第13話 弟の墓に供える花を

デデーン(効果音)

山盛組 組員

おき太 死亡


 その一匹の猫の死は、渋谷全体を震撼させた。

 二尋連合会結成後、山盛組を名乗り頑強な抵抗を続けてきたニャクザたちからも、雪崩を打ったように離脱者が続出。ついに渋谷抗争の大勢は決したかに見えた。

「……事務所が、広くなっちまいましたね」

 若い組員が、朝食の缶詰を開けて銀次に皿を差し出しながら言う。

「おう。一気に減ったもんじゃのう」

 銀次は手を合わせて、いただきますをする。

「しかし、おれにはわからんですよ。おき太さんと言ったら、たった1匹で天猫会を押し返した猫だ。渋谷の英雄をったやつらに、頭ァ下げるなんて……しかもあいつら、天猫会と組んでわざと渋谷を襲撃させたって噂だってあるんですよ!」

 若い猫は、怒りに拳を震わせていた。

「仁義で首はくくれんちゅうこっちゃ」

 缶詰の魚肉を頬張りながら、銀次が言う。

「ニャクザの世界は、力がすべてよ。仁だの義だの言うたところで、結局はみんな、強いもんに従うんじゃ」

 若い猫は、銀次の言葉を聞いて、首を振る。

「それにしたって、まさかとし蔵の兄貴まで出ていくなんて……」

 銀次は黙って何事かを考えている。

 とし蔵が消えたのは、おき太死すのしらせを受けて、すぐのことだった。

「そうじゃのう、そろそろこっちも準備するかィ。こんなは『銀次が猫集めて二尋の本部に特攻かけるつもりじゃ』ちゅうて噂ァ流せや」

 銀次の言葉に、若い猫が驚く。

「えっ!? でも、虚太郎も虚無助も、おき太さんが死んでから、どこにも姿ァ現してねえんですよ。本部に特攻かけても、あの二匹が殺れなきゃあ、何の意味も……」

 銀次が笑った。

「わかっちょる、わかっちょる。ええから任しとけや。おれァ、こうなってからが強いんじゃ」

 厚い雲が空を覆い、渋谷に雨が降り始めた。


 ……。

 その翌日。

 とし蔵は道玄坂の隠れ家にいた。

 ダクトの中に、シロが入ってくる。

「……やってくれたかい」

 とし蔵の言葉に、シロが答える。

「ええ。あの場所なら、人に掘り返されることもないと思う。それから、彼女と一緒に、お別れをしてきたの」

 シロに続いて、ダクトにクロが入る。

 とし蔵が、クロに言った。

「あんた、虚太郎の愛猫だったんだってな」

 悲しそうな目で、クロが答える。

「……ええ、そう。おき太さんは、私が殺したようなものです」

「あんたを責めるつもりはねえよ。ただ、教えてほしいんだ。虚太郎の野郎がいる場所を」

 クロは、とし蔵の目を見つめて言う。

「虚太郎は、宇田川町の外れにある小さな廃ビルにいます。でも、彼が私を生かしておいたのは、これをあなたに伝えさせるため。虚太郎は、必ず罠を張って待っているはずです」

 クロの言葉を聞いて、とし蔵は立ち上がる。

「ありがとう。おき太の命日にゃ、墓参りしてやってくれ」

 ダクトを出ようとするとし蔵に、シロが問いかける。

「トシ、行くのね」

「ああ。止めやしねえだろ?」

「ええ。止めたって、あなたは行くから。……お願い。私の分も、殴ってきて」

 そう話すシロの瞳に、涙が浮かんでいる。

 誰もが傷ついていた。

 癒しようのない傷を抱えて、猫たちは生きていく。


 ――……。

 雨の中、うそ寒い渋谷の街を、とし蔵が行く。

 生まれたときから、ずっと暮らしてきた街だ。

 喜びも悲しみも、思い出はみんなこの街に埋まっている。

 その風景が、なぜかいつもと少し違う。

 猫たちが、雨降りにも関わらず、みんな同じ方向に走っていく。

 とし蔵は、それを気にも留めず、流れに逆らって進んだ。

 クロの示したビルに入る。

 中は荒れて、ほこりが積もっていた。

 そのほこりに、ひと際巨大な猫の足あとが残っている。

「……地下か」

 地下へ続く階段は暗く、猫の眼でも、おぼろげにしか先を見通せない。

 その階段を、ためらいもせず、とし蔵は降りていく。

 地下には、湿った空気が澱んでいた。

「……虚太郎のやつはいるかい」

 とし蔵は、暗闇に向かって、無造作にそう問いかける。

 辺りの空気が、一気に凍りついた。

「……よう、とし蔵か。銀次の野郎はどうした」

 闇の奥から、低く太い猫の声が聞こえる。

 虚太郎の声だ。

「知らねえ。おれ一匹だ」

 その答えに、虚太郎が笑う。

「さっき、駅前で銀次がわめいてるってんで、組のもんをまとめて行かせたばっかりなんだがな。ついに銀次も、てめえを鉄砲玉に使いやがったか」

 とし蔵は答えない。

 虚太郎が、急に猫なで声になって続ける。

「なあ、とし蔵。ここらでお前もこっちにつかねえか? お前なら、若頭わかがしらを任せてもいい。お前は鉄砲玉にされてんだ、もう銀次に忠義立てする必要もねえだろう。仁義に照らしても、恥じることはねえんだ」

 とし蔵が、静かに答える。

「おれは、仁義の話をしに来たんじゃねえよ。弟の墓に供える花を摘みに来たんだ」

 闇の中に、真っ赤な裂け目が浮かび上がる。虚太郎が、口を大きく開いて笑っている。

「しゃらくせえ。てめえら、こいつを殺ったら、好きなだけマタタビ喰わせてやるぜ。囲え」

 虚太郎の声で、闇に浮かぶ血走った30個の目が、一斉にとし蔵をにらんだ。

 むせかえるような戦いと死のにおいが、地下に満ちた。

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