虚太郎の脇腹に打ち込んだとき、虚太郎の巨体が、崩れ落ちた。

「ま、待て、おれの……」

 その虚太郎の言葉は、もはやとし蔵に届かなかった。

 膝を突いた虚太郎の顔面に、とし蔵の拳がめり込む。

 倒れる間もなく、次の拳が打ち込まれる。

 右の拳。

 左の拳。

 右の拳。

 左の拳。

 ……。

 やがて、すべての力を吐き出し終えて、とし蔵の動きが止まった。

 目の前には、既にこと切れた、虚太郎の肉体が横たわっていた。


デデーン(効果音)

二尋連合会 会長

虚太郎 死亡


 とし蔵は、虚太郎の腕を持ち上げ、その巨大な爪を、べきりとへし折る。

 その爪を持って、とし蔵は、ビルを出ていく。

 後に残ったのは、猫たちの死骸だけだった。


 ……。

 雨が降っていた。

 ハチ公前で、銀次がわめいている。

 旧山盛組本部、現二尋連合会本部に突っ込もうとする銀次を、若い組員が必死に押し留めていた。

 その様子を、二尋連合会の組員たちが、遠巻きに見ている。

 いつ突入して来るのか。

 緊張した面持ちで、猫たちは立っている。

 時間が経つにつれ、渋谷中から、騒ぎを聞きつけて、猫たちが集まってきた。

 二尋連合会の組員たちだけでなく、銀次の支持者たち、そして怖いもの見たさのやじ馬たちが集まり、どんどん猫の数が増えていく。

 誰もが、この一戦で、長く続いた渋谷抗争の幕が引かれるだろうと、予感しているのだ。

 渋谷駅前にすさまじい大きさの猫だかりができた。

 互いに罵声を飛ばし合い、にらみ合う。

 喧噪のあまり、もはや誰が何を言っているのかわからない。

 やがて、誰かが気づいた。

 銀次がいない。

 いつの間にか、騒動の中心だったはずの銀次が消えていた。


 ……。

 雨の中、虚無助が走っている。

 虚無助にとっては、予想外の事態だった。

 銀次が駅前でわめいているという報せを受けて、不審に思い、虚太郎の潜むビルに向かってみれば、兄とその部下たちの無惨な遺体が並んでいたのだ。

 どこで歯車が狂ったのか。

 自分たちは、完全に勝利したはずだった。

 いや、今でも勝ちは目の前にある。

 虚太郎が倒れても、自分さえ無事なら、まだ立て直せる。

 しかし、虚太郎が殺された今、渋谷に安全な場所はない。虚太郎の死を知った者から、裏切りを考えるだろう。そいつは、自分の首をもって、銀次のところへ行く。いつ、誰が裏切っても、不思議ではない。

 唯一安全なのは、六本木の天猫会にかくまってもらうことだ。

 六本木に逃げ込むことさえできれば、銀次もとし蔵も、手出しはできない。

 逃げることだ。

 山盛組どころか、二尋連合会の組員にすら、見られてはいけない。

 多少遠回りになるが、渋谷駅を南に出て、並木橋なみきばし方面から広尾ひろおを経由し、六本木へ向かうのだ。

 身も世も無く、虚無助は走った。

 並木橋に着いたところで、虚無助を呼ぶ声がした。

「そがな急いで、どこに行くんじゃ」

 虚無助の背筋に氷が走る。

「……銀次、てめえ」

 銀次が、虚無助の肩に手を掛けて言う。

「まあ待てや。こんなにゃ聞きたいことがあるんじゃ」

 銀次はマタタビの葉巻を取り出し、火を点け、深く吸い込んでから、煙を吐き出す。

「こんなは、なんで山盛組に入ったんじゃ。初めっから、組ィ乗っ取るつもりじゃったんか」

 虚無助が笑う。

「ああ、そうさ。山盛の組長も、宇田川の組長も、誰も気づきやしねえんだもんな。笑っちまうぜ。おれたちは、お前のオヤジに殺された、カポネの息子さ」

 雨が、銀次の葉巻の火を消した。

 銀次は、諦めたように、葉巻を吐き捨てて言う。

「ほうか。それで、とらを殺したんか」

「ああ。とらを殺して、宇田川を殺して、山盛も殺した。お前を殺せば、復讐は終わるんだよ!」

 虚無助が、銀次に飛びかかる。

 銀次の爪が、ゆらりと閃いた。

「……長かったのう。その闘いも、もう終わりじゃ」

 虚無助の腹から、真っ赤な血が噴き出す。

「銀次……終わりなんてねえんだよ。てめえが渋谷のてっぺんに立つ限り、闘いは、続くんだ……」

 虚無助が笑う。

 腹から血を流しながら、虚無助は、橋の下の渋谷川へと落ちていった。奇しくも彼の父親のカポネが、同じように落ちていったという、よどんだ川の中へ。

「……闘いは終わらねえ、か」

 雨が冷たかった。

 銀次は、冷えた体を少し震わせると、寒そうに肩をすぼめ、渋谷駅に向かって、歩き出した。

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