第11話 二尋連合会

 銀次山盛組帰還の一幕は、山盛よしおの遺体を銀次が引き取り、葬儀の喪主を彼が務めることを虚無助が認め、その代わりに、銀次は山盛組本部事務所から退去することで、ひとまず決着した。

 銀次派の拠点に銀次が移動する中で、とし蔵は一匹、その群を離れ、道玄坂どうげんざかへと向かった。

 渋谷道玄坂は、とし蔵、おき太、シロの三匹が生まれた土地だ。そこには、三匹しか知らない、秘密の隠れ家がある。とし蔵が向かったのは、その場所だった。

 真昼でも太陽の光の届かない、ビルとビルの間の細いすき間。

 猫一匹だけかろうじて通れる、そのすき間の奥に、ふたが取れたままの排気口がある。ここから、ビルのダクトの中に入ることができるのだ。

 とし蔵が考えた通り、おき太とシロはその中にいた。

「おき太……」

 とし蔵がそう声をかけた瞬間、おき太は激しく咳込んだ。

 そして、その口元から、真っ赤な血を吐き出したのだった。

「……おかえり、とし兄」

 おき太は、血をぬぐいながら、消え入りそうな声で言う。

 シロが、おき太の肩を抱いている。

「おき太……お前、病気なのか」

 とし蔵も、このことをどこかで予感していた。

 天猫会のニャクザ70匹を1匹で撃退したという噂は、新宿にまで轟いていながら、あるときからふっつりと、おき太の噂を聞かなくなっていたからだ。

 なにかある。

 そう予感していながら、とし蔵は、それでも目の前の事実に、心臓を破られそうなほど、激しい痛みを覚えた。

「トシ、お願い。おき太のことは、そっとしておいてあげて」

 シロが、悲痛な面持ちで言う。

「ああ、ああ……。もちろんだ。この場所のことは、おれたち以外、誰も知らねえ。おき太、お前は、おれの自慢の弟だ。相手が誰だって、指一本触れさせるもんか。ここで、ゆっくり休むんだ。そうして、必ず元気になるんだ。必ずだぜ……」

 とし蔵は、言いながら、こみ上げるものに耐えられず、ダクトを出た。

 背中の皮を、べりべりと剥されるような痛みが、とし蔵を襲っていた。おき太は、弟という以上に、もはや彼の一部だったのだ。


 ……。

 翌日、山盛よしおの葬儀は、かつてない緊迫感のもとに行われた。

 喪主は銀次。

 葬儀は、山盛組本部でなく、銀次の生地でもある、宮下公園で行われた。

 そこに、虚無助以下、反銀次派の山盛組組員たちが現れる。

 一触即発の緊張のもと、葬礼を終えた虚無助たちは、何事もなかったかのように帰っていった。

 ことが起こったのは、その直後のことである。

 虚無助のもとから、一匹の伝令猫が、銀次に言付けを届けに来たのだ。

「……なんじゃと。もういっぺん言ってみィ」

 銀次が言う。

「ですから、我々山盛組組員一同および宇田川組組員一同は、この度の山盛よしお、宇田川たつ吉の逝去を受けまして、渋谷を外部勢力の侵攻から防衛すべく、山盛組、宇田川組の両組を解散し、一致団結して、二尋にひろ連合会れんごうかいを結成することにしたのです。ひろの字は、猫が手を大きく広げた広さを指すものです。山盛組の縄張りを一尋ひとひろ、宇田川組の縄張りを一尋ひとひろとして、手と手を取り合って二尋にひろと……」

「黙れやこのボケェ! 何を勝手なことをぬかしとる、おどれァ自分の言うちょることわかって言うちょるんか!」

 いきり立つ銀次を抑えて、とし蔵が伝令に言う。

「そんなことを言っても、山盛組を名乗る組員は、こっちにもたくさんいるんだが、こいつらァどうするんだい」

 とし蔵の言葉に、伝令が悪びれずに答える。

「山盛組組長代行の虚無助および山盛組組員の総意として、これに反対する組員は全員破門とさせていただきやす」

 瞬間、銀次の爪が閃いた。

「あっ……」

 伝令猫の首から、真っ赤な血が噴き出す。


デデーン(効果音)

二尋連合会 伝令

ともお 死亡


 とし蔵が、苦い顔で言う。

「伝令を殺ってどうすんだ」

 銀次がすさまじい表情で、それに答える。

「こいつを生かして返したら、おれが山盛組の解散、認めたことになるじゃろうが」

 その日から、渋谷中で抗争が始まった。

 至る所でニャクザ同士の殺し合いが起こり、街は猫たちの死体で満ちた。


 ……。

 当初、圧倒的優勢と思われた二尋連合会であったが、意外なことに、旧山盛組組員の抵抗は頑強に続いた。

 戦線が膠着するに至り、虚太郎は焦りを感じていた。

「きょむ、なんで銀次は倒れねえんだ。山盛のバカどもァ、なんであのクズをとっとと見放して、ニヒロにつかねえんだ」

 虚無助は、眉間にしわを寄せながら答える。

「まず、シロとかいう雌猫よ。やつァ、山盛組に入って以降、旦那を失くした後家猫たちや、旦那がケガした雌猫たちを集めて、互助会をつくってたんだが、こいつの影響力が予想外に強ええ。雌猫どもの中にゃあ、シロを天使様みたいにあがめる奴もいて、自分とこの旦那や息子がウチにつくのを引き留めてやがる」

 虚太郎が、舌打ちをする。

「そんなもん、力で押しゃあ、なんとでもなるわ。それで、他には」

 虚無助が言う。

「本命の問題はこっちだ。天猫会の侵攻を防いだのは、組じゃなくおき太だと考えてやがるやつらが、未だに多い。こいつは兄貴の失策だぜ。おき太が銀次につくなら、仁義は向こうにあると言うやつらが、銀次を盛り立ててやがるんだ」

 その言葉を聞いた虚太郎は、大きな頭を虚無助に寄せて、念を押すように言った。

「おき太を消しゃあ、山盛も潰れるんだな」

 虚無助がいぶかし気な顔で言う。

「ああ、だが肝心のおき太は雲隠れ中だ。どこにいやがるか、まるでつかめねえ」

 虚太郎が笑う。

「探す必要はねえ。釣り出しゃあいいんだ」

 翌日、一つの噂が渋谷中に流れた。

 虚太郎の愛猫クロが、不義密通の疑いで、二尋連合会に命を狙われている、と。

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